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小浜逸郎先生の「社会主義を見直そう」に思う--情報社会学、予見と戦略(42)

2018/10/28
小浜逸郎先生の「社会主義を見直そう」に思う--情報社会学、予見と戦略(42)

2018.10.26付で、小浜逸郎先生が次のような投稿をしていました。
重要な問題提起ですね。レーニンや毛沢東の歴史的役割については、ご指摘の通りと思います。
しかし、私は、社会主義というよりも、人類社会、人類国家(とりあえずは地球国家)の創立によって、個別の国家が死滅してゆくだろうと考えています。いや、逆に、すでに国際化を果たした金融資本と国境を越えてネット共同体化する家族や企業などの社会的組織に、個別の国家が敗北し始めていますから、個別国家は財政赤字を膨らませるばかりでますます衰退して、その代わりに登場するのが人類国家(とりあえずは地球国家)に違いないという予測を立てています。
思うところがありましたので、記事のの引用の後に私の考えを述べました。

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【小浜逸郎】社会主義を見直そう
クライテリオン 2018.10.26
From 小浜逸郎(評論家/国士舘大学客員教授)

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新自由主義イデオロギーは、以下の諸項目を教義としています。
(1)小さな政府
(2)自由貿易主義
(3)規制緩和
(4)自己責任
(5)ヒト、モノ、カネの移動の自由(グローバリズム)
(6)なんでも民営化
(7)競争至上主義
これらは互いに絡み合い、影響を与え合って、ある一つの潮流へと収斂していきます。
その潮流とは、巨額のカネをうまく動かす者、国際ルールを無視する者、国家秩序を破壊す
る者が勝利するという露骨な潮流です。
(1)の「小さな政府」論者は、(3)の「規制緩和」を無条件にいいことと考え、(6)の「なんでも民営化」を推進し、(7)の競争至上主義を肯定します。
その結果、過当競争が高まり、世界は優勝劣敗の状態となります。
敗者はすべて(4)の「自己責任」ということになり、誰も救済の手を差し伸べません。
また、(2)の「自由貿易主義」は、経済力の拮抗している国どうしであれば、激しい駆け引きの場となりますが、ふつうは強弱がだいたい決まっているので、強国の「自由」が「弱小国」の不自由として現れます。
こうして(5)のグローバリズムが猛威を奮い、資本移動の自由が金融資本を肥大化させ、実体経済は、これに奉仕するようになります。
中間層は脱落し、労働者の賃金は抑制され、貧富の格差は拡大の一途をたどり、産業資本家は絶えず金融投資家(大株主など)の顔色を窺うようになります。
ケインズが、産業資本家階級と、金主である投資家階級とを同一視しなかった理由もここにあります。

ところで、社会主義国家を標榜していたソ連が崩壊してからというもの、社会主義とか共産主義と聞けば、大失敗の実験であったかのような感覚が世界中に広まりました。
その反動として「自由」を至上の経済理念とする気風が支配的となり、反対に社会主義思想はすべてダメなのだというような「社会主義アレルギー」が当たり前のように定着してしまいました。
この感覚が、いまだに経済における新自由主義の諸悪を生き延びさせています。

次々に批判勢力を「粛清」して全体主義国家を成立させたのはスターリンであり、その基礎となるロシア革命を起こしたのはレーニンであり、そのレーニンはマルクスの思想にもとづいて社会主義政権を樹立した。
だから、スターリン→レーニン→マルクスと連想をはたらかせて、諸悪の根源はマルクスの社会主義思想にこそある、という話になってしまいました。
しかし本当に社会主義はその経済理念からしてダメなのでしょうか。
こういう連想ゲームで物事を判断するのは、歴史の実相を見ようとしない、あまりにナイーブな思考回路ではないでしょうか。

筆者は、恐ろしく変転する世界史を、個人と個人をつなぐ連想ゲーム的な思考で解釈する方法には、大きな誤解がある、と長年考えてきました。
ソ連は、なぜ崩壊したのでしょうか。
最も大きな理由は、「共産主義」というイデオロギーを名目とした官僚制独裁権力が中枢に居座り、人々の経済活動への意欲を喪失させたからです。
1956年、フルシチョフがスターリン批判を行なったにもかかわらず、彼の失脚後、この官僚的硬直はかえって深まりました。
つまりこの歴史の動きは、創始者の経済思想の誤りにその根源を持つというよりは、ある特定のイデオロギーを「神の柱」とした政治権力の体質にこそあるとみるのが妥当なのです。

筆者は、特にマルクスを聖別するわけではありません。
彼の思想と行動の中には、十九世紀的な(いまは通用しない)過激なものが確かにありました。
その人性をわきまえない政治革命至上主義をとうてい肯定するわけにはいきません。
しかし、社会主義勢力の現実的な系譜をたどってみるといくつもの飛躍があることがわかります。
それを踏まえずに、創始者がどんな現実認識と基本構想を持っていたかに目隠しをすることは、思想的には許されません。
マルクスは、主たる活動の舞台を、当時日の出の勢いで覇権国家としての地位を確立しつつあったイギリスの首都・ロンドンに置いていました。
そこで彼が見たものは、年少の子どもたちまでも過酷な労働に追いやる政治経済体制のいびつな姿であり、同時に大量生産によって驚くべき生産力を実現させる資本主義の力でした。
マルクスの頭を占めていたのは、前者の過酷な事態を何とかしなければならないというテーマでしたが、他方では、後者の巨大な生産力を否定することでこの課題を解決すべきだとはけっして考えませんでした。
それは人類が作り上げた富の遺産であり、これをさらに発展させて、生産手段を一握りの資本家に占有させず、より多くの人々に分配することこそが、問題の解決に結びつくと考えました。
マルクスは、資本主義を否定したのではなく、資本主義という遺産を万人にとってのものにするにはどうすればよいかに頭を悩ませたのです。
その構想を実現するための政治的手段として、無産者階級の団結と、欺瞞的なブルジョア国家の止揚を呼びかけたわけです。
この構想が熟するためには、彼が、ロンドンという当時の世界経済の最先端で、その明暗の両面を観察するという条件が必要でした。

さて世界初の「社会主義革命」を実現させたとされるロシアは、当時どのような状態に置かれていたでしょうか。
ツァーリの圧制のもとに、大多数の無学な農奴たちが社会意識に目覚めることもなく、ただ貧困に甘んじていたのです。
産業はほとんど発展していず、マルクスが革命の必須条件と考えていた資本主義的な生産様式はまったく実現していませんでした。
マルクスは、ロシアを遅れた国として軽蔑していましたし、その国で彼の構想する社会主義革命が起きるなどとは夢にも思っていませんでした(もっとも、晩年には、ロシアの活動家・ザスーリッチの書簡への返信で、ある条件が整えばロシアでも可能かもしれない、という甘い観測を述べてはいますが)。

遅れて登場したレーニンは、まれに見るインテリでしたし、ロシアの現状をとびきり憂えていました。
この国を少しでも良くするには、組織的な暴力革命を起こすしかない、と彼は考えました。
その時彼の目に、これこそ使えると映ったのが、マルクスの社会主義理論でした。
しかしロシアの現状は相変わらずで、マルクスが社会主義実現の必須条件としていた資本主義の高度な発展という段階には至っていなかったのです。
レーニンは、その社会条件のギャップを無視しました。
気づいていなかったはずはなかったと思われますが、政治的動機の衝迫が、そのギャップについての認識を抑え込んでしまったのでしょう。

つまりロシア革命とは、資本主義がまだ熟していなかったロシアという風土における特殊な革命、というよりはクーデターと言ってもよいものです。
世界のインテリたちは、このクーデターに衝撃を受け、支配層は深刻な動揺に陥りました。
労働者階級はここに大きな希望を見出し、資本家階級は大きな狼狽を隠せませんでした。
彼らは当時のロシアの実態をきちんと分析せず、一様に、世界初の社会主義革命が実現した、と錯覚したのです。
その証拠に、眠りこけた農民たちは、革命後もなんだかわからないままに、交替した新しい権力に従っただけですし、レーニンの死後、権力を握ったスターリンは、西欧の資本主義諸国に一刻も早く追いつこうと、全体主義的な政治体制の下に、次々に強引な産業計画を進めていきます。
強制労働、強制収容所などの汚点は、こうして生まれたのです。
結局、ロシア革命とは、遅れた農奴体制を打ち壊して、近代資本主義国家を建設するためのものだったので、マルクスの構想とははっきり区別されるべきものなのです。
これを「ロシア・マルクス主義」という特殊な名で呼びます。

さてこう考えてくると、長く続いた米ソ対立が、その見かけとは違って、自由主義VS社会主義というイデオロギー対立ではなく、また経済体制の違いをめぐる抗争でもなく、むしろ、第二次大戦後に覇権国となったアメリカと、独裁政治によって急速に力を伸ばした新興資本主義国ソ連との、単なる政治的な覇権競争であるという実態が見えてくるでしょう。
いま問題となっている米中貿易戦争も、同じような資本主義国家どうしの力と力の激突に過ぎないと見なす必要があります。

では、冒頭に掲げた新自由主義の諸悪は、どうすれば抑えられるのでしょうか。
それには、二つの方法が考えられます。
一つは、有力国家が協議して、野放図な経済的「自由」を規制するルールを作ることです。
資本主義を否定するのではなく、市場の自由や知財の移動や為替についてのルールをもう少し洗練されたものにします。
しかしこれは、多極化している国際社会の現状や、グローバリズムという名の帝国主義を強引に進めている中国のことを考えると、合意を得るのは極めて難しいでしょう。
すると当面、もう一つの方法に頼らざるを得ません。
それは、それぞれの国家が、自国の経済の能力と限界をよく分析し、それぞれに見合った形で、野放図な経済的「自由」の侵略に対する防波堤となることです。

かつて日本は冗談半分に「一種の社会主義国だ」と言われていました。
それは、必要に応じて、政府が適切な関与をし、また基幹産業は国有企業だったからです。
いまの政権がそれをほとんどなくしつつある状態は、国家としての自殺行為と言えるでしょう。
経済状況がまずい状態にある時に、さまざまな分野での公共投資を積極的に増やす必要がありますし、政府がバランスあるコントロールをとっていく必要があります。
そのために、社会主義の理念のいいところを見直す必要があるのではないでしょうか。
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私の考えは、次の通りです。
国境を超える資本と社会的組織は個別の国家を無駄なものと思い始めており、タックスヘブンを利用するなどしてどの国に対しても税金を払わない選択を強めています。国家は、大投資家や大資本家といわれる皆さんから見放されて収入が減るにしたがって、衰退する自国にそれでもしがみついてくれる愚鈍な「国民」からの税収を確保するために消費増税を強化したり、他国の利益を奪いつくそうと貿易摩擦をあえて増大させようとしています。しがみついてくれる愚鈍な「国民」をますますだますには、他国からの危機を宣伝し、他国との国際摩擦をあえてあおる必要があります。トランプ、プーチン、キム、シュウ、アベなどの各政権の性格は、それ以前の政権と比べて、一様に「他国から危機を宣伝し、他国との国際摩擦をあえてあおる」政権(強権政治というよりも私の眼には「番長型政権」)になっています。国民に対する目くらましとしては他国からの脅威を宣伝していますが、これら政権の目下の強敵は実はバフェット氏、ソロス氏、ロジャーズ氏など国際大投資家なのです。アメリカ国家のパトロンとして巨額の利益を長年むさぼってきたロスチャイルドやロックフェラーもアメリカ国家に対して "もっと寄こせ" という脅迫を強めていますので、少しずつ関係が微妙になりつつあるといわれています。少なくとも、トランプはあからさまに敵意を見せることがしばしばです。
賢い資本家と国境を超える企業・団体・家族などの社会的組織は、税が安くてより安全な国家に移動してゆきます。中国の上流階級は伝統的に世界に家族(たとえば、親は上海=中国、親の弟家族はニューヨーク=アメリカ、長男はモントリオール=カナダ、次男はサンパウロ=ブラジル、長女はブリスベン=オーストラリア、末娘はロンドン=イギリスなどとなっている家族がみられる)を分散させてリスク分散を図っていますが、この傾向は中国だけではなく、各国の上流家族に強まってゆくでしょう。家族がまとまって、一国に属することが国家成立の絶対的な条件(「家族・私有財産・国家の起源」)ですから、その条件がボロボロと足許から崩壊を進めているのです。
さて、私もかつては国士館大学の教員でした(慶応大学、法政大学、明治大学、武蔵野美術大学、大正大学、早稲田大学でも重複して教員をしていましたが)。機会があれば、今、話し合ってみたい方の一人です。

この投稿については、FB上で継続されました。小浜先生ではありませんが、MWさんが関心を示されました。

FB上の討議
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MW
商品をたくさん売ろうとするとき、国家は障害でしかなかった。もしくは、うまく利用して売った。商品は作られたときに既に世界商品としての性質を内包している。より多く売りたい。

御意のとおりです。
売り手と買い手の氏素性を互いに問わない商品経済(無名取引)はそもそも国籍も問わない世界経済であって、国民経済ではありませんね。
契約書に署名捺印が必要な記名取引だけが、国籍や家族の信用を必要しています。
家族が国境を越えてしまうと国籍は邪魔でしかなくなります。
MW
世界貨幣ができれば国家に保証された署名も要らなくなりるような??ならいような??

おっしゃる通りです。
現在のデジタル貨幣は、運営者による詐取とハッキングの危険性が露見してしまったので国家のお墨付きなしに運営することができなくなり、各国の登録制度にからめとられていますから世界貨幣になり切れていませんが、一層安全で安心な貨幣が登場すれば国家のお墨付きがなくともユーザーからの信頼が得られて、国家の介入なしに世界に通用するようになる可能性があります。その時は、おっしゃるようになるのではないでしょうか。
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△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(43)
(準備中)
▽前の記事: 情報社会学、予見と戦略(41)
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琵琶

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