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田中雅博先生、医師で僧侶の「ありのままの最期」--交友の記録(66)

2017/09/19

田中雅博先生、医師で僧侶の「ありのままの最期」--交友の記録(66)

昨日の遅い時間だった。NHK総合テレビにチャネルを合わせて、食い入るようにテレビを見た。
登場する僧侶にしてがん医師、田中雅博先生は、国立がんセンターの医師になったあと、近代医療では救えない患者の心を救おう決意して僧侶になった。
もともと普門院西明寺の長男に生まれたが、父親が好きなことをやってよいという方針だったのでいわば家業である西明寺を継ぐ考えはなく医学部に進学した。人の命を救うことを使命と感じたからであった。ところが、国立がんセンターの医師として勤務すると、医療の力でいくばくかの延命はできるものの、実際は、毎日、患者を見取り見送る生活になった。患者に向き合うとすればするほど悩みが深くなった。死に向かう患者に対して、医学は体を救っても心を救うことができないという問題に突き当たっていた。死への恐怖は患者の心をずたずたにしてゆくことを医師としてはどうにもならなかった。先代の住職である父親が亡くなると、医師を辞め仏門に入ることにした。
大正大学で仏教を学び修士号を取得した。その指導に当たった教授が栗山秀純氏であった。栗山秀純氏は大学の教授をしながら自らの寺の住職も務める尊敬する私の従兄だった。
田中雅博氏が修論で書いた内容を一般向けに書き直して出版するように勧めたのはその従兄で、私の会社(株式会社サイエンスハウス)から出版することになった。
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叢書 知性の華
第3回配本 科学時代のヨーガ 四六判 156 ページ
栗山秀純 田中雅博共著 定価 2,935 円(本体価格 2,718 円)
ISBN978-4-915572-46-3 C0040
破綻をきたした心身二元論に代わる新たな心身融合の枠組を模索す
る。医師と仏教者との対談の外、密教思想の本質を理解するのに必
要な基本文献を収録。
☆図書目録 p.18
アマゾン
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そのころ、田中先生はサイエンスと仏教の折り合いをどのようにつけるかを深く悩まれていた。その折り合いをつけるための哲学的な考察がこのご本となっている。
その後は、明治大学の非常勤講師を勤めていた時期もあり、私とは同僚としての付き合いもあったが、互いに忙しくて少し疎遠になっていたのは事実である。
一昨年、がんと闘っていることは、早くから従兄経由で知らされていた。闘病中に知り合いお坊さんと一緒に何度もうかがおうと試みたが、体調すぐれない中でのスケジュール調整がままならなかった。
そして、ついに会えないままにお別れすることになってしまった。
なくなったのは、本年3月のころである。
テレビでは、はじめは病気とはとても見えない元気な姿も見られて、うれしく。胸が高鳴った。
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ありのままの最期 末期がんの“看取(みと)り医師” 死までの450日
NHKドキュメンタリー 2017年9月18日(月) 22時50分~23時40分

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しかし、見続けているとそれは一筋縄ではない人の最期を見つめることになっていった。

テレビの中の田中雅博先生。背中はその奥さんである貞雅先生。貞雅先生も仏門にあり、医師でもある。
写真はクリックすると拡大する。
NHKのホームページから
20170918

表題の通り、そこにあったのはありのままの人の生々しい最期である。ご本人は失われてゆく理性を自覚することになる。常に死を覚悟してその泰然と教えに従っていた僧侶として、また聡明な科学の徒である医師として、必死にその非理性とあらがう姿に涙した。判断力を失い、助けを求めて奥さんの名前を呼び続ける様子にも胸を突かれる思いだった。

ご冥福をお祈りいたします。

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(準備中)
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琵琶


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