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お仕着せアクティブラーニングは"人形芝居"~操られ上手を育てて何になる--感性的研究生活(88)

2018/04/29
お仕着せアクティブラーニングは"人形芝居"~操られ上手を育てて何になる--感性的研究生活(88)

4月26日、18:00~21:00という遅い時間帯に、久しぶりに少し熱の入った講演をさせていただきました。
会場は、明治大学のリバティター9階でした。
「第77回SH情報文化研究会(幹事=飯箸泰宏・貴美子)」と「第3回エクスターンシップ研究会(代表=阪井和男明大教授)」の共同開催です。

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1. 開催に至った経緯
(1)第1回エクスターンシップ研究会
そもそもは、第1回エクスターンシップ研究会(学生を地方都市に集結させてフィールドワークと宿での授業を行ういわば出張大学の成果発表会)に参加したことが始まりでした。エクスターンシップ事業のチャレンジには感嘆し、参加された先生方と学生の獅子奮迅ぶりに敬意を覚えるものでした。
しかし、その中で行われている、アクティブラーニングとくくられている活動にかなり引っかかるものを感じました。まず、時間的余裕がないためでしょうが、教師がシナリオを書いて学生らにその通りの企業インタビューをさせるという場面が報告されていましたので、私が「それは学生の自発的活動ではないのでは? 目標設定と計画も学生たちに作成させることが大切なのでは?」と疑問を呈すると、「学生に目標設定させるのは(能力的に)無理がある」とおっしゃる方(大学教員や社会人教育専門家の方々)が複数反論されたので、私からは「学生らにはその能力があるし、そのような実践をさせることも可能です」と小さく再反論させていただいた。会場は凍り付いたようになってしまったので、それ以上の発言は控えることにしたが、その会はそのまま終了となってしまった。少しとげが残ってしまったかなというのが私の心残りでした。

(2)第2回エクスターンシップ研究会
第2回エクスターンシップ研究会にも出席して、皆さんとの良好な関係を取り戻したいと願っていましたが、その日は別の優先案件と重なって参加不能となり、やむなく欠席してしまいました。内心では(欠席裁判で)「もう二度と来させるな」と言われているのではないかと気が気ではありませんでした。私は、見かけによらず気が小さいのです。
しかし、その後、エクスターンシップ研究会の事務局から連絡があり「これからのエクスターンシップをどう進めるかについての講演をしてほしい」という趣旨の連絡をいただきました。わっ、大変、よもやとは思うが私を公開裁判にかけようというのかな、というのが私の偽らざる第一印象でした。趣旨を詳しく伺うと「もやもやしていることをもやもやと話してほしい」というようなことでした。しかし、体験上、もやもやをもやもやと話して良いことは一度もありませんでした。立場をあいまいにしてもやもやした話をすれば、話している間に意見対立が進んで、最終的には決裂となるに決まっています。後味の悪い結末になります。決裂を避けるべく引くだけ引くという戦術をとれば、多勢に無勢ですから、以前と変わらない結論に達するのは目に見えています。
進むか引くか、決断に時間の余裕はありませんでした。「ここで逃げたら男がすたる。たとえ、サンドバック状態になろうとも敢然として受けて立つ」と腹をくくって、お受けすることにしたというわけです。そのほうが、おそらくあとくされのない良好な関係が続くというのが経験上の私の知恵なのです。事前の打ち合わせを1回させていただきましたが、その時には「断固前に(元ラクピー部員ですからね)」との気持ちを込めてお話しさせていただきました。
事前打ち合わせの結果は「好きに話してください」ということになり、好きに話をさせていただくことにいたしました。

(3)第3回エクスターンシップ研究会はSH情報文化研究会との共催
事務局によれば、参加者は10数名程度と見積もられていましたが、私のSH情報文化研究会も共催になったこともあり、結果として27名の参加となり、会場は満席となりました。
演者は、私一人で1時間半のお時間をいただき、その後の討論で1時間15分というゆったりとした講演になりました。
参加者の中には、阪井和男 明治大学教授以外にも、藤田伸輔 千葉大医学部教授、日下部元雄 元世界銀行副総裁、日下部恵美 立教大学大学院客員教授、若山昇 帝京大学准教授、矢部正之 信州大学教授など旧知の先生方もいらした。仕事仲間の中本浩之 考彩電算システム社長なども参加しました。
この方たちはほぼ全員懇親会に参加したので、懇親会でも議論は楽しく盛り上がったことは言うまでもありません。


2. 発表内容について
さて、発表内容はおおむね次のようなものでした。

(1)教壇に立った37年前から変わらない信念について
学生らに学歴をつけてあげるつもりは全くなかったこと、学生たちには「実力」をつけてもらおうと死に物狂いだったこと、をお話ししました。私が、退職するまでの36年間、この点では変わることがありませんでした。「実力をつけてもらいたい」という思いは、地の底から湧き上がるマグマのように私の心をいつも熱くするものでした。
「実力」とは、ヒトの生存活動(プロジェクト活動もその一つ)に必要な「生存活動サイクル」を成し遂げられる能力のことであり、それを成し遂げる過程で随所で必要になることが「創造力」なのです。

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(2)「生存活動サイクル」
「生存活動サイクル」の概要を図に表して説明しました。
発表時には「生存サイクル」としましたが、「ライフサイクル(誕生-成長-活躍-成熟-老化-死)」と紛らわしいことがよくわかりましたので、この記事では「生存活動サイクル」と言うことにいたします。

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「生存活動サイクル」は誰でも日常的にたどっているサイクルです。
ここでは目標=Goal、目的=Targetという意味で言葉を使用します。教育関係者はおおむねこのような使い方をしますが、他の分野、例えば医学関係者は目的=Goal、目標=Targetのように逆に理解していますから、この場での使用話法をお断りしました。
①目的の選択
「目的=Target」は「目標=Goal」に照らして、実現可能なものを選びます。
②情報収集
目的が決まれば、そのための「情報収集」を行います。
「情報収集」は脳内情報収集だけで足りることはほとんどありませんから、「仲間から話を聞く」「ネットを検索する」「本を読む」「専門家の意見を聞く」「現場に行ってみる」などの活動を行います。
③戦略戦術
ある程度の情報が集まると戦略戦術を考えます。戦略戦術はただ紙に書くだけのようなものではありません。まだ見ぬ現実の場面を豊かに思い浮かべて(予想して)、仮想実験(シミュレーション)を繰り返します。仮想してみると「あれれ、ここで、あれってどうなっているんだっけ」などと足りていない情報があることに気づくことが多いものです。その時は、情報収集に戻って調べなおして、改めて仮想実験(シミュレーション)を繰り返します。「これで、行けるぞ。ヨシ!」となったら、自助努力あるのみの実践に進みます。
④自助努力
自助努力は、仮想実験(シミュレーション)の仮想の成功体験をもとに進めてゆきますが、現実はそう甘いことばかりではありません。予期せぬことが次々に生じます。途中で「戦略戦術」-「情報収集」-「目的選定」などへのフィードバック(バックプロパゲーション=誤差逆伝播法)をかけて軌道修正をかける必要が生ずることも少なくありません。結果にたどり着いても、成功したとは言えないことの方が多いでしょう。特に初回のトライでは失敗が当たり前です。
⑤失敗か成功か
失敗か成功かの判定をします。満足のゆく成果があれば、目標達成のための別の目的に立ち向かってゆくことになります。目標のすべてを満たしていたら、その目標のさらに上位の目標(何のためにその目標を目指したのかを考えて)を設定しなおします。ひとの「生存活動サイクル」に終わりはありません。
⑥反省
失敗または満足のゆく結果でなければ「自助努力」「戦略戦術」-「情報収集」-「目的選定」などへのフィードバック(バックプロパゲーション=誤差逆伝播法)をかけることになります。失敗は「努力」が足りなかったからか、「戦略戦術」に間違いがあったからか、「情報」に不足があったからか、そもそも「目標」のための「目的選定」が間違っていたのかを反省することになります。
どんな目的を選んでみても、うまくゆきそうでない場合は、目標にした事柄にそもそも間違いがあったのかもしれません。目標もより高い視座からより広くものを考えて、設定しなおします。
目標(目的)を考えるのは、人はいかに生きるべきか、つまり、自分はいかに生きるべきか、人という生物種はいかに生きてゆくべきかを考えることでもあります。人は、この「生存活動サイクル」を一巡するごとに、深い哲学的な思考を余儀なくされているということにもなります。

(3)「生存活動サイクル」と「プロジェクトサイクル」
「生存活動サイクル」は、職業人にとっては「プロジェクトサイクル」のように見えなくもないかもしれません。
しかし、「生存活動サイクル」は、幼児であれ老人であれ、青年であれ壮年であれ、男であれ女であれ、職業人としてであれ私人としてであれ、どんな場面でもヒトが生きてゆく限り、逃れられるものではありません。
「生存活動サイクル」を援用して「プロジェクトサイクル」を書くことや言葉をプロジェクト向きに書き換えることも十分可能だし、実際、私はそうしています。

(4)まわる「生存活動サイクル」と まわらない「PDCAサイクル」
「生存活動サイクル」のこの図を作ったのは、今回が始めただが、類似の別の図を用いたり口頭ではあちらこちらで何度もお話ししてきました。このお話をすると、「それ(=生存活動サイクル)って、「PDCAサイクル」のことじゃないの?」という反応に何度も私は遭遇してきました。
結果としては、似ていないこともないでしょう。生産性本部(TQCのセンター組織)のような立場から見れば、解釈の仕方次第ですが、「戦略戦術」-->「P(Plan)」、「自助努力」-->「D(Do)」、「成功か失敗か」-->「C(Check)」、「反省」-->「A(Action/Ajust)」と見えなくもありません。

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引用元=ウイキペディア
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ネットでグクってみるとすぐにわかりますが、世間には「回らないPDCAサイクル」に四苦八苦している様子があふれています。「PDCAサイクル」がうまく回らないのは当然なのです。ヒトの活動の摂理の全体像をとらえていないのですから、無理が生じて回らなくなるのです。
第一に、私の「生存活動サイクル」は、どこからでもどこの部分にでも戻ることが可能なのに、「PDCAサイクル」は結果を出して反省(Act)するまで、最初のPlanに戻れない欠陥サイクルなのです。ヒトは考えながら実行するのが節理というものです。それにもかかわらず、「PDCAサイクル」ではやっている最中は考えてはいけないことになっているのです。こんなバカなことがあるでしょうか。私は言いたい、私の「生存活動サイクル」は「PDCAサイクル」とは別物なのですと。
第二として、「PDCAサイクル」には重大な欠陥があるからです。「PDCAサイクル」は、暗黙の約束事として「P(Plan)」から始まります。ちょっと待ってください。なぜ、そのプランを立てるに至ったのでしょうか。「現代のシャーマン」のようにドラッグでもやった挙句に「神の啓示」にでも撃たれたのでしょうか。正常な方には、「ブラン(戦略戦術)」の前に、「目的設定」とそのための「情報収集」の段階があるでしょう。「情報収集」なくして戦に勝てないのは孫子の昔から明らかです。さらに言えば、何のための情報収集かがはっきりしない漫然データ集めは成果が上がりません。目的=Targetがはっきりしていれば情報収集にも熱が入って良い情報が手に入りやすくなります。その目的=Targetも何のための目的=Targetかをあらかじめはっきりさせておかないと、目的=Targetが果たせなかった時に二度と立ち上がれなくなります。目的はその上位の目標=Goalのための選択肢の一つです。選んだ選択肢が間違っていたとわかることもあるので、そのためにはその上位の目標=Goalのためのより良い目的=Targetを次の選択肢として選ぶことによって目標=Goalに向かってあきらめることなく活動を続けることができるのです。その目標=Goalさえ、間違っていると思うことも人生の間に何度かはあるでしょう。そんな時は、そもそもその目標=Goalは何のために設定したのかを内省すれば、その上位の大目標=Grand Goalが見えてきます。大目標=Grand Goalのための目的=Target設定をし直せば立ち直れないなどということはないはずです。「PDCAサイクル」主義者の皆さんには、「P(Plan)」の前にやるべきことがあると申し上げたいと思います。
以上の2点(第一、第二の論点)で、まわる「生存活動サイクル」と まわらない「PDCAサイクル」の違いはお分かりいただけましたでしょうか。

(5)「お仕着せ」と「自発」の違い
私が教育の現場に持ち込んだのは「生存活動サイクル」の模擬行為です。教育の場は現実社会とは異なります。若者が社会に参加できるように鍛え上げ準備するところです。現実のままにこのサイクルをフィールドで実施するのは危険が伴います。大きな借財を負ったり、大きな紛争に巻き込まれたり、反社会的勢力に絡まれたり、世間にある良いことばかりではなく悪いこともすべて襲い掛かります。少しのやけどは勉強のうちですが、大きなやけどを負わないようにするのが学校という器と教師の力です。教師には、危険が発生したら身を挺して(命を懸けて)学生を守る覚悟が必要です。
世間で私の授業(とりわけゼミ活動)が「アクティブラーニング」と言われるようになったのは、その授業スタイルがこの「生存活動サイクル」を模したもので、「自助努力」の部分が必ずあるからです。
私は、この自助努力だけではなく、「生存活動サイクル」の全体を貫く学習活動を学生に与えて、その過程で必要な創造的活動を体験させるように努めてきました。「自助努力」の部分だけで授業が成立するなどと感じたことも思ったこともありません。
日本では3年ほど前(アメリカに比べると35年程度遅れている)に突然文部科学省が小中高大の全教育機関がアクティブラーニングに取り組むべきだと言い始めたために教育界が騒然となり、我こそはアクティブラーニングを最初に始めるぞと先陣争いが激化しました。しかし、ふと、周囲を見回すと、なんと、何十年も前から学生たちに「自助努力」を求める授業をしている人が居たではありませんか。その人は私(飯箸)でした。「飯箸先生、あなたのやっていることはアクティブラーニングですね。一緒にやらせてください」とおっしゃる先生方まで登場しました。大変ありがたいことです。
この結果、私が11年間続けた学外のゼミ発表会(当初は「民学コラボレーション活動」と称していた)に途中からは他大学のゼミも参加して「日本アクティブラーニング成果発表会」が開催されることになりました。明治大学(飯箸)、帝京大学(若山先生)、松蔭大学(立野先生)の各ゼミがその構成メンバーです。2017年2月の発表会を最後に私は定年退職したため、明治大学の参加はなくなりましたが、代わりに東京国際大学(河村先生)が参加することになりました。実際のところの取りまとめ役は若山先生ですが、私は退職後も名誉会長のような過分に思える扱いを受けて申し訳なく思っています。
こんなことから、飯箸は「アクティブラーニング教の教祖」のような誤解も一方では広がっていて、「アクティブラーニングについて話すように」との小さな会合や研究会にお誘いを受けることが多くなりました。そのたびに「いえいえ、私はアクティブラーニング教ではありません。私の組み立てる授業の一部にアクティブラーニングらしい活動が組み込まれているだけなのです」とお断りしてからお話を始めることが繰り返されています。
「アクティブラーニング」が授業の一部なのか、全体なのか、という議論は、とても分かりにくいので、ほとんどの場合理解もされず、「成果が素晴らしい。ぜひまねさせてください」という言葉をいただいて、なぜかとても寂しい思いをしてきました。
今回(4月26日)の講演では、思い切り、その違いを述べさせていただきました。

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まず、「生存活動サイクル」の中の「自助努力」(PDCAサイクルで言うところの「Do」の部分)だけをぶつ切りにして、ここだけやらせるのは間違っていないだろうかということです。「生存活動サイクル」の中の「自助努力」は自分で「目的」を選定し、「戦略戦術」を創案して突入しているからこそ、自分の考えた「目的」や「戦略戦術」が正しかったのかどうかをシビアに考えながら実行(自助努力)してゆくことになるのです。
教師があらかじめシナリオを描いて、学生たちに与えてしまったらどうでしょうか。成果発表会では見分けがつかないかもしれません。「(学生の成果として)出来がいいね」などと言ってしまうのでしょうか。しかし、この場合の学生たちは、目標設定の能力や戦略戦術策定の能力を磨くことができたでしょうか。学生たちがこれから生きてゆくためにどうしても必要な創造力を育てる機会を失っていないでしょうか。もっと大事なことが抜けています。考えもなしに言われたことだけをやった学生は「操られ人形」としては優秀だろうと思いますが、当然のこととは言え、自分の考えた「目的」や「戦略戦術」が正しかったのかどうかをシビアに考えながら実行(自助努力)してゆく機会がありません。つまり、自分の創案した「目的」や「戦略戦術」が正しかったか否かを真剣に考える機会さえありませんでした。自らの失敗を認めて修正することによって脳は鍛えられますし、情報収集(いわゆる勉強を含む)へのモチベーションも上がります。それらの機会を一切奪って「アクティブラーニングだぁ」とお調子に乗っていてよいのでしょうか。

(6)「デザイン思考」or「プログラミング思考」
最近、アメリカでは「アクティブラーニングだけではもうだめだ」という声が高まっており、大学の初級教育では「デザイン思考」or「プログラミング思考」を教えることが流行となっています。
この考え方は、「アクティブラーニングだけ教育」よりはずいぶんと進歩した考え方です。
「デザイン思考」と「プログラミング思考」とは「生存活動サイクル」の中の「戦略戦術」の部分(PDCAサイクルというとPlanの部分)に当たります。この部分が欠けていたという認識を持ち、基礎的学習の科目に加えるのは悪くはなさそうです。
しかし、ここまで読まれた方は、その不完全さに気づかれるでしょう。
前項と同じ図ですが、次に掲げておきます。

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自ら目的の選定を行うことなく、「デザイン思考」or「プログラミング思考」だけ学ぶことがどれほど空疎なことかはお分かりになれるでしょう。私だったら、授業中に寝ているか、こっそり抜け出したくなってしまうでしょう。
お仕着せアクティブラーニングの問題の際にも言いましたが、それぞれの部分が全体の中の有機的な一部として取り扱われない限り「デザイン思考」or「プログラミング思考」が何のために行われるのか、学生たちにはまったく理解できないはずです。
「アクティブラーニング」も「デザイン思考」or「プログラミング思考」もそれぞれはなくてはならないものですが、前後関係から切り離されて単独に切り出されたら、意味がありません。実社会でこんなことをしている企業はないとは思いますが、万一にもトンチンカン経営コンサルに騙される経営者がいたら、会社はたちまち倒産してしまうでしょう。
「アクティブラーニング教」や「デザイン思考教」or「プログラミング思考教」の皆さんにも、学生を破綻させる教育をしないでいただきたい、どうか、これらをぶつ切りではなく、目標・目的・戦略・戦術・自助努力・成否判定・反省の「生存活動サイクル」にある連鎖の一つの輪として前後関係を大事にして取り上げていただきたいと思います。
稚拙なたとえ話で恐縮ですが、魚に泳ぎ方を教えるときに、牛刀で頭と胴体と尻尾に切り分けて、それぞれで泳がせてみようとするでしょうか。人も生きてゆくのには全体が一体となっている必要があるのです。

(7)ファッションとしての「アクティブラーニング」
「アクティブラーニング」はようやく定着を見せ始めています。しかし、すでに述べたように「前後の見境なく」ではありませんが「前後を切り離して」やみくもに学生にやらせようとしたり、学生生徒児童に一斉にアクティブラーニングさせようというような無謀な振る舞いがみられるようにもなっているようです。本当に子どもたちに「実力」をつけたいと願うならば、そのような無謀なことはできないはずです。
例えば、苫野一徳熊本大学准教授なとは、「一斉アクティブラーニングという矛盾」と痛烈に批判しています。学生生徒児童にはジョン・デューイが言うような本能に似た学習し行動する欲求がある、内発的な欲求に応じて学習機会を与えることが大切であり、そのようにしてこそ効果があるはずなのに、それらの欲求を押しつぶして、教師が勝手に思うアクションを押し付けて一斉に行動させるというのは教育の本末転倒だということのようです。まことにごもっともと思うのは私だけでしょうか。
お仕着せアクティブラーニングと並べて、悪しきアクティブラーニングの例として、一つのスライドにしました。

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(8)学生たちに
これまでは、教師の皆さんや教育関係者向けの話でしたが、次には学生向けのお話をしました。学生も数名参加していたからです。
まず、私は「学生の皆さんに言いたい。古い大人を超えてゆけ」と語気を強めました。今の大人が知らない世界に今は突入しているのです、大人から習ったことだけで生きてゆくことはできません、大人たちのいいところは全部取って、足りないところは全部自分たちが作り上げなければならないんですよ、いい子でいるだけでは生きてゆけないんです、と語りました。
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今、若者は、賢くなければ、生き延びられない。大人を超えてゆけ!!!
智性の実力=創造力が君たちの生存を左右する

1)国家存立の世界的危機
  国際的富裕層トップの財力が超巨大化した。国家を買える規模になっている。
2)情報化→AI化→ 仕事の変化
  ・言われたことができる人→無用な人材
  ・資格やルールに従って働く人→無用な人材
  ・必要な労働力 => 目標設定ができ、創造的に働く人のみ
3)社会の二極化の進行→ 社会不安と個人的苦難
  ・大量の非正規=貧困の増大、精神疾患の増加
  ・下層市民は「貧困と精神疾患の二重苦」
  ・社会の不安定要因が増悪
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歴史はいつでも曲がり角ですが、今もまた大きな困難が待ち受ける時代になっていること、その困難が大きく立ち現れるころ、私のような爺さんはもうこの世にいないこと、君たちは自力でこのような困難な中で生き抜いてゆかなければならないこと、個人が生き延びるだけではなく子々孫々の繁栄を築かなければならないこと、をお話ししました。私のような爺さんの心配事が心に響いたかどうかはわかりませんが、学生たちの視線はじっと私に向けられていました。

(9)創造力とは
ここまでは、創造力という言葉を説明なしに使ってきました。きっと、人によって定義もイメージも異なるに違いありません。
私が考える創造力とはどんなものかについて、簡単にお話ししました。「簡単にお話しします。しっかり話そうと思うとこれだけで1日3時間(2コマ/日)で10日はかかるので、簡単にしか話せません」というと学生らはどっと笑ってくれました。直前の学生らに対するお爺さんの心配と期待の話で緊張の極致にいたのでしょう。ヒトは緊張の後に急な弛緩が襲うと笑うのです(ある落語家の博士論文になっています)。
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1. 人の脳は、経験的記憶と高度化した知識を脳神経系の複数の蔵器に配置して、
 階層化などの秩序化に向かわせる運動をしながら、同時にその秩序を超えたネッ
 トワークも新たに生成しまた消去したりする。
2. 目標をかなえる目的の創案、目的を実現するための戦略戦術の策定において
 は、秩序化された知識を利用してまだ見ざる未来の結果を仮想(シミュレーション)
 したり、または実際に実行したりする。
3. 仮想または実行が不首尾に終わった際に、①既存の知的秩序を再構成し、また
 は②不足している知識を補充してのち改めて知的秩序を再構成して成功を確信し
 たり、実際に成功にいたる。

●私は、TRIZ、イノベーション、アブダクション、第六感では説明ができない、と思っ
 ています。
●参考
  William Duggan, Creative Strategy: A Handbook for Innovation, Columbia Business School Publishing  (2012/11/27)William Duggan,小島修訳, 「超、思考法」, ダイヤモンド社(2017.11/16)
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私は、創造性とは、脳内で活発に行われる生理的活動によって説明されるべきであって、「神がかり」や「ふっと、ジャンプする」「"場活"で興奮すると一線を超える」などの非科学的・非物理的・非生物学的・非生理的な説明には組みしないと宣言しました。
これまで、創造性を説明するために提案されている多数の理論がこの非科学的・非物理的・非生物学的・非生理的な説明に陥っていることを指摘しました。
このような私の考えに近い考えを発表されている方(William Duggan)がいることに最近気づきましたので、著作を引用しておきました。
内心、あぁこんなことを言うと各派の熱烈な支持者の皆さんからつぶてを飛ばされるか拳固が飛んできそうだなぁ、とひやひやしながらの発言でした。
私の考えは次の通りです。

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・私は、脳内(大脳に限定)の概念の構成は、上図のモデルのようになっていると仮定している。小脳や他の神経系臓器については別途説明の機会を得たいと思う。
・脳内で人の知識は絶え間なく修正され再構成が進んでいる。矛盾するコネクションがあればその解消が図られる。概念そのものが不要とみなされて削除されることもある(痕跡が残ることもある)。何らかの属性が共通の複数の概念からは新しい概念(抽象化概念)が生成される。睡眠中にその活動は活発化するといわれるが、半覚半睡状態でもこの活動は活性化している。半覚半睡状態と睡眠時とでは活動の種類に差異があるかもしれないが詳細はまだよくわからない。レム睡眠とノンレム睡眠でも活動の内容(比重)には違いがあるかもしれない。いずれにしても覚醒時にはこの活動が停滞する。
・目的に到達できない現状がある(つまり、問題がある)限り、目的と現状の間を埋めて解消する(つまり、問題解決する)ために、夜も昼も脳内ではメタ関係(上図では直線で結ばれた関係)のコネクション(直線で描かれた線)のうち不要なものが削除されたり、別のものが繋がれたり、不足するコネクションの相手を探したりする活動が行われる。
・メタ関係の修正にはネットワーク関係のコネクション(上図では曲線で描かれた矢印)が活用される。類例関係、対比関係、同時発生事象、同一場現象などでネットワーク関係は構成されているはずだ。これらでつながった概念相互の関係がメタ関係を豊富化するのに必要な概念を探し出してくる可能性が高い。ネットワーク関係も無用なものは削除されたり、新たに気づいた関連性についてはコネクションが成立したりする。
・ヒトは問題(現実と目的の間に差異がある事態)に遭遇すると、これを解決する解を求めて脳内で不要なコネクションと不足するコネクションを探索して適切に処理し続ける。優先順位は何らかのアルゴリズムで決まっているはずだが、その脳内活動のアルゴリズム(人の状態によって異なるかもしれない)に沿った系統的な探索が行われる。コネクションは一か所の修正で正解にたどり着けるような簡単なものは少ないだろう。同一階層中の複数個所だけではなく、複数階層にまたがって修正が必要な場合も少なくないはずである。組み合わせの数は膨大である。
・探索を繰り返すまでもなく、既存の知識の中に瞬くうちに見つかる場合は「一瞬にしてひらめく」という現象になるはずだが、そんなことはそう多くはない。この「一瞬にしてひらめく」現象を人は「第六感が働いた」とか「勘が働いた」とかいう。
・一瞬にひらめくことがなければ、その系統的探索が続けられ、数十回後、数百回後、数千回後、、、、数億回後、、、のどこかで、適切な解にたどりつくことがある。それは1時間後かもしれないしその日のうちかもしれないが5年後・10年後・またはもっと後であることもある。その結末として得られる結果こそ「創造」である。ここで注意しておくと、連続操作という生理的な活動があるからこそ「創造」というカタストロフィ(不可逆的変化)が起こるのである。なにもせずに「棚からボタ餅」を待っていてやってくるものではない。「神かがり」や「悪魔着き」や「突然ジャンプする」や「興奮して急に一線を越える」ということではない。地道な系統的な探索があって初めてやってくることである(興奮状態は知識の組み換えを促進することがあるのは事実だが、それは膨大な連続操作のなかの一時の擾乱に過ぎないので、副次的な現象に過ぎない)。カタストロフィは連続的変化を原因として目的関数に発生することが多いものである。睡眠中に努力するというと無理と言われそうだが、睡眠中も半覚半睡にもヒトは意識するかしないかを別に努力しているからこそ、創造に至るのである。
・睡眠中や半覚半睡の中で知恵を深める能力についての経験的な知識はアジア圏に古くからあり、インドから東アジア全域に広がったものは「ヨガ」またの名を「座禅」という。アラブ圏を経由してヨーロッパに広がったものを「瞑想」という。最近では両者は根源的に同一であるとして融合する試みも進められている。「ヨガ」「座禅」「瞑想」ではなくとも、「ぼんやりと考え込んでいたら思いついた」「無心に歩いていて発見した」「風呂でぼぉ~としていたら考え付いた」というのは多くの人が経験しているだろう。思い悩むことを理知的に考えているだけではだめで、脳の生理現象にゆだねていると良い考えに到達することも少なくないという表れである。完全な覚醒状態ではこの生理作用は進まない。
参考: ぼんやり考える力と階層的思考能力--心理、教育、社会性の発達(25)
・さて、適切な知識の構造の変化のためには、脳内知識だけでは足りない場合はどうなるのだろうか、悶々と悩むだけでは解決しない。新たな情報を入手する必要がある。知識のありそうな人から話を聞く、仲間と語り合う、本を読む、論文をあさる、ネットサーフィンをする、など情報を得るためには様々な方法がある。これらのどれかの手段または複数の手段を使って手に入れた知識を脳内に格納(理解)できれば、それらの知識に対するコネクションも新たに作成するとができるようになる。翌日になったら、長年悩んでいた問題が氷解していたというようなことが起こるのである。
・知識のありそうな人から話を聞く、仲間と語り合う、ことは、単に知識が手に入るだけではなく、考え方(コネクションの在り方、構成方法)まで学べることが多いので、大変有意義である。私がかつて指摘したように、人には「借脳の能力」があるのだから。
・生存活動サイクルに真剣に取り組んでいれば、問題のない人生はない。問題があれば解決するための脳内の生理的活動が活性化する。その結果として創造力が次第に身についてゆくのである。
そのおかげかどうか定かではないが、私のゼミ生は卒業時の学年成績優秀者上位10名の中に最低でも2名はいた。今年3月に卒業したものは10名中に4名がそうだった。きっと、勉強が好きになって調べ物も上手になっているのだろうとは予想がつく。
・私は、学生たちのその能力とその能力を生み出す活動方法を教えたかったのである。もちろん万全にできたとは言えないし、ひそかにほぞをかむ思いをしたこともある。でも、卒業生から「飯箸先生のおかげで、あきらめないでやる習慣が身に付きました」「何度でも考え直すことができています」「なぜかすぐにグルーブリーダにされてしまうのですよね。飯箸ゼミ出身者はみんなそうだって言ってます」などと聞かされると内心涙が出るほどうれしい。ただのよいしょかもしれないと思っても、、、。


3. 後半の発表内容について
私が述べたかったことは、今まで解説したことに尽きますが、聴衆は半信半疑だったに違いありません。
この後に私がお話ししたことは、これまでに述べたことを補強したり、実績で証明したりするものでした。
①教育の人類史的変遷、2013年オズボーン報告、2015年野村総研の報告なとで、社会が必要とする人材がどのように変遷してきているかを示した。
②2012年に行われたOECDから日本に対する勧告に沿って、日本の教育行政も時代の変化に対応する大きな変更が予定されていることを「教育の2020年改革」を引き合いに説明した。改革の中心は「創造力の育成」であることを明確にした。アクティブラーニングは教育改革の最上位概念ではなく「創造力の育成」に従属する手段という位置関係にあることを述べた。
③「生存活動サイクル」の実践事例として、2015年度のゼミ生による「箱根を元気にする」プロジェクトがどのように行われたかを要約して述べた。また、この学年のゼミ生が行った学外発表の資料(「箱根を元気にする班」と「酔っ払いインタビューなど班」それぞれの発表資料)も小さく印刷して配布し、私の要約説明が嘘ではないことの証左とした。

ここから先には、今回使用した発表資料をすべて添付いたします。上述した説明中のスライドと重複するものもありますが、ひと続きとなるようにすべて収録いたします。

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SH情報文化研究会では、創造性についての連続講義を行う予定です。扱ってほしいテーマなどがありましたら、お知らせください。


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琵琶

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