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インドネシア、「世界最古」の動物壁画が示したもの--その他、シリーズ外の記事

2018/11/10
インドネシア、「世界最古」の動物壁画が示したもの--その他、シリーズ外の記事

インドネシアで見つかっていた洞窟内の動物壁画が、4万年以上前のもので「世界最古」の壁画の一つに当たるという研究報告がされました。
未開の人々が世界で散発的に同様の文化を生み出していた証拠とこの発表を行った研究チームは考えているらしいのですが、私にはそう思えないのです。人々が別個に進んで同じ文化にたどり着く確率は極めて小さく、ほぼ絶無と言ってよいと私は思います。類似の文化は、派生または交流の結果であると考えるのが自然ではないでしょうか。

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インドネシア
4万年以上前の「世界最古」の動物壁画
毎日新聞2018年11月8日 15時41分(最終更新 11月8日 16時49分)
https://bit.ly/2zGNQ75

20181110_2
<クリックすると拡大します>
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インドネシアのカリマンタン島東部の洞窟に残る野生の牛とみられる動物などを描いた壁画は4万年以上前のものとする調査結果を、同国やオーストラリア・グリフィス大の研究チームが7日付英科学誌ネイチャー電子版で発表した。チームは「動物などを描いた具象画としては世界最古」としている。
チームは今回の壁画を、現生人類が欧州で残した最も古い洞窟の壁画とほぼ同時期とみている。単純な絵ではなく具体的な描き方をしていると強調している。
洞窟の絵などは欧州が中心となって発展したと考えられてきたが、チームは「遠く離れた欧州とインドネシアで、ほぼ同時期に生まれた」とみている。(共同)
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かつて文字情報論の教師でもあった私は、ホモサピエンス・ホモサピエンスの言語や文字の発生分化伝搬の系統図を作成しようと悪戦苦闘した経験から、私は、この記事を見て、記事に書かれているほど事態は小さなことではなく、大きな事象が針先ほどの小さな穴からほんの少し垣間見えたものだろうと推測しました。
スンダランド(現在のタイ~フィリピン~インドネシア~スマトラが地続きの大陸だった)の文明は、9万~7万年前くらいから始まっています。先行する中東の文明(南セム)が野蛮な北セムに追われて(*)、逃げだした者の半数近くが海岸回りとヒマラヤ北方揚子江流域回りの2大経路をたどってユーラシア大陸の東の葉てにたどり着いて生れたのがスンダランドの文明(古モンゴロイドの文明)と考えられます。
スンダランドはタロイモ(里芋の原種に近い食用になる芋)の茂る豊かな土地で、たくさんの人々が生存することができました。後代の人が思い描くほどの輝かしい文明だったかどうかは定かではありませんが、たくさんの人が一定の地域に密集して生活すれば、摩擦やもめ事をさばいたり、トラブルを避けるための共通の観念(宗教のようなもの)が必要だったに違いありません。地域の指導者が生まれ、祈祷師や預言者のような聖職者もいたかもしれません。先行する中東60~70万年の文化の記憶もスンダランドには持ち込まれたでしょうから、一定の知的水準の高みからここの文明は進化したに違いありません。
たとえば、私が見るところ文字の発明はこの地で行われて世界に伝搬したと推測されるのです。象形文字が中東やヨーロッパで見つかるのは高々数千年前からです。スンダランドから中東やヨーロッパに至る中継地点である長江文明では、すでに1万年前前後に象形文字が見られます。長江文明の担い手は現在の中国人=漢民族ではなく、先住民族=猫族で、猫族はスンダランドに発する古モンゴロイドの一分派です。象形文字は、スンダランドに生まれて、その後、スンダランドが水没に直面したのち、これを逆向きにたどる文明の逆伝搬の奔流が起こって揚子江文明(=長江文明)を興しながら中東・エジプト・ヨーロッパおよびインダス文明に象形文字もたらすことになったというのが私の仮説です。
このようなことが起こるためには、中東・エジプト・インダスなどとスンダランドの間の道には、もともと双方向の行き来、つまり下りも上りもあったと考えるべきで、各文明は9万~7万年前の昔から交流があったと考えるべきであると私は思います。スンダランドの人々は中東からの来し方の道を忘れていたわけではなく、南回りも北回りも交易と姻戚関係を通じて脈々とインダスや中東につながっていたに違いありません。スンダランドの水没と言う一大危機に瀕して、このルートは民族の大移動の経路として大いに活用されたに違いありません。
今回のインドネシアの研究発表はスンダランド古代史の針の先の一点にすぎません。水没したスンダランドの人々の生活と文化、社会の構造などの全容が現れてくるきっかけの一つになってほしいところです。全体解明はまだはるかに先のことでしょうが、この先何が出てくるか、楽しみです。
単なるトピックで終わらせてほしくない知見だと私は思います。

(*)逃げ出した南セムの人々は、いったん南に逃げて、東進して東のスンダランドに向かった人たち(後の古モンゴロイド)、アラビア半島の北半分のあたりですぐに反時計回りに展開してコーカサス地方に向かった人たち(後のコーカソイド)、シナイ半島を通ってアフリカに入った現アフリカーナ、シナイ半島のあたりで時計回りに展開してギリシアと地中海沿岸に海洋民族としてしばらく滞留したのち、クロマニヨン(現ヨーロッパ人)に追い立てられてジブラルタル海峡の近くの海岸線とカナリア諸島に追い詰められた人々(現バスク人の源流)からなっています。南セムの地にそのまま残った人々も多く、北セムの人々との長い抗争を続けます。
北セムのとりわけ戦闘的な民族がアーリア民族でその後継者であるバイキングを含めれば長い歴史を超えて広域を征服してゆきました。アーリア人は地上の肥沃な温暖地帯をほぼすべて征服し、南セム系の人種と民族は地球の酷寒の地か病原菌の多い亜熱帯~熱帯の地域に押しやられて生きてきました。温暖の地で比較的平穏に生きてきた南セムの子孫はユーラシア大陸の東のはずれの小さな島々で暮らす日本人と西のはずれの島々に暮らすカナリア諸島の人々くらいです。その他の南セム系の人々はおおむね戦乱に踏みにじられながら、転々と生き延びている方たちです。
とはいえ、多くの地域では、多様な民族と人種がまだらに混在し、混血し、多様化と均質化の両極の間を揺れ動きながら協調して生活しており、人間はこれからもこれらのバランスを取り続ける必要があると思います。

琵琶


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