カテゴリー

  • 日記・コラム・つぶやき
  • 経済・政治・国際

« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »

鈴蘭の紅き子--人生に詩歌あり(26)

2017/10/31
鈴蘭の紅き子--人生に詩歌あり(26)

老いると思うに任せないことが少なくない。仕事がない、お金がない、力がない、、、わびしいばかりだ。
今朝、枯れ始めた庭を見ると赤いものが目についた。
枯葉の中にうずもれるようで、むしろそれを払いのけるかのような力強い異彩を放っている。
近寄ってみると鈴蘭(すずらん)の実だった。
1年間の生きるための戦いの末、葉はボロボロですが、最期にこの実を実らせている鈴蘭は、その生きざまが見事だ。
人もかくありたいものである。

鈴蘭(すずらん)は 枯れても紅(あか)き 子を成せり(琵琶)

枯葉の中の鈴蘭

201710311

鈴蘭の実に接近

201710312

おいしそう!!! 
でも食べないこと。
鈴蘭は花も根も実も猛毒で、誤って食べると死に至ることもある。

琵琶

△次の記事: 人生に詩歌あり(27)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/11/--27-b2a3.html
▽前の記事: 人生に詩歌あり(25)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/10/--25-f6d5.html


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  人生に詩歌ありシリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)


思考効率と思い込み--独創力の創り方(31)

2017/10/20
思考効率と思い込み--独創力の創り方(31)

今回は人間の思考が誤りやすい理由(わけ)を人工知能(AI)の最新事情から解説したい。

1. NHK 人間ってナンだ?超AI入門 第2回「感じる」
https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20171013-31-14601
東京大学大学院 特任准教授 松尾豊 さんの番組といってよいが、ゲストも豪華である。
【ゲスト】元陸上競技選手…為末大,カリフォルニア大学バークレー校 教授…ケン・ゴールドバーグ,中部大学工学部 准教授…山下隆義,ロボットエンジニア…石井孝佳,【解説】東京大学大学院 特任准教授…松尾豊,【司会】徳井義美,【声】茅原実里
9月13日(金)、テレビで東大松尾先生のAIの番組(シリーズの2)をやっていた。
ゲストの為末大が身体活動と脳の働きをしばしば体験的に解説していて、大変面白い番組でした。松尾先生が完全に為末大の解説に後れを取っていて、学者が「職人」の到達域に追い付いていないという(当たり前の)現実を見せつけられた。為末大は私の記憶違いでなければスポーツ心理学を学んでいたはず。ただのアスリートではない。
文部科学省的からの評価は高くないが、世間的評価では松尾先生はAI研究者では最高峰である。しかし、脳全体に対する大局観では全くダメということもよく分かった。テレビを見ながら松尾先生の発言に失望して私がため息をつくたびにそばにいた息子がびっくりして「どこが違うの?」と質問攻めにあうことになった。ディープラーニングに特化して研究されてきた方なので、他の人工知能分野も脳化学も勉強する機会が少なかったようである。
番組テーマは、「身体があって脳機能が発達する」というもので、蝕覚、視覚、圧覚、、、がなくしては脳が機能しないことと、ロボットにモノをつかむことを教えるためにはどれだけの知能が必要あり「ディープラーニング」では訓練(試行錯誤)の回数が非常に多数必要であることなどが紹介されていた。
ヒトはディープラーニング的な身体的記憶(手続き型の記憶)の形成に加えて、その内部に立ち入って解説はできなくとも、これを外在的に理解して制御する能力を持っている。ディープラーニングだけでロボットに「モノをつかませる」のはあまりにも非効率であることが映像からも明らかだった。ヒトは当面の身体的記憶(手続き型の記憶)の形成をはかりながらそれを概念的にとらえて、他の身体的記憶との連携、関連付けをはかって、高度な知識・思考と戦略・行動へと転換(アウフヘーベン)してゆくと私が見ている。私の見方に従えば、次第に高度化される概念的知識はその程度に応じて身体的知識(手続き型の記憶)を修正したり、利用方法に制約や工夫を加えていく。言語領域の知的活動と身体的記憶(手続き型の記憶等)とは相互に影響しあう密接な関係がある。
言語領域の知的活動との協調活動によって身体的記憶(手続き型の記憶等)は効率よく、少ない試行錯誤で完成に達してゆくのである。
現在のディープラーニングは、ヒトができる言語領域の知的活動との協調活動との連動・協調動作を全く想定しないので、知能ロボットに何万回試行錯誤させても、それだけではロボットの腕が不定形なものをつかむことができるようにならない。物の形を変えるとまた一から出直しなので、悪無限的な試行錯誤が続くことになってしまう。地球に許されている時間はそんなにないぞ、と言いたいくらいの時間がかかるように映像からは見て取れたが、松尾先生はこの場面の説明は一切しなかった。
松尾先生は、ディープラーニングは人工知能だけのものでヒトにはない能力であるかのような解説をしていたが、それは間違いである。ヒトにある機能だからこそ、それを技術界の人間が真似て人工知能(AI)の一種とみなしているのである。そもそも「人工知能(AI)」とは人間の知能と同じようなものを人工的に作ったものという意味なので、ヒトにない機能をまねても(作っても)「人工知能(AI)」とは呼ばれない。
「ヒトは、退屈してあきらめてしまうくらいの試行錯誤が人工知能にはできる。ヒトの身体的記憶を特定分野では越えられることがある」が正しい解釈というものである。
たとえばモンテソーリは幼児期から普通の家庭では得にくい身体的記憶の形成を五感を通じて徹底的に与えながら、身体的記憶(手続き型の記憶)を概念化して言葉の記憶と結び付けてゆく教育をしているものと解釈できる。
身体的記憶(手続き型の記憶)の形成は極めて重要ですが、兄弟もいない、共働きで両親との接触も少ない一人っ子が身体的記憶の形成から遠ざけられている現実があある。それらを補う遊具・教材を拡充してきたのがモンテソーリが有効なのであろう。
逆に、「身体的記憶の形成を五感を通じて徹底的に与え」ながら、「身体的記憶を概念化して言葉の記憶と結び付けてゆく」教育であれば、モンテソーリに限らないともいえる。見方の角度を変えて「モノ・コト体験」と「哲学」が大切、と言い換えても良いかもしれない。
私の36年間の教育実践(社会的学習理論に基づくもの、最近では「アクティブラーニング」と呼ばれているが)もかなりこれに近いものだった。「概念形成」は文化系的と見えるかもしれないので、言ってみれば私の方法論は「文化系的理系教育」だった。「数学は演繹法で成立しているが、数学を教えるためには帰納法的に教えよ」とは教育法の常識である。これを拡張して「理系学問の多くは演繹法で成立しているが、これを教えるためには帰納法的に教えよ」というのが私の考えだったのである。
今、日本ではプログラミング教室が流行中ですが、幼児向け・児童向けのプログラミング教室は遊具に満ちている。遊具の種類は違うが、遊具を多用するという点ではモンテソーリによく似ている。電子機器との複合系となっている遊具(電子遊具)が多いとはいえ、基本は、「身体的記憶の形成を五感を通じて徹底的に与え」ながら、「身体的記憶を概念化して言葉の記憶と結び付けてゆく」教育になっていることは、注目に値する。パソコンは電子遊具の一つと考えられているといってよいと思う。

2. 500万回の試行でアルファ碁を超えるAIソフトの登場
時事通信 10/19(木) 2:06配信は、以下のニュースを伝えた。
アルファ碁、さらに進化=自己学習のみで最強に―グーグル
-----------------------------------------------
アルファ碁、さらに進化=自己学習のみで最強に―グーグル
10/19(木) 2:06配信 時事通信
昨年3月、世界最強とされる韓国人棋士に圧勝した囲碁人工知能「アルファ碁」の改良版「アルファ碁ゼロ」が開発され、旧アルファ碁との対局で100戦100勝の成績を挙げた。
旧アルファ碁は過去のプロ棋士の対局を学習し、アルファ碁同士の対局(自己対局)を繰り返して進化を遂げたが、アルファ碁ゼロは「お手本」を必要とせず、自己対局だけで世界最強の能力を身に付けた。論文は19日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲載された。
人工知能(AI)はさまざまな分野で目覚ましい進化を遂げているが、最初の学習には人間の専門家による知識が必要で、データ化や入手が難しいなどの問題があった。
米グーグル傘下の英グーグル・ディープマインド社が開発したアルファ碁ゼロは、過去の対局などの学習用データ入力なしに、白紙の状態から自己対局を繰り返して、指し手や盤面の評価を自ら学んでいくプログラムを搭載。旧アルファ碁では、人間の指し手の学習と訓練に数カ月かかっていたのに対し、アルファ碁ゼロは数日間、約500万回の自己対局で性能を向上させた。プログラムの改良により、計算に用いるコンピューターチップの数も少なくて済むという。 
-----------------------------------------------
500万回の試行ですか! すごいですね。
しかし、これは、コンピュータ上に作った仮想空間だからできることである。
実際の碁盤を使って、ロボットアームが石を置いて試行を繰り返すのでは時間がかかりすぎる。一手に1秒としても、1局打つのに300手と仮定すると59分、約1時間である。500万時間とは570年くらいになる。ロボットアームで学習させるのは現実的とは言えない。
松尾先生の番組で、ロボットアームを使って「モノをつかむ」動作を繰り返して学習させようとしている場面があったが、1つの形状と重さの物体の持ち方を学習するだけでも500万回は必要がなくても相当な回数は必要と推測される。少し形状が異なるもの、または重量が異なるもの持ち方を学習するにはまた同じ数に近い回数学習させなければならない。どれだけ学習させなければならないか、途方もないことになる。「地球に残された時間はそんなにありません!」と叫びたい状態になる。
ところが、人間の赤ん坊は、相当な数の試行はするがせいぜい数十回、多くとも数百回だろう。最初は小さなお菓子、スプーンなどから始めるだろうが、数回試して同じような形状と重さのモノをつかむようになれば、似たようなものは類推を働かせてつかもうとするので、試行回数は格段に減らすことができる。別の形状や重量の異なるものをつかむごとに、過去の経験で得た知識から類推できる範囲が広がり、1回は失敗するかもしれないが、2回目には成功したり、最初から成功する確率が高まってゆく。ディープラーニング任せの機械学習よりもはるかに効率よく学習していることがわかる。赤ん坊と言えども、動作手順についての抽象化とその現実的な適用ができることがわかる。
機械学習はあくまでも機械的に学習しているのに対して、ヒト(赤ん坊を含む)は、単に機械的に学習しているわけではなく、抽象化と具体化の知的活動を自然と行っているのである。
第三次ブームの人工知能は、この機械学習に終始している。第二次ブームの際には、抽象化が完成した知識を人間がコンピュータに投入しておいて、現実的適用を巧みにできるようにしていたのである。両者が別々に存在していたら、最新の人工知能AIといえども赤ん坊にも劣ることになる。
逆に言えば、人間は実に賢いのである。
ヒトはディープラーニング単独で学習するよりも効率よく学習する仕組みを備えているのである。ヒトではディープラーニングに相当する身体的記憶(手続き記憶)と、これとは異なる概念的思考が相互作用しているに違いない。

3. ヒトによる思い込みの間違い
では、どんな場面でも人間の頭脳のほうが優れているかというとそうとも言えない。
ではディープラーニングなのかと言われれば、それも断定できない。
どちらも一長一短なのである。

●AIのデーブラーニング学習
・良い点
 恣意性が排除される
・悪い点
 必要試行回数が膨大なので、仮想化志向ができるものにしか適用が困難

●人間の手続き型の学習(小脳の記憶の一つ、身体的記憶)
・良い点
 大脳の活動である概念的思考(ヒューリスティックス、経験的知識)との協調によって、きわめて効率的で、必要試行回数が極端に少なくて済む。
・悪い点
 本質的に恣意的であり、概念的思考(ヒューリスティックス、経験的知識)はしばしば未熟なので、ひんばんに誤った学習をする。

20171020

コンピュータが実行するディープラーニングの利点は、恣意性を免れていることと仮想空間のなかでは高速で超多数回の試行ができるということである。試行を飽きずにできるから多数回できるともいえるが、多数回実行する以外に正しい会には到達しないのである。
人間が行っている学習は、ディープラーニングの真似元である身体的記憶(手続き型の記憶=小脳の働きの一部)と概念的な思考(経験的知識=大脳の知識)が相互に助け合う関係で効率的な学習をしており、試行回数は劇的に少なくて済む。その代わり、大脳の知識はしばしば未熟なので、ひんばんに誤った学習をしてしまう。一度誤った思い込みをしてしまうとその後形成される記憶や知識もこれに影響されて歪んでしまうので、記憶や知識はとめどなくゆがみ続てゆく危険性がある。その過ちには本人では気づきにくいので、行動を共にする仲間がはづいて本人に告げて初めて自分の知識の異常さに気づくことになるのである。これは、心やすい仲間との自由な対話が人の学習には欠かせない理由の一つでもある。
知識獲得においては効率化のメリットと思い込みのリスクが取り合いになっており、後者のリスクを減らすためにはディスカッション(コミュニケーション)が必須なのである。
このように考えれば、創造活動においてもこのメリットとリスクの現実から逃れられないので、自らの経験的知識を活用して体験的知識を効率よく取り込み、個人的な思い込みといわれる湯が持を取り除くためにディスカッションをすることが必要ということになる。

△次の記事: 独創力の創り方(32)
(準備中)
▽前の記事: 独創力の創り方(30)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/10/--30-fe5b.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  独創力の創り方シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

松木に詫びる--人生に詩歌あり(25)

2017/10/20
松木に詫びる--人生に詩歌あり(25)

庭の松の樹が巨大化して生活の邪魔になってしまった。
松の枝の下枝打ちをした。邪魔な大枝をいくつか切り落とした後、朽ちかけた枝も整理しようとしたところ、残すべき枝を誤っていくつか切り落としてしまった。
愚かなり、慙愧に堪えない。

晴れ間迫(せ)く 朽ち枝落とし しくじりて 松木に詫びる 秋雨(しゅうう)また降る

琵琶

△次の記事: 人生に詩歌あり(26)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/10/--26-ff9b.html
▽前の記事: 人生に詩歌あり(24)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/10/--24-b6fd.html


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  人生に詩歌ありシリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

父の手向け(たむけ)や・・・庭の花と樹と虫--人生に詩歌あり(24)

2017/10/16
父の手向け(たむけ)や・・・庭の花と樹と虫--人生に詩歌あり(24)

10月になると白い秋明菊(しゅうめいぎく)の花が庭を飾るようになる。厳しい寒さが始まることを告げる冬告げ花でもある。
これまで、家業の手伝いばかりして、社会に交わることが少なかった息子が、いくつもの資格試験に挑戦して、ビル管理の仕事に就くことになった。10月2日(月)が初出社だった。
朝も早く、寒さも厳しくなる。ヒトとの交わりに粗相はないか、、、。
父の杞憂は尽きない、、、。

華やいで 秋明菊(しゅうめいぎく)の 笑顔あり 父の手向け(たむけ)や 門出の子あり
小春日の 秋明菊(しゅうめいぎく)の 笑顔あり 父の手向け(たむけ)や 巣立ちの子あり

Img_0389_2

琵琶

△次の記事: 人生に詩歌あり(25)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/10/--25-f6d5.html
▽前の記事: 人生に詩歌あり(23)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/09/--23-1270.html


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  人生に詩歌ありシリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

「島嶼性矮性化進む日本の経営戦略が知性をつぶしている。」/Dr. Robert Cole & 新谷勝利氏: システムを考える会 --感性的研究生活(82)

2017/10/12
「島嶼性矮性化進む日本の経営戦略が知性をつぶしている。」/Dr. Robert Cole & 新谷勝利氏: システムを考える会 --感性的研究生活(82)

昨日(10/11)14:00~17:30、王子ホールディングス1号館で
「システムを考える会: Dr. Robert Cole セミナー」
が開かれた。
Dr. Robert Coleは、米カリフォルニア大学バークレー校名誉教授で、日本のIT業界の研究者として知られている。
コーディーターは、新谷 勝利さんで、元IBM、現在は(独)情報処理推進機構(IPA)ソフトウェア・エンジニアリング・センターに勤務している。
参加メンバーは以下の通り。
-----------------
1 Robert E.Cole UNIBERSITY OF CALIFORNIA Berkeley
2 新谷 勝利 新谷ITコンサルティング
3 飯箸 泰宏 株式会社 サイエンスハウス
4 大岩 元 慶應義塾大学名誉教授、(一社)協創型情報空間研究所
5 上村 務 元IBM Rational AP CTO
6 甲斐 英隆 ConfluCore日本代表取締役
7 細川 義洋 内閣官房 政府CIO補佐官
8 西住 浩樹 王子ホールディングス(株)
-----------------
Dr. Robert E.Cole氏からは「How to get the buy-in from managers and senior executives on the importance of IT professional education?(どうしたらIT専門教育に経営者や上級管理職を本気にさせることができるか)」という事前課題が出されて、それぞれが回答を持ち寄り各自10分間のプレゼンテーションを行った。議論はすべて英語で行われたが、私だけはわがままを許していただいて日本語で発言した。新谷勝利さんが日本語 to Englishの通訳をしてくださった。
私のプレゼンテーションは「島嶼性矮性化進む日本の経営戦略が知性をつぶしている。」というもので、その資料は添付画像の通りである。

1

2

3

4

5

実際はこの資料の英訳版が使われたが、そちらは末尾に添付する。英訳は前日の夜、新谷さんが付けてくれた。深謝である。

他の方の英語は半分も聞き取れなかったが、どうやら、最後のほうで発言した私の意見に皆さんのご意見が収束したようである。
私のプレゼンの趣旨は、次のとおりである。
1.教育について
日米のシステム教育には内容に大きな違いがある。たとえばデータサイエンスでいうと、日本ではSTATAやR言語のオペレーションの勉強になってしまうが、アメリカでは混沌としたデータから意味を取り出す考え方を統計学として学ぶ。アメリカのシステム教育はクリエイティブ・プログラマを育成し、デザイン・シンキングを徹底的に訓練する。日本では、もっぱら従順なオペーレータになることを学生に要求し、モノを考える誰かから要求された通りにオペレーションする態度を学ぶのである。日本では、クリエイティブ・プログラマを育成しないし、デザイン・シンキングを学ばない。
2. 産業界からシステム技術者に対する要求
<アメリカの場合>
・仕様書通りにコードを書くこともできる
・仕様書に書かれていないことを見抜く
・創造的な提案ができる
・知恵は社内に蓄積することが必要なので、知的人材は社内におく。
・生み出す価値に見合う対価を払う
<日本の場合>
・仕様書通りにコードが書ける
・仕様書を超えてはいけない
・従順で奴隷のように黙々と働ける
・知的人材は文句が多いので、社内に置かず、必要に応じて外注する
・できるだけ安い労働力であること
実は、折しも、日本経済新聞は中田喜文同志社大学教授による「ソフトウエアの価値創造と日本」が連載されていた。中田教授はCole氏と親しく、共著もある関係である。中田教授も私と類似の問題を指摘していたが、その原因は日米の給与差であると断じている。今回の「システムを考える会」の前日、その連載の5回目(ソフトウエアの価値創造と日本(5) 中田喜文 同志社大学教授 SE給与、米国は5~7割高く 2017/10/9 2:30日本経済新聞 電子版)で、これを主張していた。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21974070W7A001C1SHE000/
私は、これで済ませるのは不満であることを表明した。なぜ賃金格差が生じてしまうのかを明らかにしないと解決の糸口はえられない。なぜ日本の経営者はシステム技術者を大切にしないかの理由を明らかにしようとその場で呼びかけた。
3. 日米の経営戦略の違い
<アメリカの場合>
アメリカ企業の経営戦略は基本的に「グローバル」ビジネスに向いている。この点が日本とは違う。
敵は国内だけではないので、すべてをつぶすことはできない。世界のどこからライバルが現れようと迎え撃って勝てるよう一歩でも前に進むことを戦略の基本に置いている。つまり「イノベーションなしに生存なし」というスタンスである。世界のどこかからライバルが現れたら、戦うにやぶさかならずというのがアメリカの企業戦略の基本である。そのためには自社のイノベーションの助けになりそうなベンチャを支援して取り込み、自分たちの力にしようとするのが当たり前である。また、ノウハウと知恵を社内に蓄えて自分たちの戦力にしたいがゆえにシステム要員は社外ではなく社内に抱えるのである。
・原則 ライバルをつぶして生き残る
    イノベーションは会社を救う
・派生1 ライバル社に取られる前に有望なベンチャは取り込んでおく
・派生2 経営のイノベーションのために知的人材は大事にする
<日本の場合>
日本企業の経営戦略は基本的に「鎖国」ビジネスにしがみついているのである。かつては言葉の壁に守られて日本の市場は日本企業だけのモノであった。日本の市場で生き残るのは、国内にいるライバルをつぶすことで成功した。市場が国内に限定されていたので逃げ場がないために競争は熾烈化を極めていた。島嶼的矮性化が進行して、身を守るには、イノベーションを繰り返して進化するよりは、他社の足を引っ張り、省エネ・エコ経営で、直接生産に関係しないIT部門は切り捨てて矮性化してゆくことを選んでいるのである。
また、日本の経営者にとっては同業他社ばかりが敵ではない。ベンチャも力があると見たらつぶしておかねばならない。いつライバルに成長するかわからないし、他社がそれを利用して対抗してくるかもしれない。ベンチャを育てるなんてとんでもないことで、何としても引き付けて赤字を押し付けてつぶしておかねばならない。という戦略が採られるのである。
それだけではない。経営者は社内のライバルもつぶさなければならない。いつ寝首が搔かれるか分かったものではない。ライバルのミスを見つけて大げさに宣伝してやるのが優先である。新規事業の提案なんてことをすれば失敗のリスクは高まる。ミスを犯せばたちまち自分は転落してしまう。口が裂けても提案などできやしない。
システム屋も [数値をあれこれ分析して] 経営方針にやかましいことをいろいろ言うので、自分の社内権威が汚れて仕方がない。システム屋は決して増長しないように勉強させないし、増やさない。必要があれば外注すればいい。外注は言うことを聞かなければいつでも取り換えることができる。社内にシステム屋を雇ったら、そう簡単にクビにはできないので、長い間、彼らの「理屈」に付き合わされる。まったくうんざりだ。というわけである。
・原則 ライバルをつぶして生き残る
    イノベーションより生き残り
・派生1 将来ライバルになりそうなベンチャはつぶす
・派生2 自己の社内的権威を脅かす知的人材は根絶やしにする
4.日本の経営者に教えたいこと
(1)いまさらだが、ビジネスは国際化している。
 国内のライバルをつぶしても、ダークホースは世界のどこから出現するかわからない。
 社内の知恵者をつぶしても、世界の知恵者を全員つぶすことはできない。
(2)イノベーションこそ生き残りの道である。
 世界の敵をすべてつぶすことはできない。敵は見えないところにいると覚悟せよ。
 だれよりも先に行くことしか生き残りの道はない。
(3)ベンチャと知恵者は怖くない。
 ベンチャは敵ではない。味方にして戦力にすべきだ。
 社内の知恵者とは友達になって、味方を増やそう。
 経営者よ、イノベーションの旗手になろう。

事後、風邪気味という Cole さんを除いて、時間の許すメンバー5名はすぐ近くのカレー専門店「ナイル」に移動して、会食・歓談した。「ナイル」はずいぶん久しぶりだが、お任せコースをたっぷり堪能することができた。
これだけの論客の中で、一定の存在価値を示すことはできたことに満足した一日だった。

補足1
島嶼化とは、進化生物学など使われる用語だが、移動が制限された地域で同種の生物の生存競争が激化して、その結果、遺伝的変化が起こって身体が小さくなるなどの傾向が生まれる。条件によっては大きくなる現象もあるが例外的である。
島嶼化・・・island rule
島嶼矮化・・・Island dwarfing (Insular dwarfism)
Wikipedia「島嶼化」
https://ja.wikipedia.org/wiki/島嶼化

補足2
英文化した資料(新谷勝利氏に感謝する)

1_2

2_2

3_2

4_2

5_2
 
△次の記事: 感性的研究生活(83)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/11/it-seasigedu--8.html
▽前の記事: 感性的研究生活(81)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/09/kariageccs---81.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  感性的研究生活シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

哲学の復権--独創力の創り方(30)

2017/10/06
哲学の復権--独創力の創り方(30)

テレビなどで「哲学」がもてはやされるようになりました。幼児教育に「哲学」が導入される動きも活発です。まちばには「哲学カフェ」もあふれています。大変良いことですが、「哲学」がこのまま流行にまみれるとたちまち傷だらけ泥まみれになって、地に落ちてしまう恐れも感じています。
「哲学」とは何なのかを、今は、しっかり考え(哲学し?)ておくことが大事だと思っています。
今どきの「哲学」は古ぼけたかび臭い「不変理念」であるかのような誤解が一般社会にはあるように思います。また、まちばの「哲学カフェ」には、特定の哲学者や米人経営コルサルタントの一人を「教祖」としてあがめて著書を教典のように輪読するひどく偏ったものが散見されます。一方の大学の哲学では教授になれた方の「学者の思い付き」(キラキラネーム風)が根拠乏しいまま「哲学」として扱われています。「哲学教育」の名の下で「ものを考えない、イエスマン教育」にねじ曲げたい人たちも少なくありません。今や、イエスマンでは就職できる道がないにも関わらずです。
人工知能の研究開発と創造性教育に全力を注いできた私には、良い時代が来たという喜びとせっかくの「哲学」が地に落ちて泥まみれにされる危険に対する危機感が強くなっています。
「哲学」はグローバル・グランド・セオリーを豊富化し、維持するための人知のことです。

ギリシャに始まる西洋哲学(愛智)は、ソクラテス以前の自然理解の学問をもとに次々と新しい分野が付け加わりました。
ソクラテス以前・・・自然哲学(窮理、今風に言うと自然科学)
ソクラテス・・・論理学
プラトン・・・倫理学
ヘレニズム文化・・・宮仕えの道徳
(アリストテレスは、プラトンを継ぐ立ち位置で、自然哲学を踏まえて論理学も倫理学も含んだ思想を展開しました)

自然理解をベースに論理学、倫理学、数学、社会学、政治学などが付け加わって巨大な統一的な世界観(グランド・セオリー)を作り上げている/行くものが哲学でした。
すなわち、中世までの哲学は世界を知る「グランド・セオリー」と「グランド・セオリー」を理解し、また新しいセオリー(ナレッジ)をここに付け加えたり、過ちを糺したりする学問でした。
中世後期またはルネッサンス期ころから、天文学の分野で盤石と思われていた天動説が崩壊し、グランド・セオリーの屋台骨が崩れます。電気、化学、力学などの分野でも、それまでのセオリーに反する科学的知見が次々と現れ長く保たれてきたグランド・セオリー(グランド・ナレッジ)は、ずたずたになってゆきます。この時代には商取引が盛んになって、新しい商業倫理(コスモポリタニズム)がプラトン以来の「(高級市民のための)倫理学」やヘレニズム文化由来の「(君主制のための)宮仕えの道徳(イエスマン思想)」が崩壊してゆきます。
哲学は没落していました。
これを救うためにヘーゲルは哲学から「グランド・セオリー」を切り離して、知の方法論にのみ特化することに活路を見出します。当時点でのグランド・セオリーの誤りを指摘して糺すこと、新たな知見を得ることのための方法を弁証法としてまとめます。その他の分野は個別の学問にゆだねることにして大学では「哲学」の学舎だけではなく専門学部(法学部、理学部、、、)を作り出してゆきます。結果として、グランド・セオリーの良しあしに哲学は責任を負わないことにしたのです。ソクラテスの「問答法」、プラトン・アリストテレスの「弁証術」など「グランド・セオリー」を守り育てる技法として発達したものを「グランド・セオリー」から切り離して、洗練させたものが「ヘーゲルの弁証法」です。
しかし、哲学が人類の共通の英知であろうとしたのはヘーゲルまでであり、その後の弁証法は政治闘争の理論(マルクス・エンゲルス)になって、「愛智」からは遠くなりました。
他の哲学の潮流も万人が認識して批判にもさらされて糺される「グランド・セオリー」から解放された(逃れられた)ために、次第に「個人の思い込み理論」になって行きます。今や大学の哲学科を見ればその堕落ぶりは目を覆いたくなります。
教授ごとに「違ったことをいう」のが偉いことになっていますから、根拠なく(根拠はごく私的な心的体験、多くは異常心理的体験によりかかって)勝手な思い込み理論をできるだけ華々しく言い立てる有様です。
今、「日本に哲学を」という際に、「哲学を(かつては君主制に適合した)道徳(イエスマン教育)」にしてしまいたい政治圧力や異常心理に突き動かされている哲学教授ごとの異端(破綻)思想から、本来の「哲学」をしっかりと守らなければならないというのが私の切なる思いです。
中世後期またはルネッサンスになり、知識の量が膨大になり、人がすべての「知」を統一的に理解することができなくなったために、哲学の堕落は始まっていると思います。天動説が崩れても地動説に替えて「グラント・セオリー」を再構築できなかった理由は、地動説を取り入れて再構築に時間をかけている間に電気の知識も化学の知識も物理学の新しい知識も沸き起こってくるので、そのたびに「グランド・セオリー」は壊され、再構築が要求されるので、とうてい人知では再構築が間に合わなかったというのが実情であると思います。
いまこそ私は哲学の再興が必要であり、可能性があると考えるのは、人知が及ばなくなった「グランド・セオリー」が人工知能によって実現できる可能性が強まっているからです。
たとえば、WIKIPEDIAのように多数の人が参加するネット百科事典のようなものが人工知能によって運営できるようになれば、今よりもはるかにスピーディにエビデンスの有無の判定、新規性、独創性の判定とともに、「(AI百科事典となった)グランド・セオリー」内での無矛盾性も判定でき、矛盾が発見されれば、直前までの「(AI百科事典となった)グランド・セオリー」の内部の不備なのか、新しい知見とされたものの間違いなのかの判定もより中立性をもって(尊宅抜きに)短い時間で判定できるようになることが期待できるからです。
ここでは詳しくは述べませんが、ヒトは「(AI百科事典となった)グランド・セオリー」にすべてを任せておけばよいのかというとそうではないと思います。ヒトは相変わらず自分が生きてゆくに必要な知識を極力たくさん自己の頭脳にいれて行動し、困難に突き当たった場合には「(AI百科事典となった)グランド・セオリー」に尋ねて自己の知識の不足を補い、過ちを糺してゆくことになるはずです。近代人が勉学に努めて、なお不足あれば先人を訪ねたり、書物を読み漁って自己を鍛えてきたのと基本的には変わらない行動様式がこれからも続くと私は思います。
哲学の復権は、グランド・セオリーの復権とともにあるというのが私の考えです。また、そのグランド・セオリーは、刻々と過ちが糺され、豊富化されてゆくものであり、過ちが糺されたり豊富化されつづけるには、ヒトも(AIだけではなく)常に参画し続けなければならないと思います。哲学は日々起こすことになる知のイノベーションの方法なのです。かび臭い固定観念ではありません。
ゆとり教育での失敗は創造性は知識なく生まれると考えたところだろうと思います。長く創造性教育に集中してきた私の体験から、パーソナル・グランド・ナレッジのない(頭空っぽの)学生の創造性はおおむね貧弱だったと報告させていただきます。パーソナル・グランドナレッジをしっかり身に着けて成長してきた学生は多くの場合(良い教師に巡り合えば)少しの教育でたちまち創造力を発揮するようになります。いずれの学生の場合も例外はいますが、例外は少数です。
幼児の「哲学」の眼目は、「多様な遊具を利用した創発的な遊び」、「母親(および父親)との愛着の形成」、「両親からの対話(問答法)を通じた知識の伝達(獲得)と脳内形成(複合化・高度化)」「子供たち同士の対話(弁証術)」「親子または兄姉およびこれらに近い関係の大人たちとの対話(弁証術)」によって、パーソナル・グランド・セオリーを獲得し、過ちを糺し、新しい知見をパーソナル・グランド・セオリーに付け加える独力の術を身に着けることだろうと思います。
マスコミが取り上げたフランスにおける幼児教育の「哲学」は、倫理でも道徳でもなく、「子供たち同士の対話(弁証術)」「親子または兄姉またはこれらに近い関係の大人たちとの対話(弁証術)」に集約していました。私が列記した子供の哲学に必要な事項にいずれも含まれています(が、全部をカバーしているわけではありません)。
「知るは人生最大の楽しみなり」です。パーソナル・グランド・セオリーは、他人やAI百科事典との対話(弁証術)を通じて「パーソナル」ではない「グローバル・グランド・セオリー」に貢献してゆくことにつながりますから、結果として子供たちは自己実現の歓喜を味わうことになるはずです。
子供たちに「服従のための道徳論(イエスマン教育)」や「異常心理の異端(破綻)思想」は無用であると思います。
(補足)ここでは、伝統的な言い回しで、「グランド・セオリー」という言葉を主に使いましたが、人工知能の立場から見ると「グランド・ナレッジ」と言い換えるべきものです。ナレッジ(知識)=「問われたら答えられる能力=条件分岐がついた能動的な記憶」とされているからです。

△次の記事: 独創力の創り方(31)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/10/--31-4eae.html
▽前の記事: 独創力の創り方(29)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/08/-2017-2--29-1fa.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  独創力の創り方シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »