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飯箸の発表「建造的(モノづくり的)思考の紹介」-sigedu 11月度月例会--感性的研究生活(133)

2018/11/25

飯箸の発表「建造的(モノづくり的)思考の紹介」-sigedu 11月度月例会--感性的研究生活(133)

ミニシリーズ「ソフトウェア技術者協会教育分科会(sigedu) 11月度月例会」
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<1>概要-ソフトウェア技術者協会教育分科会(sigedu) 11月度月例会
<2>飯箸の発表「建造的(モノづくり的)思考の紹介」-sigedu 11月度月例会
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2018.11.22のソフトウェア技術者協会教育分科会(sigedu)での私の発表をご紹介いたします。
ここでは、実況中継風に書かせていただきます。

私の講演は、富山県氷見市の公立小学校と山の分校に赴任した戸塚滝登先生の成果を事例を取り上げて、教育における建造的思考の有用性を解説・紹介するものでした。戸塚滝登先生の教育実践がなぜ大きな成果を挙げているのかを飯箸仮説に照らして解明を試みたものです。


扉: 教育で効果を上げる「建造的(モノづくり的)思考」の紹介
1
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戸塚滝登先生は、ご自身がされている教育実践をパパート(S. Papert)のコンストラクショナリズム(Constructionism)と同じものとされていますが、実は戸塚先生の実践は、「パパートのコンストラクショナリズム(観念内の再構築)」とも異なるもので、私が行ってきた「科学的教育法(新たな客観的事実を採り入れて既存知識と合わせて知識を再構築する)」と極めて似ているということを強調しました。この私を含む新しい教育の方法論を他の類似用語と区別するために、この講演では私はあえて「建造的思考」と新造語で名付けて説明をしたものです。
戸塚滝登先生は、パパートのコンストラクショナリズム(Constructionism)に「構 "成" 主義」という日本語を当てていますが、日本の教育界の通例ではパパートのコンストラクショナリズム(Constructionism)に「構 "築" 主義」という言葉を充てることになっています。
「構成主義」という言葉は、ピアジェ(J. Piaget)の「心理学構成主義(Psychological constructivism)」やビゴツキー(L. S. Vygotsky)の「社会的構成主義(Social constructivism)」などで用いられていて、英語の綴りも "Constructionism" ではなくて "constructivism" です。
そもそも、「観念論の系譜に属するカントに範を取るピアジェの "構成主義"」と「唯物論の影響を色濃く受けているビゴツキーの "構成主義"」は全く異なるものです。たまたま同じ"構成主義"という名前を使っている(二人は互いに知っている関係だった)ために、混同している少し鈍い日本の研究者も少なくありません。
講演の半ばで、これらの概念の整理も行いました。

<場外コメント>
S.F.さん
パパートさんって、あのMITメディアラボの?
飯箸 泰宏
はい。ロゴの開発者ですね。ミンスキーとともにパーセプトロンが線形分離できないパターンを識別できないことを証明した破壊的な頭脳の持ち主である点でも有名な方です。
https://bit.ly/2TBSdcR


自己紹介
2
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飯箸 泰宏 こちらは、同講演で用いた私の自己紹介のスライドです。講演時間が45分と限られていましたので、このスライドはスルーしました。

次のスライドは、講演の目次です。


目 次
3
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このうち、
「1.先駆的プログラミング教育の追跡調査から」
だけが戸塚先生のお仕事の紹介です。
2.知識の構造(by飯箸)」
3.PBL(Problem Based Learning or Project Based Learning)
4.戸塚先生の教え子はなぜ力をつけたのか」
は、我田引水のそしりを覚悟で、私の考えによる解釈を試みて、戸塚先生の成果の理由を明らかにいたしました。


1.先駆的プログラミング教育の追跡調査から
1-1 戸塚滝登先生*

戸塚滝登先生
4
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最近、私は、戸塚先生によって行われた「先駆的プログラミング教育」の追跡調査報告(非公開資料)を、内々拝見する機会がありました。
拝見したものは非公開資料ですから、ここでそのまま開示することはできませんので、そのエッセンスを差支えのない程度にご紹介いたしますとお断りしました。
併せて戸塚先生の簡単なプロフィールを紹介しています。
戸塚先生の教育実践は、1)「伝統的な教授法(ガラパゴスゾーン)」の時代、2)「ロゴを中心とする」改革第ゼロ世代、3)「ゲーム作り」と「ロボット教育」を採り入れた第一世代、4)「理科と算数の試行道具としてプログラムを作り利用する」第二世代の4つに区分されます。
2)「ロゴを中心とする」改革第ゼロ世代から、小さな研究室と構築主義(戸塚先生の言葉では構成主義、実は構成主義でも構築主義でもない建造主義)は第ゼロ世代、第一世代、第二世代を通じて一貫して取り入れています。


1-2 戸塚滝登先生の「実績」と「成果」

戸塚滝登先生の「実績」と「成果」
5_2
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まずはスライドの左半分について説明いたします。

(スライドの左半分)
41
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教育実績
1)ガラパゴスゾーンの壁(三つの車輪)
 大人数教室、一斉授業、学習指導要領
 農業高校への進学のみ
2)第0世代 成果有△
 ロゴ教育+小さな研究室+構築主義
 (大学1名+高校普通科1名)/7名
3)第一世代 成果有〇
 ゲーム作り教育+ロボット教育+小さな研究室+構築主義
 (大6+短1+専3+高校普通科3名)/38名
4)第二世代 成果有◎
 理科教育+計算論的思考+小さな研究室+構築主義
 (大17+専2+高校普通科1名)/28名
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1) 戸塚先生が分校に着任したころの子どもたちは中学を出るとそのまま農家を継ぐだけで高校に進む子はほとんどいませんでした。まれに進学する子供がいても農業高校に限られる実態がありました。この時代がガラパゴスゾーンの世代です。
ガラパゴスゾーンの特徴は、よく知られている通り、大人数教室、一斉授業、学習指導要領準拠の3点セットです。
2) 戸塚先生が教育の改革を志した第ゼロ世代は、ロゴを導入世代になります。ロゴを導入するだけでは教育成果としては限界がありました。この世代の子は7名の児童がいましたが、それでも大学まで進学卒業した子供が1名、高校普通科に進学し卒業した子どもが1名という成果を上げることができました。
3) ロゴでできることの偏狭さに気づいた戸塚先生が行ったのは、プログラミングで新たにゲームを作ってみる、ロボットを動かすプログラムを書いてみるというものでした。この時代の子どもたちを戸塚先生は第一世代と呼んでいます。
戸塚先生から見るとそこそこの手ごたえはあった。事実、この世代の子供たちは38名いるが、その後、この子供たちの中から大卒6名、短大卒1名、専門学校卒3名、高校普通科卒3名が誕生している。
一方、子供たちから投げかけられた疑問「ゲームが造れたら何になるの?」「ロボットが動かせたら何になるの?」に応えることはできなかった。ロゴほどの偏屈(偏狭さ)とはいえなくとも、ゲームやロボット操作のためのプログラミングもヒトの人生に比べてその世界は極端に狭くて、その究極の目的に照らしてどんな意義があるのかがまるで分らないことに戸塚先生は気づかれたのでした。子どもたちに地位さんゲームプログラマになってもらっても小さなロボット操作プログラマになってもらっても、その先に何もないからです。
4) そもそもプログラムはヒトの思考のための道具でしかないことに思い至った戸塚先生は、理科や算数の計算手段としてプログラミングを教えることにしたのでした。理科や算数は、ひとが生きてゆく自然環境や社会生活に密接な関係のある科目です。
私が見るところ、子どもたちは社会に入って生きて活躍するために学ぶのです。戸塚先生は、理科や算数という現実を目の当たりにできる教科の手段としてプログラミングを教えたのでした。
ちなみに、「小さな研究室」というのは、教室の片隅などで自然発生的に子供たちが教師の周りに集まって、「これどうやったらいいの」「もっといい方法があるよ」「こんなことをやったよ」と教師と子供たちが一体になってワイワイガヤガヤとやることを意味しています。私が思うにこのようなことができるのは教師に人間的な魅力が備わっていなければなりません。これができた戸塚先生は魅力あふれる先生だったのだろうと思います。

次にはスライドの右半分について説明いたします。

(スライドの右半分)
42
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これらの教育の成果は、このスライドの右側にまとめたようなものであったと戸塚先生はとらえていらっしゃると私は理解しました。
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数十年後の教育成果
a)ガラパゴスゾーンの壁 最悪
b)プログラミングの成果
 ・「お祈り現象」が消滅
 ・身体能力の高い子ほどプログラム能力が高い
 ・バグを見つける能力
 ・算数知識を発見・創出
c)第一世代&第二世代
 ①創造性
 ②リジリエンス(逆境力)
 ③不思議感受性
 ④バグに気づく力
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a)ガラパゴスゾーンの時代の成果
この時代の成果は最悪で、何も言うべきものはないというのが戸塚先生の自己評価です。
b)プログラミングの成果
第ゼロ世代、第一世代、第二世代を通して、共通することがまとめられています。
・「お祈り現象」が消滅
プログラムを実行する際に、初期にはみられる「お祈り」動作がプログラミングを何度か体験するうちになくなり、意図通りに動かないのは自分の創ったプログラムに原因があることを悟るようになります。結果を神頼みにするのではなく、自分の創るプログラムの完成度をあげることに懸けるようになるのです。
・身体能力の高い子ほどプログラム能力が高い
これは私(飯箸)が1981年に教壇に立った時から指摘していることと全く重なる内容です。私はシステムハウスの経営者でもありましたので、たくさんのシステム技術者と向かい合ってきました。体験的に運動部出身など運藤能力の高い者ほどプログラミングの能力が高いのは歴然でした。その後、私が奉職することになる明治大学でもプログラム制作の科目の成績とその学生の過去の様々な成績の相関を調査したところ、体育の成績が一番強い相関関係を示すことが分かりました。
プログラミング(手順を組み立てる知的行為)の能力は前頭葉の後ろ半分にある運動野の働きであるというのが私の仮説です。私の仮説を戸塚先生はご存知ではないでしょうが、戸塚先生も運動能力とプログラミング能力にある、ある種の相互関係を見出していました。子供たちに対する戸塚先生の観察能力の高さを感じます。
・バグを見つける能力
プログラミングを繰り返していれば、プログラムのミスを見つける力はどんどん向上します。戸塚先生は明言されていませんが、バグには、文法上のミス(シンタックス・エラー)と論理上のミス(ロジカル・エラー)の両方があります。プログラミングを繰り返しているとこの両方を発見して正してゆく能力が増加していきます。一般的に、ヒトは、自分のミスは自分で認めたくないものですが、この過程で、「自分もまたよくミスを犯す」ことを納得して、「ミスは速く発見して訂正すればよいことが起こる」という自己報償を繰り返します。ミスを恐れず、ミスを素早く認めてこれをすぐに改める習慣がついてゆきます。
戸塚先生は明言していませんが、この能力は、コーディング(プログラムを特定計算機言語で表現したモノ)に対するものにとどまりません。プログラミングを体験した子供たちは、その他の仕事や日常生活の中にも当たり前に存在する思考上のミス(ロジカル/クリティカル・ミス、およびヒトの道(倫理)に照らしてのロジカル・ミス)に気づく心の障壁を低くして、大胆に訂正する能力を獲得します。大胆に自らの論理を訂正する能力は創造力そのものです。
世間の頭カチカチの頑固おやじにはプログラミングを教えると世の中が少し明るくなるなもしれませんね。
・算数知識を発見・創出
プログラミングは計算機思考をすることですから、おのずと物事を数理法則に沿って試行する能力が身に付きます。計算機思考は、ロジカル and/or クリティカル・シンキングそのものですから、算数知識を発見・創出するようになって当然です。
c)第一世代&第二世代
第一世代&第二世代にの子どもたちには、第ゼロ世代(ロゴだけだった世代)には見られなかった次のような能力の開花が見られたそうです。
①創造性
培われたのは、大胆に自らの論理(知識の構造)を訂正する能力です。これなくして創造はありません。必要不可欠な能力です。この上に、ヒトとしての究極の目的に目覚め、自ら目的設定ができる力が加われば、おのずとその子供は独自の世界を切り開く創造力を獲得することになります。
②リジリエンス(逆境力)
リジリエンス(逆境力)とは、失敗してもあきらめない、逆境にあってもなんとかそれをかいくぐる力のことですね。
これを私(飯箸)説に照らすと、「生存活動サイクル(後出)」を何度でも回す能力のことです。
中でも、このサイクルを支える「当面の目的」を自在に再設定できる能力がカギを握ります。目的再設定能力がないと、当面の目的が挑戦しても達成できないことがわかるとたちまち挫折して無気力になってしまうのが人の常ですが、「まて、その当面の目標にしたものがそれでよかったのか」と考えることができるとたちまち元気になってモリモリとやる気が湧いてきます。
ヒトの知識構造の中では、目標設定も実は多段階(無限多段階)の階層構造をなしています。当面の目的はその上位の目的のために実行するもので、当面の目的が達成できない場合は上位の目的を達成する別の下位の目的を選択するのが自然な心の動き(自然な心理)です。
当面の目的が属する上位目標のための下位目的がすべて実現不能であれば、その中途半端な上位目的のさらに上位の目的を思い起こしてみることにしましょう。2段階上位の目的のためには失敗した中途半端な中間目的ではない別の目的の設定が可能なはずです。その下にある当面の目的のどれかを選んで戦略戦術を練り「生存活動サイクル(後出)」を挑戦的に何度も回してみるのです。
それらでも全く可能性がなければ、またその上の目的に向かってさかのぼって、その下にある下位目標を組み立ててゆくことになります。これができれば諦めることを知らないレジリエンス能力の高い子供たちになるはずです。
では、上位へ上位へと辿っていくと、無限の階段を昇りつめた彼方のたどり着くところには何があるかについては、のちに述べる予定です。
③不思議感受性
ミスを恐れず、ミスを素早く認めてこれをすぐに改める習慣が育った子供たちは、自分が知らなかったこと、思い違いをしていたことに気づけば、「しまった。×だ。どうしよう」ではなくて、「やった、見つけた。こうなのかな、あぁなのかな」となりますから、それは喜びでしかありません。不思議感受性の高まりは創造力の高まりの一側面です。
④バグに気づく力
戸塚先生は明言していませんが、この力は、コーディングの上でのバグ(原義は"虫"、コード上のミスのこと)発見能力にとどまりません。日常生活やサイエンスを学ぶ上での思考のバクを発見する能力に横展開してゆくに違いありません。その後の子どもたちの成長に大きな貢献をしているはずです。


1-3. 教育実践に関する戸塚先生の自己評価(まとめ)

教育実践に関する戸塚先生の自己評価(まとめ)
6
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このスライドも左と右に分かれていますので、左半分の説明を先にして、続いて、右半分を説明します。

まずはスライドの左半分について説明いたします。

(スライドの左半分)
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プログラミング教育の効果
1)大人数教室、一斉授業、学習指導要領
 最悪 ×
2)ロゴ教育
 ロゴだけでは限界 △
3)ゲーム創り、ロボット
 成果は限定的 〇
 ゲームとロボットではその先がない
4)理科学習・算数学習で道具として使う
 効果が大きい。 ◎
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1)大人数教室、一斉授業、学習指導要領
「大人数教室、一斉授業、学習指導要領」では、まったくダメだったとおっしゃっています。
 最悪で、×(ばつ)だったそうです。さもありなんと思います。しかし、いまでも大半の学校現場がこの方式ですから、日本の国力低下の源流がここにあるように思います。
2)ロゴ教育
 ロゴだけでは限界 △
 なぜロゴだけでは限界だったのかについて、戸塚先生は詳しく述べていません。
一般論として、ロゴはプログラミングとは何かという概念を教えるための一つのサンプルとしては大変役立つものと思います。
しかし、ロゴでできることはあまりにも狭く、子供たちの豊かな感受性を抑圧し創造力を阻害する弊害を併せ持っていると思います。私が思うに、ロゴでの学習はせいぜい1回か2回、そのあとは別の用具を使った教育に発展展開しなければ意味がないと思います。「ロゴでは限界だった」という戸塚先生の自己評価には私も強く同意します。
3)ゲーム創り、ロボット
 成果は限定的 〇
 ゲームとロボットではその先がない
 学校はゲームプログラマの養成所でしょうか。ロボットオペレータの養成所でしょうか。専門学校ならいざ知らず、これから無数の可能性を試していく子供たちに強い制約を課するゲームプログラミング教育やロボットオペレーション教育を強制し続けることが果たして良いことでしょうか。
もし本当にゲームプログラマやロボットオペレータを要請したいならばそれに向いた専門性の高い教育が必要です。希望する親と子はセカンド・スクールという選択肢もあるはずです。
富山の山奥の子どもたち全員に等しく行わなければならない教育とは思えません。何よりも子供たちが自らの将来を思い描くとき、ゲームプログラミングやロボットオペレーションをあくまでも追及することの意味が見いだせないという壁が見えてきたということだと思います。
「ゲームプログラミングやロボットオペレーションの後には何があるの?」「プログラミングができたら、私たち何ができるようになるの?」という子供の声に戸塚先生も返答に窮してしまいます。プログラミング教育を自己目的化したための限界だったと思います。
4)理科学習・算数学習で道具として使う
 効果が大きい。 ◎
 プログラミングを自己目的的に与えることはすでに限界があることが明らかでした。戸塚先生は理系のキャリアを持つ先生です。子供たちにサイエンスを教えることが仕事です。
サイエンスは、現実の物質界を教えて、これと協調又は格闘して生きてゆくことを教えます。ヒトが人らしく生きることと直結しています。観念の中にとどまることを超えて、現実の世界を直視して、その現実世界に立ち向かい人が生きてゆく力を与えようとします。
ここで戸塚先生はついにパパートを踏み越えているように私は感じます。パパートはモノづくり、組織づくり、提案づくりなどを通して自己の観念の再構築が起こるという理論を展開しましたが、観念の内部の再構築にとどまっていました。
戸塚先生はサイエンティストらしく、観念の外の客観的事実の理解と知識取得と既存の知識とを組み合わせて知識構造を作り直す科学的学習を説明もなく実行していることになります。これはパパートを超える行為で、私が長年続けてきた科学的教育実践と事実上一致しているものと思います。熱意ある教師が行き着くところは行きつくところが似ているということなのだろうと思います。
サイエンスの教育は、ウソのない世界を教えること、ひととして生きてゆく方法を教えることになりますから、子供たちに人としての生存の目的を教えることに直結しています。息の長い、生涯を貫いて生きる力を子供たちに与えます。その手段にプログラムが位置付けられて、初めて子供たちは納得の上で学ぶ心構えができたのです。
この教育を受けた子供たちは大卒後クリエーティブな仕事に就くようになるという成果を生み出しています。

次にはスライドの右半分について説明いたします。

(スライドの右半分)
61
<クリックすると拡大します>

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効果のあった教育
1)小さな研究室
 教室の隅などで、子供たちと教師が一緒に学ぶ
2)プログラミンクは道具
 プログラミングを自己目的にしない。
 サイエンスを教える。
3)パパートのconstructionism
 構成主義(構築主義、建造的思考)が効を奏した。
-------------------
1)小さな研究室
 教室の隅などで、子供たちと教師が一緒に学ぶ
グルーブ学習などと同じで、子供たち同士と教師が混然一体となって影響関係を行使して、「知識」と「思考の方法」の両方を改造してゆく活動になっています。
ヴィゴツキー風に言えば、コミュニケーションが自己の知識を豊富化させるということになります。
しかし、実際には言語コミュニケーションにとどまらない相互の影響関係という方が正確です。宣言型の知識だけではなく、考え方(考える方法論、手続き的知識)も高度化します。この高度化は単に知識の量が豊富化するだけではなく、既存の知識構造が再構築されていることもヴィゴツキーを超える概念であることを指摘させていただきます。
理論はともあれ、戸塚先生は最も効果のある方法を実践されていたことになりますね。
2)プログラミンクは道具
 プログラミングを自己目的にしない。
 サイエンスを教える。
プログラムはいつでも道具であって目的ではありません。私は長くシステムハウスの経営者でもありましたが、プログラミングの前にはまずは要求分析の仕事があることを指摘しておきます。顧客の要望(要件)は何かの目的のために主張されているので、その目的を探り出して、要求仕様書を書き上げるのがシステム技術者の最初の仕事です。目的を知っていれば、結果が目的に沿わないという事態がかなりの確率で保証できますが、目的を知らずに処理の方法だけを聞いて書き上げたプログラムは失敗プログラムになる危険性が高いのです。似たように処理は無限に考えられますが、目的に合っているかどうかは神のみぞ知るという具合になるからです。 
3)パパートのconstructionism
 パパートのconstructionism 構成主義(構築主義、建造的思考)が効を奏した。
戸塚先生はconstructionismを「構成主義」と日本語にしていますが、「構成主義」の原語はconstructivismですから、実は少し違うのです。
パパートのconstructionismは、多くの場合、「構築主義」と訳されています。
ここには、優れた職人は自分の仕事をうまく他人には説明できないことがあるという事例を見ることができます。例えば長嶋茂雄氏は国民的英雄といわれたホームラン王の一人でした。たとえば「どうしたら打てるのですか」という問いに対しての、彼の言葉は「ひゅ~ときたら、うぁって打つんです」などという回答でしたから、常人には理解不能でした。
優れた教育職人である戸塚先生もその優れた方法論を自ら説明することにたけているとは言えないようです。
さて、戸塚先生はパパートのconstructionismを採用したと述べていますが、パパートのconstructionismはモノづくり、合意づくりなどのconstructionの結果、自己が有している知識が再構築されることを意味しています。ヒトを取り巻く外界から得られた知識や方法が忘れられています。
サイエンスにとって大事なのは、現実と真摯に向き合って新しい事実を発見し、わが知識に取り込むことです。さらに付言すると新たに知識を巡って他者と互いに言語交流やノンバーバル交流行うことで得られる新しい知識を採り入れることも大事です。多くの場合、新しい知識は、既存知識の構造のまま受け入れることはできませんから、新しい知識を受け入れることができるように関連する既存の知識構造がガラガラと崩れて素材化して、新しい知識を加えてあらためて構造化(再構築)されることになります。
モノづくり、合意づくりなどのconsructionは、生存サイクルの重要な要素です。とりわけモノづくりに関連する知識構造は他と区別される特定の形態を持っていて、極めて現実的に出来上がっていますから、幻想や空想が入り込む余地が少ないものです。
戸塚先生はパパートから入って、パパートを超えてしまっていると思います。パパートかどうかなどというのは戸塚先生の優れた業績からすれば問題ではありません。戸塚先生は科学的で現実に向き合うことに優れた学習法を実践されていたということができます。その方法論は、私と同じ科学的な学習法であるように思います。


1-4 二つの構成主義と構築主義の違い

構成主義、構築主義、建造型知識などに多様な言葉がたくさん出てきましたので、これらを一度整理したいと思います。
次のスライドをご覧いただければ幸いです。

二つの構成主義と構築主義の違い
7
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ピアジェ(1896年8月9日 - 1980年9月16日)*1
 ・・・心理的構成主義[我思うゆえに我あり]
 個人が自己内にある知識に新しい何かを付け加えて学ぶ。
 教師は、個人が学ぶのを助けるだけ。
ヴィゴツキー(1896年11月17日(ユリウス暦11月5日)- 1934年6月11日)*2 
 ・・・社会的構成主義(社会的学習理論) [我コミュニケーションある ゆえに我あり]
 人間の発達や学習は、社会的文化的な背景や、他人との相互作用な どが重要で、社会
 的な相互交渉の過程で行われる。
パパート( 1928年3月1日 - 2016年7月31日)*3
 ・・・構築主義[新しい概念や合意やモノを作るがゆえに我あり]
 学習は、知識の伝達 ではなく、再構築である。有意義な成果物の構築を学習者が経験す
 る活動こそ、もっとも効果的な学習である。
 ・・・ Papert‘s Principle: Some of the most crucial steps in mental
     growth are based not simply on acquiring new skills, but on
     acquiring new administrative ways to use what one already
     knows.(The Society of Mind by Marvin Minsky (Touchstone,
     1988), p.102.)
飯箸( 1946年7月10日 -   ) 参考 *4
 ・・・建造型知識もある[物質界、生物界、人間界ありてこそ我あり]
   挑戦して、外界から新しい部材を調達して既存知識と組み合わせて知識を再構築す
   る。
*1 中村恵子、教育における構成主義、現代社会文化研究、No.21、p.283-297(2001)
*2 “教育と社会的構成主義” 小坂 武、 http://kosaka.la.coocan.jp/construct.htm (2018.10.09)
*3 Sylvia Libow Martinez, Gary Stager共著, 阿部 和広監修, 酒匂 寛訳, 作ることで学ぶ ―Makerを育てる新しい教育のメソッド, 東京, オライリージャパン, 2015, 400p.
*4 飯箸泰宏、2018.12.09、第80回SH情報文化研究会にて発表予定。
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まず、「構成主義」と呼ばれるものには、大きく分けて2つあります。ピアジェの「心理的構成主義」とヴィゴツキーの「社会的構成主義」です。前者は観念論の系譜に属するカントの思想をピアジェが引き写したもので、唯物論の影響を色濃く受けているヴィゴツキーの思想と根本的に相容れるものではありません。ピアジェとヴィゴツキーは同じ年に生まれていて同じ分野での成果もあげています。ピアジェは84歳まで生きましたが、ヴィゴツキーは37歳の若さで亡くなっています。
ピアジェは「われ思うゆえに我あり」の人で、子どもも一つの人格として自ら知識を獲得して行くものと考えていました。他人が子どもに知識を押し込むようなことはできないと考えていました。結晶が一つの核の周囲に次第に美しい層をなすように知識もまた生得の知識を核として積み重なって大きく成長すると考えていました。知識の構造がその過程でガラガラと変わるなどということは想定していません。
ヴィゴツキーはヒトは社会的な生き物なのだから、人々は他者とのかかわりの中で人格を獲得し、コミュニケーションを通じて知識を獲得してゆくとしています。つまり「我コミュニケーションあるゆえに我あり」の人でした。学習には他者からの関与の余地があることを主張しています。ここがピアジェとは全く異なる点です。知識の構造が知の獲得過程でガラガラと変わってゆくという想定はヴィゴツキーもしていません。
ピアジェとヴィゴツキーの二つの「構成主義」を同じものまたは極めて近いものと勘違いしているやや鈍い教育研究者も結構存在しています。常識的にはピアジェの「構成主義」は「"心理的" 構成主義」と呼び、ヴィゴツキーの「構成主義」は「"社会的" 構成主義」と呼んで区別しています。
パパートは、新しい概念や合意やモノを作ることを通じて知識の構造が再構築されるという考えを持っていました。知識に構造があることを早くから認めていたことが特徴です。そのうえで、新しい概念や合意やモノを作ることが現実に即した知識の再構築には最も効果的であるという真実を見抜いていました。その点では、極めて新しい考え方ということができます。
人工知能の中で知識ベースを中核に据えて活動したミンスキーと共同論文もあるパパートはヒトの脳のリアルな仕組みに深い洞察を加えていたことが分かります。
しかし、パパートもミンスキーと同じで、ヒトの観念の外にある現実の捉え方が極めて弱く、客観的事実を懐疑的にとらえる傾向(懐疑主義)の系譜に入る限界があります。したがって、知識の構造の変化が観念の中だけで起こると考えており外界から得られる新しい知識の行き場所がなくなってしまっています。
科学的認識論の立場からは、外界から得られる新しい知識は不断に自己の知識の中に取り込まれるが、自己の観念の中にある知識の既存の構造のままでは新たな知識が取り入れられないことが頻繁に発生し、その都度、新たな知識と既存の知識構造がバラバラに解体され併せて再構築されると考えます。
この考えは、ピアジェの心理的構成主義でもありませんし、ヴィゴツキーの社会的構成主義にもとどまっていませんし、パパートの構築主義も踏み越えてしまった地平にいます。これらとの混同を避けるため今回の講演ではこの科学的認識論の一種を「建造的思考」と呼ぶことにしました。
ところで、「建造的思考」は、ひとが持つ思考形式の重要な一つではありますが、全部でないこともここで指摘しておきます。ウソや神頼み、単なる空想や病的な幻想を排除しやすい思考形態ですから実践的で科学的な思考になじみます。


2.知識の構造(by飯箸)
2-1 知識の構造の分類
さて、ここで、戸塚先生の成果と実績から離れて「知識の構造」といわれるものを簡単に説明しておくことにいたします。
次のスライドを見てください。

知識の構造の分類
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<クリックすると拡大します>

ヒトの知識は大別すると「宣言的知識(表内右列)」と「手続き的知識(表内中央列)」の二つに分類されます。
「手続き的知識(表内中央列)」が造られて実行される際には、対応する「宣言的知識(表内右列)」が参照されています。
「宣言的知識(表内右列)」は言語コミュニケーションによって進化が加速してきた部分ですから、他人とのコミュニケーションによって強化されやすい部分です。ヴィゴツキーはここだけを表面的に見ていたのかもしれません。
「手続き的知識(表内中央列)」は戦略戦術を立案したり、モノづくり手順を考えたりするためのアルゴリズムに相当します。「宣言的知識(表内右列)」が正しいとという前提のもとに構築されますが、実際に実行したりシミュレーションしてみたりするとなかなか思った通りにはゆきません。思った通りに行かないことの原因を追究して解決しようとする(バグ取り)と「宣言的知識(表内右列)」を補正したり、解体して再構築しなければならなくなります。
建造的思考はこの表で言うと「予期駆動フレーム(予期駆動型知識)」という「メタフレーム(メタフレーム型知識)」の一部に相当します。「メタフレーム(メタフレーム型知識)」にもいくつかのタイブがありますが、建造的思考に相当するのは「メタフレーム(メタフレーム型知識)」の中の「建造型知識」に対応していることがわかっています。
--------------------
参考:
1>概要-第79回SH情報文化研究会
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/-79sh--128-f4a4.html
2>飯箸の発表「創造力の作り方3--知識の構造」-第79回SH情報文化研究会
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/3---79sh--129-4.html
3>質疑応答 on 飯箸の発表-第79回SH情報文化研究会
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/on--79sh--130-2.html
4>情報交換会(懇親会)-第79回SH情報文化研究会
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/-79sh--131-c39b.html


2-2 メタ構造型知識のバリエーション

次のスライドは、「メタフレーム(メタフレーム型知識)」にはどんな種類のものがあるのかを図解して例示したものです。

メタ構造型知識のバリエーション
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「メタフレーム(メタフレーム型知識)」は、多数存在する知識構造の「宣言型知識構造」(側頭葉と頭頂葉の協調動作によるもの)に分類されるもののうちの最上位に属するものです(直前のスライドの右上の赤丸部分)。この中にも様々な形態の知識構造がありますが、この新しいスライドには、そのうちの3つを例として図示しています。
このスライドも左と右に分かれていますので、左半分の説明を先にして、続いて、右半分を説明します。

(スライドの左半分)

抽象化-具象化、上位概念-下位概念
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左側の図の下のほうに無数の星が描かれていますが、それぞれが単位知識(おおむね①事物と②その属性というセットで構成されて③何らかの名前が付けられいることが多いが、いずれか一つまたは二つしかない場合もある)を意味しています。
この星で示された単位知識を基礎にして、知識は結合され組織化されます。結合の方法にはメタ型の結合(リンク)とネットワーク型の結合(リンク)があります。メタ型は帰属関係を構成して上位と下位という階層を作ります。社会における上下関係に相似的な関係となっています。ネットワーク関係は過去の知識構造(知識構造はしばしば再構築される)の名残りであったり、単純に類似性があったり、発生源が同じまたは近い場合であったり、時間的に近い関係にあったり、比喩的に似ていたりというだけの緩やかなつながりで、帰属を超えてどこにでもつながってしまう現象を意味しています。こちらは、社会における友人知人関係や信念(思想・信条・信仰など)や共通利益による緩やかな結合(社会的ネットワーク)とよく似ています。
このような構造(メタ構造とネットワーク構造の二重化構造)がヒトの脳内に出来上がって定着したのは、約60万年前、ヒトが社会を構成するようになった時期に一致していると考えられていて、その結果出来上がった脳の様子を「社会的脳」と呼んでいます。「社会的脳」が小さく芽生えた者たちがムレからムラ(複数の群れを統合統括する村)を作るようになり、生存優位に立つとムラの維持強化に役立つ「社会的脳」の持主が選択配偶されるようになったり、ムラの秩序を乱す「社会的脳弱者」はムラから追放されてハイエナなどの人の天敵に食われる淘汰が進んで、「社会的脳」が現生人類(ホモサピエンス・ホモサピエンス)の生存力の中核になってゆく過程が推定されます(飯箸仮説)。
さて、単位知識を基に組み立てられるメタ型知識構造には、主に上位に行くほど抽象度が高い(外延が広く内包が小さい)概念が存在してその下には相対的には具体的(外延が狭くて内包が豊富)な概念が帰属していることになります。上位ほど抽象的で、下位ほど具体的です。最も具体的な単位知識を出発点に抽象化を重ねて上位概念よりもさらに上位概念へと辿る運動を抽象化と言い、上位概念から一段下の下位概念に具体化し、さらにその下の具体的概念に具体化してゆく運動を具象化と言います。抽象化を進めるということは、一段下の概念群から共通属性を選ぶことになり、上位概念では共通属性以外の属性に関する知識は捨てられています。余った属性に関する知識を捨てることを「捨象する」と言います。具象化する際には、その逆が必要で、上位概念に移行する際にいったん捨てた(捨象された)属性に関する知識をその上位概念に追加しなければその直下の下位概念を再現することができません。捨象された属性を改めて追加する運動を「具象」と言います。ヒトはこの知識構造の中で、抽象化と具象化を繰り返しています。抽象化しかできない方(具象化が苦手な方)は、しばしば間違った抽象化(架空の属性を下位概念に忍び込ませてこれを抽象化して新たな概念にしてしまうことが多い=カルトやオカルトやこれに近い思想など)を自己矯正することができません。抽象化の能力とともに具象化の能力もなければ現代人失格というわけです。抽象化の過程で紛れ込んで奇妙な概念をそのままに、具象化を続けるとその先にある単位知識(観測された事実を写し取ったもの)と合致しなくなります。そこで、多くの場合、初めて思考の誤りに気づくことになります。カルトやオカルトやこれに近い思想の持主は、できるだけ具象化のプロセスを踏まないようにしたり、具象化の際には、事実を否認する暴挙に出たりしているように思います
さて、抽象化の方法の代表的なものには二つあります。左の図の中の右寄りにはピンクの角丸四角で囲われた知識のツリー構造が得かがれています。この図を見ながら説明を聞いてください。時系列属性を超越した(捨象した)抽象化です。たとえば、「プードルは犬という概念に入る。犬は哺乳類である。哺乳類は動物である。動物は生物である」というように次第に抽象度の高い概念へと辿る方法です。いったんこの知識構造ができると壊れにくく同一知識構造内探索もスピーディなので、ヒトが一番意識しやすい知識構造になっています。学問で言うと博物学がこれに近いですね。しかし、創造的な活動では、この知識構造が堅牢であることがしばしば邪魔になります。時代遅れになっていて変更しなければならないのに昔の知識構造のままというようなことがしばしば起こるのです。頑迷さを緩和して新しい知識との関係を自在に作る役割は知識のネットワークというつながり方(どの知識とも自在に結びつく)が担います。取り入れなければならない新たな知識に気づいたり、役に立たなくなっている知識のがん化部位を発見したりできるのは、このネットワーク型のリンクがあるおかげです。
他方、時系列に生起した事象を時系列を残して抽象化してゆく知識構造もあります。単位知識にある時間に関する属性を紡ぎとめてエピソードとして記憶する方法です。この記憶はヒトにとって大変役立つ「因果律」を導く基礎となる能力ですから大事な記憶構造です。これは左の図の左寄りに片矢印型の箱型の知識のツリーが書かれています。エピソード記憶もいくつものエピソードをつなぎとめて上位で統合してより広い時系列や面的な広がりのあるエピソードを作り上げてゆくことができます。その結果出来上がるエピソードの集大成は「歴史」(個人に限定される場合は「個人史」)と呼ばれます。ここでも、エピソード記憶の知識構造や歴史観が固定化固着化すること防ぎ、新しい知見に基づいて更新を続けるためにはネットワーク型の知識構造も必須となります。

(スライドの右半分)

建造型知識構造
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スライドの右半分には、今回の「建造型(モノづくり型)思考=予期駆動型知識構造=」に関係の深い宣言型知識「建造型知識構造(コンストラクショナル・シンキング)」が描かれています。
これは、頂点に様々な事物があり、それぞれが部品展開されていく様子になっています。部品には、共通部品でまかなえるものとそうではなく事物に固有の部品もあります。部品はさらに分解され、共通部品はその下に統合されてゆきます。
この図は、上下をひっくり返すと時系列のないメタ構造型知識と極めてよく似ています。時系列のないメタ構造型知識と人類史上同時代に作られたか、どちらかが先行して他方がその派生になっているのではないかと推測されます。「建造型知識構造(コンストラクショナル・シンキング)」は、「科学的脳(中東のアダム)」の機能にごく近いので、もともと人類300万年の歴史の中にある道具を作る動物としての能力を基にして、「科学的脳(中東のアダム)」の発生(17万年前ころ)に急速に発達定着したのではないかという推測もできます。
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※「知識の構造」についてのより詳しい解説は、第79回SH情報文化研究会の講演で少し詳しく述べているので参照していただければ幸いです。
飯箸の発表「創造力の作り方3--知識の構造」-第79回SH情報文化研究会--感性的研究生活(129)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/3---79sh--129-4.html
および
質疑応答 on 飯箸の発表-第79回SH情報文化研究会--感性的研究生活(130)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/on--79sh--130-2.html


2-3 予期駆動型フレーム

さて、続いて、目を「手続き型」の知識構造(前頭葉の後ろ半分に相当する運動野と頭頂葉の協調動作によるもの)に移します。
次のスライドを見てください。

予期駆動型フレーム
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これには「予期駆動型フレーム(予期駆動型知識構造)」の図が書かれています。手続き型の知識構造の最上位にある知識構造の一つです。この「予期駆動型フレーム(予期駆動型知識構造)」の図は、第二次AIブームの初期に私のチームが開発したもの(当時は「論理フレーム」と呼んでいました)ですが、のちの時代にアメリカでも別途開発されていたものとほぼ同じであることが判明しました(私のチームのほうが先だろうとは思いますが特許登録したものでもないので、"同時発生" としておきます)。アメリカでの呼び名「予期駆動型フレーム」で呼ばれるようになっています。
作り上げるべき最終形を示すフレームが最上位に書かれています。このフレームには固有の名前が付けられていて、自分でやるべき事柄が自分のフレーム内のメソドに書かれていますが、自分のフレーム内でできないことはおおむね複数の下請けのフレームに実行させる旨のリンクが張られて(スレッド記述)います。下請けのフレームをどのような順番(および条件分岐や繰り返し)に実行させるかの制御方法もこのメソドに書かれます。自分のメソドが参照すべきパラメータや下請けが参照すべきデータのテーブルも持っています。
下請けのフレームにも名前があり、メソドと複数のリンク先(下請け先)とデータテーブルがあります。下請けが不要になったら下方展開は終わりになります。
このフレーム構造はヒトが持つ予期駆動型の知識を書き起こしたものと仮定してもそれほど遠くはないでしょう。この予期駆動型のフレームが世に知られるようになるとこの構造をそっくりまねたプログラミング言語が登場します。オブジェクト指向型プログラミング言語です。JAVAやC++がこれに該当します。
さて、手続き型の知識構造はいずれも宣言型の知識構造を参照して構成されますが、この予期駆動型の知識は、宣言型の建造型知識構造(コンストラクショナル・シンキング)を参照して出来上がっています。メソドを除く、名称、リンク、データセットは宣言型の建造型知識構造(コンストラクショナル・シンキング)からの条件付き引き写しまたはリンクです※。
予期駆動型の知識は、目標(新しい概念の構成、合意形成、モノづくり)を実現するためには必須の運動プラン(戦略戦術)になっています。
しかし、プラン(戦略戦術)の通りにやってみてもうまく行かないのが世の常です。予期駆動型フレームの通りに実行しようとしてうまく行かないことは当然のごとく発生します。不足する情報を収集し、考え方や手順を先人先輩に学んだり、自分で考案したりすることが必然的に行われます。実に「思考のバグが、本人を厳しく教育してくれる」のです。

※会場で、手続き型知識構造と宣言型知識構造の基本的な違いを尋ねられた方がいました。脳科学的な解明はされていない分野なので、説明が難しいですが、次のように言ってよいかもしれません。
①手続き型知識構造にはメソドがあり、宣言型知識構造にはメソドがない
そして、
②手続き型知識構造が持っている名称、リンク、データセットは宣言型知識構造からの条件付きコピーか、もしかすると実体は宣言型知識構造にのみ存在してそのリンクだけが手続き型知識構造に存在しているだけかもしれません。

3.PBL(Problem Based Learning or Project Based Learning)
3-1 生存活動サイクル

生存活動サイクル
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ここで、「生存活動サイクル」(※)について、振り返ってみます。そもそも人間的活動において、建造型知識構造が必要になるのはどんな場面なのか、何度も取り上げている「生存活動サイクル」を見ながら確認してみたいと思います。
次のスライドを見てください。
このサイクルの図を見ると、格別なことではなく、社会生活を送る普通の方が普通にしている活動のサイクルです。
目的を設定して、そのために情報収集を行い、戦略戦術を練り、自助努力で実行に移して、成果の有無を子細に点検します。その結果、完了が確認されれば、上位目標に沿って、次の当面の目標穂設定して、このサイクルの最初からまた活動が始まります。
成果の有無を点検して、目的を達していないことが分かれば、直前の行為をやり直すか、戦略戦術を練り直してやり直すか、情報収集からやり直すか、否、最初の目的の設定自体に無理や問題がなかったかと考えて、当面の目的の上位の目的に照らして、別の当面の目的を設定しなおすこともあります。
日常的な活動においては、最後まで進まなければ戻らないというような硬直したやり方は採られないでしょう。進行の途ちゅうのどこでも問題を発見したらそこからどこまで戻るべきかを考えて軌道を修正するのが普通でしょう。情報収集に取り掛かったら、たちどころに当面の目的が全く無意味であることに気が付くこともあるでしょうし、実行に取り掛かったら情報が足りていないことに気が付いて情報収集に取り組みなおすこともあるでしょう。どの場面にいてもどこにでも戻ることが許されるのが生存活動サイクルというものです。
このサイクルを回しながら、うまく行かないことばかりに口惜しく思い、何とかしてやると力を入れてますます燃えるのが生存活動サイクルというものだろうと思います。
この中で、戦略戦術を策定する場面には、予期駆動型の知識構造が活躍します。
-------------------------
誰しもが燃える「生存活動サイクル」。
・ヒトや企業や各種団体は、自然にまたは意識的にこれを日々押し進めている。
・問題ベース学習やプロジェクトベース学習は、「生存活動サイクル」を真似たも
 の。
・戸塚先生がいう「構成型学習(実は建造型学習)」は、このサイクルをたどる学
 習方式である。
-------------------------
ただし、第ゼロ世代、第一世代までは目的設定が明らかでないという限界がありました。第二世代で、理科教育と算数教育の手段としてプログラミングを位置付けることで、プログラミング教育は目的を見出すことになったとされています。実は、理科と算数はヒトとしての究極の目的に貢献することがほぼ自明であり、プログラミングはそのための手段であるとされることによって、目的のないまたは自己目的的なプログラミング教育の弱点が克服されたのだと思われます。

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※「生存活動サイクル」については、第77回SH情報文化研究会で初めて詳しく説明しましたので、こちらを参照してください。
お仕着せアクティブラーニングは"人形芝居"~操られ上手を育てて何になる--感性的研究生活(88)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/04/--88-03c6.html


3-2 目的設定の重要性

目的設定の重要性
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目的設定の重要性については、次のスライドにまとめました。
戸塚先生も「プログラミンクは道具。プログラミングを自己目的にしない。サイエンスを教える」としています。この観点は大変重要で、これに照らしてみると昨今盛んになっている小中学生対象のプログラミング教育の多くには限界が存在していることを感じます。
プログラミング教育が危うい一面を持つことは、実は「戦略戦術」が自己目的化してしまう恐れがあることです。
「目的」が正しくてこその「戦略戦術」です。たとえば、ファイティングゲームのように「人をできるだけたくさん殺すこと」が目的の「戦略戦略」にいくらたけていてもプロフェッショナルな軍人でもなければ褒められません。人類の究極の目的に照らして、確たる理由もなく人殺しを称賛し続けるゲームに価値があるかどうかは歴然です。意味なく殺すことに快楽を覚えた異常者が事件を起こしかねないことはだれにでも透けて見えてきますね。
さて、どの学習現場に行っても教員からは、「うちの子たちは、やる気がなくてね~。好きなことはないかと聞いてもわからないという返事かほとんどなんですよ」というぼやきに近い言葉が聞こえてきます。子供たちに生まれつきやりたいことと言えば、おっぱいを飲むこと、排せつすること、親の愛を求めること、友達と遊びたいこと、個性を主張したいこと、など成長に伴って生ずるいくつかのことしかありません。野球をやりたいのかサッカー選手になりたいのか、エンジニアになりたいのか、保母さんになりたいのかは、生得的な欲望の外にあり後天的なものです。知る機会、体験する機会がなければ、好きも嫌いもいえる対象の外にあることを理解すべきです。
子どもたちがそれらの「目的」を見つけることをお手伝いするのが教師というものだと思います。このときに忘れてはならないのがつぎの3つです。
目的設定学習のポイント
 ①目的が見つけられるように体験機会を豊富に与えること
 ②究極の目的を教えること
 ③当面の目的と上位目的を常に意識させること
(1)目的が見つけられるように体験機会を豊富に与えること
 やってみて、感じて見なければ、好きも嫌いも判断ができません。
 体験機会をできるだけ幅広く与えることが大事です。
(2)究極の目的を教えること
 子供たちがヒトとしての究極の目的を突然思いつくことはほとんどあり得ません。先達たる大人
 たち特に教師はこれを教えなければならないと思います。*
 ヒトとしての究極の目的については、後で述べます。
(3)当面の目的と上位目的を常に意識させること
 目先の目的だけにまい進するひとも少なくありませんが、目先の目的に失敗すると挫折して、
 次に立ち上がれるかどうかがわからなくなります。
 当面の目的を創案設定する際は必ず、その上位の目的とセットにして、上位目的と矛盾のない
 目的設定にすることを教えます。これは当面の目的がぶれないためにも重要なことと思います。
 実はもう一つ大事な側面があります。当面の目的がどうしても達成しない場合に、そこであきら
 めずに、上位の目的に戻って、その目的を達するための下位の目的は他にもあることを思い出
 させる(またはその時に創案させる)ことができます。「これがだめでも、あちらがあるぞ」となりま
 すから、閉鎖した古い当面の目的A以外で、同じ上位の目的のための当面の目的Bを選択する
 ことができます。AもBもCも、、、すべての採り得る当面の目的が無理と分かったら、その上位
 目的のさらに上の目的(上の上の目的)にさかのぼってそのもとにある目的(上の目的群)の中
 から実現可能性の高い目標を洗濯するということができます。これが理解できていれば、レジリ
 エンス(逆境力)が身についているということになります。
 これも子供たちが突然思いつくことはほとんどありませんから、先達たる大人たちが教えなけれ
 ばならないと思います。この部分での教師の役割は特に大きいです。

* 私は4-5歳の時、病弱だった自分は、一人布団の中で涙していることが少なくありませんでした。生きてゆく価値が自分にはあるのだろうか、このまま死んでもいいのかな、、、。というわけです。母親は私が生存して成長することについての希望を持っていませんでしたので、私に未来への「期待」というものを一切見せませんでした。そのことが自分で自分の生存をあきらめる私の思いを掻き立てていました。
一つだけの可能性は、自分が他の人に役に立つようになれば生きていけるのではないかというものでした。被虐待児が役割少女、役割少年になるのと同根の心理状態だったのだろうと思います。
5歳の時、母方の祖父(光明院住職)が亡くなりますが、亡くなる前の日の晩、危篤を聞きつけた子ども家族が集結する中で、十数人以上いた孫たちを一人ずつ、寝間に呼んで、横たわったまま、一人一人の顔を見て遺言を伝えました。私が呼ばれると枕元に座らされて、祖父は「やっちゅん(私の幼名)か。いいか。しっかり勉強しろよ。他人の役に立つ人になれ。そうすれば、きっと生きて行ける。分かったか」とかすれた声で一言ずつ大きく息をしながらしっかりと言われました。私の心中を見透かされていたようです。
そのとき、はじめて、すぐに役立つことをしようとしてもできないのだから、勉強してから人に役立つようになっていいんだと目からうろこでした。
遺言通り生きてこれたかどうかは、はなはだ答えに窮しますが、生きてゆく指針をこの祖父から私はいただいたことになります。


3-3 体験機会

体験機会
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このスライドには、前のスライドに書かれている「体験機会」の例を列挙しました。
「体験機会」を増やそうというと、何をしたらよいかわからないという教員の方がいますので、大学教員だった私が実際に学生たちに体験させたものから選んでみました。小中高のそれぞれの学齢にあった体験学習が必要と思いますので、関係者の皆さんはここから類推してあるいは発展・発案して適切な体験機械を子供たちに提供していただきたいと思います。
詳しく述べる時間がありませんので、例示にとどめて次に進みます。


3-4 ヒトの究極の目的

ヒトの究極の目的
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ヒトの究極の目的については。次のスライドにまとめました。
詳しくは、引用ブログ※を参照してください。

世界宗教と呼ばれるゾロアスター、ユダヤ教、仏教、キリスト教、イスラム教などの経典に書かれている、ヒトとしての究極の目的は、いささか乱暴にまとめると、つぎの3つです。
また、世界史に登場する賢人・哲人が共通して言うのもこの3つです。
民族を超える世界宗教と言われるものは拝火教に始まりますが、その後継宗教であるゾロアスターの経典には拝火教の真髄がほぼ踏襲されています。その他のユダヤ教、仏教、キリスト教、イスラム教など世界宗教も拝火教またはゾロアスターからの分派成立したものですから、基本的な理念は共通していて不思議はないのです。

  (1)人は現世で生を十分に楽しむために生きる
  (2)ヒトは他者の喜びのために生きる
  (3)子孫の繁栄と幸福のために生きる

これを現代的に言いかえれば、以下のとおりになります。
そもそも、生物の生存目的は
 ①「個体の生存」と③「種の保存」
にあると、現代の生物学は教えています。
(ここで、②を飛ばしてあるのは、次の項目を②に加えるためです)
さて、ここで、ヒトは他の生物と違って「社会を作る動物」ですから、
 ②「組織と社会の維持」
も目的に加えてよいでしょう。

  ①「個体の生存」
  ②「組織と社会の維持」
  ③「種の保存」

①②③は、それぞれ、前述の(1)(2)(3)に対応していますね。言葉こそ違いますが、言っていることは基本的に同じだと思います。
注意しなければならないのは、これらは互いに矛盾することがあります。むしろ、しばしば矛盾するといってよいでしょう。ヒトはその都度、迷い、悩み、妥協して、何かを優先して選択しているに違いありません。
また、人の世の禁止事項は、次のようにまとめることができます。
「個別の目的設定は、これらの究極の目的に反してはならない」
したがって、目的設定においては、本人の好き嫌いとは別に、これらの究極の目標に反しないよう、またむしろこれらの目的に貢献するように本人の目的設定を行うことを教えなければなりません。
これらは、1940年頃までは世界のどの国でも家庭で親が子に教えていたものです。今はこのことを理解している親がそもそも少なくなりましたので、教師は意識して子供たちにこれを教えてあげるべきだと思います。
海外に渡ったり、日本に来た欧米人から「あなたの宗教は?」と聞かれて「無宗教」と答えたらいけない理由は、自分はこれらの3条件を認めていない、つまり無頼の徒であるという意味になってしまうからです。
私は、いささか違和感を感じながらとりあえず「I'm buddhist」と答えておくことにしています。

※飯箸泰宏 「創造力の作り方2 情熱エンジンと創造力」、第78回SH情報文化研究会(6/7)--感性的研究生活(101)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/06/post-5227-4.html

3-5 当面の目的と上位目的
やっとここまで来ました。
次のスライドには、当面の目的と上位目的の関係を図示しました。

当面の目的と上位目的
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(1)当面の目的と上位目的の関係
繰り返しになりますが、 当面の目的を創案設定する際は必ず、その上位の目的とセットにして、上位目的と矛盾のない目的設定にすることを教えます。これは当面の目的がぶれないためにも重要なことと思います。
実はもう一つ大事な側面があります。当面の目的がどうしても達成しない場合に、そこであきらめずに、上位の目的に戻って、その目的を達するための下位の目的は他にもあることを思い出させる(またはその時に創案させる)ことができます。「これがだめでも、あちらがあるぞ」となりますから、閉鎖した古い当面の目的A以外で、同じ上位の目的のための当面の目的Bを選択することができます。AもBもCも、、、すべての採り得る当面の目的が無理と分かったら、その上位目的のさらに上の目的(上の上の目的)にさかのぼってそのもとにある目的(上の目的群)の中から実現可能性の高い目標を選択するということができます。これが理解できていれば、リジリエンス(逆境力)が身についているということになります。
このことに、子供たちが突然思いつくことはほとんどありませんから、先達たる大人たちが教えなければならないと思います。この部分での教師の役割は特に大きいと思います。
(2)「挫折」しないためのコツ
当面の目標のために戦略戦術を駆使して突進してもダメという場合は少なくありません。現実は甘くないのです。
情報収集や戦略戦術の誤りや実行するに際の技能不足などをおぎなってもなおダメなこともままあります。そのときは、次のようにします。
 ・下位目的が間違いだったのか?と考え直します。
  その結果、上位目的に適う妥当な別の下位目的を設定する。
 ・下位目的がどれも不発なら、上位目的を変更する。
  上位目的の変更のコツは、上位目的のさらに上の目的を推定してその下位目的を探す。
  上位目的のさらに上の上位目的は、近接の場合もあるがかなり飛躍することもある。


4.戸塚先生の教え子はなぜ力をつけたのか
4-1 創造力の源泉

創造力の源泉
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さて、これまでは戸塚先生の教育実践に近い私の考えを取り上げてきましたが、ここからは、その知識を使って、なぜ戸塚先生がその教育実践で成功したかについて、解釈を試みたいと思います。

戸塚先生の教え子はなぜ力をつけたのでしょうか。教え子の子どもたちは、創造性を身に着けてクリエイティブな仕事にまで就いています。
その創造力が湧き出た源泉は、PBL(Problem Base Learning or Project Based Learning)を取り組んだことにあります。
PBL(Problem Base Learning or Project Based Learning)で疑似的に生存活動サイクルを回し続けると次のようなことが起こります。
----------------------------------
生存活動サイクルを回ると、創造力が身についてくる。
①目的設定ができる/情熱が沸く
②情報収集ができる
③戦略戦術(予期駆動フレーム)が立てられる(建造型知識構造を構築できる) [独創
 性]
④予期駆動フレームを修正できる(建造型知識構造を修正できる) [独創性]
⑤実行力が身に付く
⑥当面の目的とその上位の目的に照らして、結果を評価できる
⑦続く当面の目的を設定できる
⑧思考のバグにいたるところで気づくことができる[創造性]
⑨より上位の目的から当面の目的を選択できるようになるので、今まで気づかれな
 かった新しい課題に気づいて取り組むようになる[新奇性]
----------------------------------
この箇条書きを見れば明らかですが、すこし補足します。
「①目的設定ができる/情熱が沸く」
失敗して口惜しくて夢中になる・・・バクつぶしに熱中するという熱情も必要ですが、ふと、やっていることにむなしくなる瞬間があります。「ボクは、ワタシは、何のためにこんなことをやっているんだろう・・・」そうです。目的に意義を感じない限り、どんなに熱中してもいつかは飽きてしまうのが人間というものです。意義のある目的を設定してこそ深い情熱を持続できるのです。
戸塚先生は試行錯誤の末に、理科と算数の科目学習に目的を求めました。これは、子供たちに「現実や事実をよく見なさい」と指導することにもなり、視野が自己の観念や欲望の内側にとどまらずに広く現実を見る方向に向いたことにもつながりました。ヒトにとって意義のある目的設定ができるようになれば、おそらくはその情熱が生涯消えることはないはずです。
「②情報収集ができる」
思い込みだけでは痛い目に合うことはBPL(Problem Base Learning or Project Based Learning)でいやというほど学習するでしょう。事前に情報収集し、方向を定めて戦略戦術を立て、いざ取り掛かるとまた情報収集が必要になります。いやいや学習するのではなく、目的あっての情報収集ですから、力が入らないわけがありません。「やってみる」ことは、勉学の意欲を百万倍にするのです。
あなたにも経験がありませんか。学生時代あれほど嫌だった勉強なのに会社勤めを始めていざ仕事に取り掛かってみると、「しまった、もっと勉強しておくんだった」と思ったり、狂ったように自宅で勉強を開始し始めたりした経験はありませんか。
BPL(Problem Base Learning or Project Based Learning)ではその経験を実社会に入る前に体験しますから断然強い子供になってゆくのです。
「③戦略戦術(予期駆動フレーム)が立てられる(建造型知識構造を構築できる) [独創性]」
および
「④予期駆動フレームを修正できる(建造型知識構造を修正できる) [独創性]」
目的の完成形を思い描いて、その構成要素を洗い出す力がつきますから、ここから予期駆動型の知識を構築して戦略戦術の実行に移ってゆくことになります。あらかじめ考えた戦略戦術は残念なことにたいていはまず失敗します。子どもたちは、失敗して新しい手を考えるのです。失敗するたびに戦略戦術は洗練されたり、他人が思いつかなかったようなアイディアが盛り込まれるようになります。振り返れば、他にはない方法で難しい関門を突破していることになります。「頑張っても汗と徒労感ばかり」ではなく、「頑張れば独創的方法による難問解決」という充実感が待っています。またそうなるように教師は誘導しなければなりません。戸塚先生はそのあたりについて卓越した能力をお持ちのだろうと思います。
「⑤実行力が身に付く」
戦略戦術に従って取り掛かってみても、現実はそんなに甘くはありません。対峙した現実に合わせて様々な工夫と痴と涙が必要です。目的のために、苦労を押して実行した経験の力は、社会に入って(※)から体験する類似の場面で大いに発揮されるはずです。
「⑥当面の目的とその上位の目的に照らして、結果を評価できる」
自己評価の力が身に付くという点もBPL(Problem Base Learning or Project Based Learning)の良い点です。やってみてできなければ自分を直すことで事態の改善を図ることになります。評価は当面の目的とその上位の目的と現実を照らして行いますが、自己評価が甘ければ現実の改善はおぼつきません。もっとひどいことになったりもします。どのあたりが悲観論にならない程度の厳しい自己評価なのかを実際経験の中で理解してゆくことになります。
「⑦続く当面の目的を設定できる」
当面の目的をその上位目的とともに保持している子供たちは、当面の目的をクリアしたら、上位目標に沿った次の課題がおのずと見えてきます。当面の目的の達成は不可能と悟ったら上位目標に照らして別の当面の目的を設定できますから、目的をクリアしてもしなくても、やることがなくなったり、喪失感でうつ状態に陥ったりすることはありません。緊張感は一定に保たれて、途切れることなく生存活動サイクルを続けることができます。
「⑧思考のバグにいたるところで気づくことができる[創造性]」
思考のバクには、形式論理上のミス(プログラムのシンタックスエラーのようなもの)と考え方のミス(ヒトとしての究極の目的に反する思考、プログラミングの論理エラーのようなもの)も発生します。
生存サイクルを回るということは なんどでもやり直せるということで、エラーを発見しても極端な自己否定に陥ることなく、立ち直りが素早いということになります。立ち直れることが経験上分かるようになれば、バクの存在に密かに気がついてもバクを認めなかったり、修正の方法がわからないのでバクをなかったことに隠したりすることがなくなります。むしろバクを見つけたことを喜んで修正のために勇んで作業することになります。
「⑨より上位の目的から当面の目的を選択できるようになるので、今まで気づかれなかった新しい課題に気づいて取り組むようになる[新奇性]」
普通には気づかなかったような課題が潜んでいることに気づく新奇性の能力は、上位の目的のそのまた上位の目的、、、のように上に上にたどっているところから生まれます。今まで他人が指摘しなかったような当面の目的が導き出せれて、喜んで取り組むことになります。
こんな風に、生存活動サイクルとそのシミュレーションであるPBL(Problem Base Learning or Project Based Learning)には、いたるところに創造性を育てる場面が存在していることがお判りいただけたでしょうか。

※学校関係者はよく「社会に出ていく」と言います。しかし、これは、学校を出たらよるべなき荒野に出ていく印象を子供たちに与えます。社会というものへの悪い印象を増悪させます。
事実は、学校を出たら子どもたちは社会の様々な組織構造のどこかに参加していくのです。「社会に入ってゆく」のです。ぜひとも、子どもたちには「社会に出ていく」ではなく、「社会に入っていく」と言葉をかけてあげていただきたいと思います。


4-2 リジリエンス(逆境力)の源泉

リジリエンス(逆境力)の源泉
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飯箸 泰宏 リジリエンス(逆境力)の強化についても、生存活動サイクルは大いに貢献します。
もう既に何度も触れましたので簡潔にまとめます。
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生存活動サイクルを回ると、リジリエンス(逆境力)が身についてくる。
①思考のバグに対処し得る方法を身に着ける。
 バグは当たり前、バグは訂正するものという心構えができる。
②当面の目的を見限って、上位目的の範囲内で別の当面の目的を設定できる。
 これがダメなら、あちらがあるさ
 ・・・したがって、プレッシャにつぶされない。
②同一の上位目的の範囲内で別の当面の目的を探せない場合は、当該上位目的を捨てて、
 そのさらに上位の目的の範囲の下位目標を探すことができる。
 あちらがだめでも、もっと上位から見つけてやる。どこまで行ってもあきらめない。
---------------------
戸塚先生もこれを実践してきたので、子供たちは逆境に耐えて社会で開花しているのです。


4-3 不思議感受性の源泉

不思議感受性の源泉
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飯箸 泰宏 不思議感受性はどこから来るのでしょうか。

生存活動サイクルを回ると、不思議感受性が身についてくるのです。そのわけは次の通りです。

①思考のバグを発見することに慣れると、不足や矛盾が放置できなくなる。
 ・知識構造内部の矛盾に気づいて「なぜ」と言う。
 ・新しく得られた知識が既存の知識と整合しないと「なぜ」と言う。
 ・知識の不足や間違い、戦略戦術や練習が間違っていたり不足していたら、これができないの
  は「なぜ」と言う。
②当面の目的に対していつでも懐疑的になれることに慣れると、このままでよいのかと常に反省
 するチャンスに身を置くことができる。
 ・目的の変更、戦略戦術の変更、やり方の習熟度を上げようとすると、点検方法の改善に、自在
  に取り組むことになる。
疑問が単なる懐疑主義に堕してゆかないのは、情熱を燃やす目的があるからです。疑問があれば何か工夫してその疑問をクリアしてゆく情熱エンジンが後押ししてくれます。

4-4 バグに気づく力の源泉

バグに気づく力の源泉
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バクに気づく力はどこから来るのでしょうか。

生存活動サイクルを回ると、バグに気づく力が身についてくるのです。

①プログラムを道具に使っているので、日常的にバグつぶしをしている。「思考にバグは当たり前」になる。
 あたりまえでないと他人のせいにしたりして、自助努力しないものですが、当たり前なら自分がバクを作
 っても当たり前なので感情的にならずに普通に自助努力してバクの修正に当たれるようになる。
②バグはプログラムばかりか、ヒトの思考そのものにも起こることを年中学ぶので、バグに驚かないし、修
 正することに躊躇しなくなる。

つまり、バグが自己否定につながらないことを学ぶので、バグを素直に受け入れて自己内でとらえることができ、他者にも(修正可能という)自信をもって表明できるのです。
戸塚先生は子供たちに体験を通してこのことを教えていましたね。子供たちは強くなります。とても良い教育実践です。

終わり

終わりのページ
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飯箸 泰宏 今日のお話は、これでおしまいです。
このお話は、12/9(日)の「創造力の作り方4」に続きます。
お楽しみにお願いいたします。


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琵琶

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