情報交換会-第80回SH情報文化研究会--感性的研究生活(137)

2018/12/15


情報交換会-第80回SH情報文化研究会--感性的研究生活(137)

ミニシリーズ「第80回SH情報文化研究会」
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<1>概要-第80回SH情報文化研究会
<2>飯箸の発表「問題解決の方法(推論の方法)」-第80回SH情報文化研究会
<3>余話「螺鈿細工(らでんざいく)の山分け」-第80回SH情報文化研究会
<4>情報交換会-第80回SH情報文化研究会
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12月9日(日)第80回SH情報文化研究会が開かれました。

研究会参加者のうち9名が情報交換会(懇親会)にも参加。盛り上がりすぎで時間が足りませんでした。
(1)9人の集合写真

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(2)ナンプレの神様こと藤原博文さん(左端)と杉山さん(中央)と柳澤先生(右端)
藤原さんから杉山さんにプレゼントされた新著をかざしています。

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(3)柳澤先生(左の背の高い方)と杉山さん(中央)と私(右端)

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いずれの写真も杉山さんのカメラで撮られたものです。

談論風発、楽しかったですね。

<場外発言>
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YKさん: (発表会のみに参加された方)
体調さえよければ、と。悔やみます。
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飯箸 泰宏
次回には、これを励みに体調を整えてご参加されますことを期待しています。
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準備中
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琵琶

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余話「螺鈿細工(らでんざいく)の山分け」-第80回SH情報文化研究会--感性的研究生活(136)

2018/12/15


余話「螺鈿細工(らでんざいく)の山分け」-第80回SH情報文化研究会--感性的研究生活(136)

ミニシリーズ「第80回SH情報文化研究会」
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<1>概要-第80回SH情報文化研究会
<2>飯箸の発表「問題解決の方法(推論の方法)」-第80回SH情報文化研究会
<3>余話「螺鈿細工(らでんざいく)の山分け」-第80回SH情報文化研究会
<4>情報交換会-第80回SH情報文化研究会
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12月9日(日)第80回SH情報文化研究会が開かれました。

螺鈿細工(らでんざいく、齋藤敦子さん作)を、研究会開始前のロビーで、柳澤名誉教授&杉山さん&私の三人で山分けしました。
(1)山分けした後の証拠写真(飯箸貴美子撮影)

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(2)山分け後の三人の満足げな顔の記念写真(杉山桃花さんのカメラで別の方が撮影)

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何ごとかと思われるかもしれませんが、実は、研究会に参加できなかった仙台の齋藤敦子さんが、三人で分けてほしいと私の事務所に螺鈿細工を送ってきました。それを研究会開始前に山分けしたものです。
螺鈿細工の作品は齋藤敦子さん自身で作られたもので、マグネットに黒漆を塗り重ねて、アワビの貝の小さな破片を埋め込んだものです。キラキラと光って美しい作品です。ホワイトボードに使用するものだそうです。
手作りですから、一つとして同じものはありません。
箱に入れられて、事務所に届きましたので、私は開封せずに会場に運びました。開けたらいいモノだけ獲ってしまう衝動が湧きそうで怖かったからです(私ってなんて小心者なのでしょう)。
さて、当日はお二人とも早めにご来場になりましたので、会場のロビーでお二人の目の前で箱を開梱して、袋を取り出しました。螺鈿マグネットは全部で15個ありました。
まずは、じゃんけんで優先順位を決定します。3人とも真剣でした(笑)。一番は杉山さん、二番は柳澤先生、三番は私です。杉山さんが最初の1個を取る権利があります。次は柳澤先生です。私は3番目でしたが、13個のこっている中から選ぶのですから、そう悪い気はしません。私が選び終わると杉山さんに戻って、また1個選び取ります。次は柳澤先生、そして私と里返しになります。このサイクルを5回繰り返すと品物はすっかりなくなってすべて3人の手の上に分けられました。このときの写真が一番目の写真です。すぐ後に、3人の満足そうな顔もパチリしていただきました。
齋藤敦子さん、丹精込めた作品をありがとうございます!!!

<場外コメント>
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齋藤敦子
教育普及ボランティアで、東北歴史博物館で仲良しさんでした解説員の友人が、東日本大震災で文化庁の予算で被災地の子ども達のために小学生向けにやっていたいたワークショップを、多賀城市史遊館に写ってやれるワークショップです。小学生から大人までできるように螺鈿細工の体験できるようにしています。2時間ほどお時間があれば、一回に5個までつくれます。一人で5個もできるし、5人で1つづ作ることが可能です。塩竈に観光に行くついでに立ち寄って作ってみて下さいね、提案者の二人がお待ちしております。

提案者のお二人
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正式名称はこちら!
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他にもこんなことやってます。
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千代紙など若干持ち込んでやらせてもらってますが、螺鈿はアワビから作ります。

見本はこちら
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原料となるアワビシートです。アワビの貝を割って作ります。
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<次の記事に続く>


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琵琶

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飯箸の発表「問題解決の方法(推論の方法)」-第80回SH情報文化研究会--感性的研究生活(135)

2018/12/15


飯箸の発表「問題解決の方法(推論の方法)」-第80回SH情報文化研究会--感性的研究生活(135)

ミニシリーズ「第80回SH情報文化研究会」
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<1>概要-第80回SH情報文化研究会
<2>飯箸の発表「問題解決の方法(推論の方法)」-第80回SH情報文化研究会
<3>余話「螺鈿細工(らでんざいく)の山分け」-第80回SH情報文化研究会
<4>情報交換会-第80回SH情報文化研究会
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12月9日(日)第80回SH情報文化研究会が開かれました。

12月9日(2018年)に開催された第80回SH情報文化研究会で行った私の発表を幾分補足を加えながら、実況放送風に解説してまいります。
まず、小雨降る中お集まりいただいた皆様に感謝いたします。この中には遠くは仙台からいらした方もいらっしゃいます。同じ関東圏とは言え、大船から松戸の会場までいらした方もいらっしゃいます。
私の次には、メインゲストの中村向葵里ちゃん(5歳)の発表も控えていますから、向葵里ちゃんの発表時間を圧迫しないよう、短めにお話をさせていただきます。


1.発表タイトル(スライド1)

スライド1「創造力の作り方4: 問題解決の方法(推論の方法)」
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さて、1枚目のスライドは、私の発表のタイトルが表示されています。今回は「問題解決の方法(推論の方法)」としております。これは昨年末から開始した「創造力の作り方」講演シリーズの第4回目に相当いたします。
ご承知の通り、私は脳科学者でも心理学者でもなく人工知能(AI)の分野の技術者です。人工知能の立場から、ヒトの脳の働きを仮説検証風に説明させていただきます。

ここで、まず次の画面をご覧ください。

補足スライド①「人工知能システムの基本形」
飯箸泰宏, 2018.08.02 第50回日本医学教育学会大会プレコングレス「AIへの基本的理解」, p.6)
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この画面は私が「第50回医学教育学会プレコングレス」で使用したスライドの一枚(当時の資料のスライド番号6)です。
人工知能の世界では、現段階の人工知能システムをおおむね「推論エンジン」と「知識ベース」の二つから構成されていて、その前後に「U/I(ユーザインターフェイス)」と「知識獲得部」があると考えています。
2016年に「知識獲得部」の研究が開花して人工知能の認知度が大幅に向上しました。これが第三次ブームと言われるものの実体ですが、「知識獲得部」さえあれば「推論エンジン」や「知識ベース」、「U/I(ユーザインターフェイス)」が必要がなくなったのかと言えばさにあらず。私は、これらが相変わらず重要であることを主張してきました。
「創造力の作り方3--知識の構造」で詳しく述べた「知識の構造」では、人工知能の「知識ベース」がヒトの脳のどこに該当するのかを比定しながら解説させていただきました。
今回の「創造力の作り方4--問題解決の方法(推論の方法)」では、人工知能でいう「推論エンジン」がヒトの「問題解決の方法(推論の方法)」のモデルであるとみなして説明をさせていだきます。(*)
次のスライドでは、「推論エンジン」はヒトの脳のどの部位で主に稼働しているのかを説明いたします。

(*)ここで大事な言い訳をさせていただきます。「創造力の作り方」講演シリーズでお話しさせていただいている内容は、これまでも断片的にあちこちでお話ししてきたことが基になっていますが、通観して整合性のある統一観念にし切れてこなかった弱みを内包しています。そのため、シリーズを進めるにつれてあれもこれも考えが足りていないと口惜しく情けない思いをすることがしばしばです。前回までにお話しした内容や図表が新しい講演では改訂を余儀なくされている箇所が複数個所出現してしまうのが実情です。「以前の話と違うじゃないか」とご不満を感じられる方も少なくないと思いますが、少なくとも今が考えられかぎり最高に詰めた状態です。過去のお話しした内容や図表は断りなく改訂されているという点にご理解とご容赦をお願い申し上げます。万一、この連続講演が一段落した暁にその記録を1つの文書またはファイルにまとめる機会がありましたら、各回相互にある齟齬・矛盾を統一して整合性のあるものにしたいと思います。もとより私は不完全を絵にかいたような人間です。私の不完全性をなにとぞお許しいただければ幸いです。(言い訳、終わり)


2.ヒトの脳とヒトの知性

補足スライド②「ヒトの脳とヒトの知性」
(当日は時間の都合上割愛した図)
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人工知能の基本構成の各要素が脳のどこにあるのかがこの図でお分かりいただけるものと思います。
1)前頭葉前頭前野部
本日、主にお話ししたい「探索や推論」を用いた「解法(=問題解決法)」が主として行われる場所も書き込んであります。それは前頭前野部です。前頭前野部は前頭葉の前半分にあります。
ここは、ヒトとしてどうあるべきかを考えたり家族や所属組織における人間関係をおもんばかる(斟酌、忖度、、、)ことができる能力も持っていますが、それらの配慮の上で、目的に合う戦略を戦術を組み立てることになります。
2)手続き型解法(探索と推論)
戦略と戦術についての既存知識は、主として手続き型知識構造の形で運動野(+頭頂葉)にありますから、当面する現実と照らし合わせながらまずは運動野(+頭頂葉)の中を探索し目的に役立ちそうな知識を探し出します。目の当たりにしている現実を想定に取り入れてシミュレーション(仮想実験)をすることが推論という作業になります。次項で取り上げる「(2)主な手続き型解法(探索と推論)」がこれに該当します。
3)宣言型解法(探索と推論)
運動野(+頭頂葉)にある「手続き型知識構造の知識」が物足りない場合は、側頭葉(+頭頂葉)宣言型の知識構造の知識にさかのぼって、探索し同様にシミュレーション(推論)します。次項で取り上げる「(1)主な宣言型解法(探索と推論)」がこれに該当します。
4)知識構造の革新(創造)が起きる
このときにはいろいろなことが同時に発生いたします。
目の当たりにしている現実に照らすと多くの場合は既存の手続き型知識が不満足で直面している現実から新しい知識を採り入れたりここにつながる新らしい情報の収集を進めて新たに作り直すか少なくとも修正が必要になります。
知識の再構築はとりもなおさず創造活動ですから、目的に沿って行動を起こそうとする際の探索推論活動は大いに創造活動を誘発いたします。
考えの浅い人は、手続き型知識だけを手直したり新たに作ったりしてことを済ませようとしますが、たいていは失敗したり、成功したとしても1度かぎりの成功で、二度目は以降は失敗します。
手続き型知識は宣言型知識と結びついて構成されていますから、既存の宣言型知識に戻って宣言型知識の中で(おおむね)矛盾のないように作り直したり修正したりする必要があります。場合によっては手続き型知識を手直ししたいと願ったのにそこにつながる宣言型知識の中では明白な矛盾が生じてしまうことが発見されたりもします。その現象は願った手続き型知識がそもそも無理すじとであることを示しているかもしれません。深くものを考えるということは手続き型の知識だけではなくこれにつながる宣言型の知識も十分に点検するということなのです。
前頭前野部は大脳皮質の他の部位に対する司令塔です。司令塔の命令が下ると運動野(+頭頂葉)では新しい手続き型の知識が誕生したり、既存の手続き型の知識が大きく変更されたりしますが、これに伴って側頭葉(+頭頂葉)でも宣言型の知識が新しく誕生したり、既存知識が大きく変更されたりします。
5)「創造力の母」と「創造力の父」
ヒトの活動における目的設定は前頭前野と深くかかわりながら生命維持に最も深くかかわる脳幹や大脳辺縁系や旧皮質などが総動員されていると想像いたします。脳幹や大脳辺縁系や旧皮質(+前頭前野部)などを「創造活動の母(母体)」とすると、前頭前野部が創造活動を掻き立てる厳しい「創造力の父」ということができるのではないでしょうか。前頭前野部は、運動野(+頭頂葉)と側頭葉(+頭頂葉)に対する主導権を握って、知恵を出せと要求し、現実に合わないふがいない知識しか出せなかったら、やり直せと命ずる役目を持っています。
・創造力の母
 脳幹や大脳辺縁系や旧皮質などから前頭前野部に働きかける熱い思いこそ、創造力の母となります。
・創造力の父
 前頭前野部が、主導権を握って、運動野(+頭頂葉)と側頭葉(+頭頂葉)に改革を要求して叱咤激励することは創造力の父と言ってよいと思います。
何事も、父と母または父や母に変わる養父母がいて、心の発展は強化されます。


3.自己紹介(スライド2)

スライド2「飯箸の自己紹介」
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遅ればせながら、こちらは私の自己紹介です。
ここに来られている方は、ほとんど私のことはご存知でしょうし、時間の不足がちですので、口頭での説明は省かせていただきます。必要に応じて画像をクリックして拡大してご覧いただければ幸いです。


4.目次(スライド3)

スライド3「目次」
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こちらは「目次」です。必要方は画像をクリックして拡大してご覧ください。このような内容をこの順にお話しする予定です。


5.何かが足りない?--日本だけ賃金が下がっている(スライド4)

スライド4「何かが足りない?: (1)日本だけ賃金が下がっている」
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突然異なる話題で恐縮ですが、上記のグラフをご覧ください。
本筋とは無関係ですが、OECDの統計データから作成されたOECD主要国の賃金の推移です。
ここに表示されている賃金は物価等の推移を考慮したいわば「実質賃金」です。2000年の各国の賃金をそれぞれ100とみなして、その後の賃金を100に対して??倍になったかを示しています。
OECD主要各国の賃金は軒並み上昇していますが、日本はほぼ100のまま、その前後で上下しています。というよりもほぼ下回った位置を徘徊しているという風情です。結果として昨年(2017年)の実績で、99.7%と100を下回っています。現政権下では賃金上昇が著しいと声高に解説する人もいますが、実態は少なくとも実質賃金の上昇はなかったということになります。
そこで、大木したいと思います。日本の皆さん、日本を変えてゆく必要をお感じではありませんか?
賃金上昇がある社会にするためには社会も変えなければならないでしょうし、経済も変えなければなりません。技術の革新も必要です。
日本の皆さん、日本に創造力はいりませんか? 
創造力なしに社会や経済や技術を確信してゆくことができるでしょうか。
日本の皆さん、「創造力の作り方」を総力を挙げて普及いたしましょう。


6.「情報収集」と「戦略戦術」を別角度から見る(スライド5)

スライド5「何かが足りない?: (2)「情報収集」と「戦略戦術」を別角度から見る」
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1)生存活動サイクル
これは、この講演シリーズの第1回目以来たびたび取り上げている「生存活動サイクル」の図です。
2)「目的意識」と「情報収集」と「戦略戦術の構築」
目的意識をもって行動を開始しようとすれば、「情報収集」と「戦略戦術の構築」がすぐに必要になります。問題の解法(推論と探索)を得るということは「情報収集」と「戦略戦術の構築」を別角度からみていることにもなります。
「問題の解法(推論と探索)」は、「情報収集」と「戦略戦術の構築」の中だけに閉じ込められているわけではなく、「問題設定をして」「実行して」「結果を観察して」「次の行うべきところを仮設する」などの一連のサイクリックな行動実戦(全部を大きく回るばかりではなく、どんな途中でも小さく回ることができる)際にも「情報収集」と「戦略戦術の構築」は不断に行われているということは忘れるべきではないと思います。
3)足りない情報はどこから採るか
ところで、情報収集はすでに自分の頭にある知識の中から必要な知識を取り出すだけで足りるでしょうか。足りませんね~。他の優れた先達・先輩・書籍・ネット情報・論文・雑誌・新聞・マスコミなどから得られるものだけで足りるでしょうか。御用学者さんの多くはこれで足りると強弁するでしょう。そうしておけば、学者以外から知識を得る必要がないことになって、学者の地位は不動だからです。
しかし、それはとんでもないのです。どんな学者であろうが現場の知識は現場の職人に適わないのです。現場の職人は現場の実際から日々・刻々新しい情報を手に入れ、知識に加えています。職人ばかりではなく、一般に、ヒトは、イキイキと生きている限り、生身の現実から無限の知識を日々・刻々手に入れています。学者も生身の現実から(実験や調査などで)知識を獲得しますが、学者だけの専売特許ではないのです。市井の人の数に比べて学者の数は限られています。学者が束になってもやれることは限られています。市井の人々が日夜手に入れている知識を総合すれば、学者の知識の総和よりもはるかに大きくなるはずです。
4)探索と推論(問題の解法)の能力は創造力を強化する
そのように私たちの周囲の外界から私たちが豊富な知識を手に入れるためには、「問題の解法(推論と探索)」が必要であり、わたくしたちに備わっているその能力は、創造力発揮のための大きな力になってゆきます。


7.知識(論理)の構造例--復習: (1)宣言型の例(スライド6)

スライド6「知識(論理)の構造例: 復習 (1)宣言型の例」
6
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前回の「創造力の作り方3」の復習です。ここには宣言型知識構造のパターンを3つ描いてあります。これらの知識は側頭葉と頭頂葉の協調動作で構成保守維持されるものです。あくまでもサンプルとご理解ください。
ここに取り上げた知識構造はつぎの3つです。
①カテゴリー化知識構造: 単位知識(事物と属性と名前の3つまたは2つまたは1つをもつもの)をベースに抽象化の階段を上って具象化の階段を降りるメタ知識構造。
②逐次型知識構造: 単位知識(事物と属性と名前の3つまたは2つまたは1つをもつもの)をベースに生起または認知した順に逐次的に記憶される知識で、それらのインデックスを高次水準で統合貸してゆくメタ知識構造。
③建造型知識構造: 事物を実際または仮想的に分解し、共通部品でくくる物づくり型の知識構造。
ここに取り上げた宣言型の知識構造はたった3つだけですが、宣言型の知識構造にはまだまだたくさんあることは忘れてはいけません。


8.知識(論理)の構造例--復習: (2)手続き型の例(スライド7)

スライド7「知識(論理)の構造例: 復習 (2)手続き型の例」
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こちらも復習です。手続き型の知識のサンプルです。ここには、予期駆動型知識構造、プロダクション型知識構造。ディープラーニング型知識構造を取り上げました。これらも手続き型知識構造のすべてを尽くすものではなくたくさんある手続き型知識構造の内のサンプルにすぎないとお考えください。これらの知識構造体は、主として、運動野と頭頂葉の協調活動で生成保守維持されているものと思われます。
①予期駆動型知識構造 宣言型知識の中の建造型知識構造と対応するもので、物づくりの手順や戦略戦術が格納されるものです。
②プロダクション型知識構造 宣言型知識の中のカテゴリー化知識構造および逐次型知識構造に対応するものでです。
③ディープラーニング型知識構造 こちらは小脳などから知識を反映するものです。
ここに取り上げた手続き型の知識構造はたった3つだけですが、手続き型の知識構造にはまだまだたくさんあることは忘れてはいけません。


9.解法(探索と推論)について(スライド8)

スライド8「解法(探索と推論)の解説」
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本日のメインテーマは「解法(探索と推論)」です。
この図に示したように、解法(探索と推論)には大別して、宣言型と手続き型に分かれます。主に宣言型の知識を活用するものと主として手続き型の知識を活用するものという意味になります。
それぞれの中にも多様な解法(探索と推論)があります。それぞれの多様な知識構造に対応する解法(探索と推論)です。個別の解法(探索と推論)はたくさんありますが、大別すると宣言型と手続き型それぞれが3つに分かれます。
①論理解法 ヒトの知識の中だけで解が得られる場合(*)
②経験的解法 未知の現実と既存知識を組み合わせて行われる解法
③体感的解法 未知の現実を五感で感じつつ既存知識に頼らずに行う解法

(*)かつては「ヒトの閉じた精選された特定知識の中だけを探索し推論すれば解が得られる」と考えられていましたが、「(ヒトの閉じた精選された特定知識の中だけで解が得られるように思うのは、そんな気がするというだけで実はそうでもない)解法」という意味になっています。
「気がするだけで実はそうでもない」とは、たとえば、数学の定理の証明のような問題であっも、実際にコンピュータにやらせてみると「ヒトの数学的知識の中だけで解が得られる」のは幻影で、実際は、「よって、××」または「△△は自明である」などとされる推定部分の随所に、ヒトが持っている膨大な常識的な知識を活用しなければならないという現実に遭遇してしまうことではっきりしてしまいました。
膨大な常識的な知識は、実際のところ現実生活の中でヒトが体得するものであり、閉じた精選された特定知識からいつもははみ出しており、また厳密に断定できるような知識というよりは、不完全だが真実に近いかもしれないという「経験的知識(ヒューリスティック)」がほとんどを占めています。
その点では①論理解法とはいうもののそれは②経験的解法に良く似通っているのです。それでも「論理解法」が特別視されるのは、この解法に分類される方法は不確実性が少なくてが適用される場合は「精選された特定知識の中だけで解が得られる」と勘違いできるくらいに、間違いが少なくて、スピーディに解が得られるものに限定されているからです。


10.解法と論理、その相似(スライド9)

スライド9「解法と論理、その相似」
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<クリックすると拡大します>

こちらのスライドをご覧ください。
左側は、解法(探索と推論)の種類をまとめてやや詳しく書いたもの、右側が論理(知識)の種類をまとめてやや詳しく書いたものです。
ヒトは、ものごとを「存在とその運動」あるいは「事物とその属性」「論理とその応用」などのように分けて考えると考えやすいものです。このスライドの左側の「解法」と右側の「論理」を人工知能の世界では、「推論エンジン」と「知識ベース」と呼んで区別します。
別の見方をすると、左側の「解法」は「(A) Nutzung(活用)」と「(B)Sein(実体)」と言い換えてもよいかもしれません。


11.Sein=論理=知識ベース(スライド10)

スライド10「Sein=論理=知識ベース」
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1)概要
このスライドは、直前のスライドの右半部を拡大したものです。
ここには、「Sein=論理=知識ベース」の部分が大きく示されています。
一番下には「感覚的記憶/ワーキングメモリ etc.」と書かれていて、一番上には「予期駆動フレーム」と「建造型知識構造」が書かれています。「予期駆動フレーム」の列には手続き型の知識構造の数々が書かれていて、「建造型知識構造」の列には宣言型の知識構造の数々が書かれています。
手続き型の知識構造は運動野(+頭頂葉)に、宣言型の知識構造は側頭葉(+頭頂葉)に構成されます。
2)相互影響関係
ここに挙げられているような知識構造を持つ知識構造体は、それぞれがその中だけで閉じている孤立系ではなく、他の知識構造体の内容を絶えず参照して整合性と正しさを維持しようとしています。ここでは循環する破線でその様子を示しましたが、大きく循環するだけではなく、多対多の相互影響関係を作り上げていると考えるべきです。しかも、その相互影響関係は、手続き型知識構造グループ内、宣言型知識構造グループ内にドジ込められているのではなく、手続き型知識構造体と宣言型知識構造体の相互でも起こっていると考えるべきです。
3)「思いを巡らす」とは
どこか一つの知識構造体で知識の破綻が発覚して再構築が始まったり、まったく新しい知識が取り込まれて追加されたりするとそれに関連する全ての知識が再点検されて破棄されたり修正されたり追加されたりしてゆきます。ヒトが思いを巡らすという現象がこれに該当します。
4)若者と年寄りの違い
一般に若いヒトはこの思いをめぐらすスピードが早く、たちまち一巡してしまいますが、残念なことに私くらいの年寄りになるとその速度が目に見えて衰えます。私よりも10年ほど年長のご先輩は、「な~に。若い奴らはもっている知識が少ないから点検修正に時間はいらないのさ。我々年寄りは元々持っている知識の量が多いので、一巡するまでに時間がかかって当然じゃないか」とおっしゃっていましたが、そんな要素もあるかもしれませんが、悔しいことに、そればかりとは言えないように私には思えます。


12.Nutung=解法=探索と推論(スライド11)

スライド11「Nutung=解法=探索と推論」
11
<クリックすると拡大します>

1)概要
こちらのスライドは知識の応用(Nutung=解法=探索と推論)部分を拡大した図です。
2)解法の相互影響関係
「Nutung=解法=探索と推論」は前頭前野部で行われます。この働きは既存の知識を参照しながらおこなわれますから、既存の知識構造と一対一に分類が可能です。しかし、こちらもそれぞれの分類の中だけに閉じ込められているのではなく、前頭前野部は様々な解法の長所欠点を比較して最適な解法を選択したり、改変を加えて新しい解法を編み出そうとします。「Sein=論理=知識ベース」の相互影響関係とは少し異なりますが、互いに比べては改善する相互影響関係が存在しています。
3)解法と論理(知識ベース)の相互影響関係
手続き型解法のグルーブ内と宣言型解法のグルーブ内だけの相互影響関係だけではなくグルーブの区分を超えての影響関係も生じます。
4)創造力の「父」の剛腕
さらにドラスティックな変化が起きるのは、手続き型知識である運動野(+頭頂葉)の既存の知識(戦略戦術書のようなもの)や宣言型知識である側頭葉(+頭頂葉)の既存の知識(百科事典のようなもの)では前頭前野部が不満であった場合です。一般的に、前頭前野部は他の新皮質に対する司令塔の役割を果たします。この場合は、創造力の「父」として、新たな知識を取り入れることを命じたり、既存知識を破壊して作りなおさせようとしたり、まったく新しい知識の集大成を求めたりするのです。結果として、とりもなおさず創造性を前頭前野が運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)に命じて、それを実行することになるのです。このとき、その命令に耐えて前頭前野が満足するように知識の構造を作り直すことができれば、その人は創造力を首尾よく発揮できたということになります。
5)創造力を鍛える
お若い方たちに、ぜひとも脳の活性が高いうちにたくさんのことに挑戦してその都度発見されるだろう持てる知識の脆弱性を発見して再構成するチャンスを極限にまで高めていただきたいと思います。こうして再構成のチャンスに恵まれれば、思いめぐらせることも多くなり、画期的な新たな発想に到達する可能性が高まります。それはあなたが創造力を獲得ことにほかなりません。


13.解法と論理のヒエラルキー(スライド12)

スライド12「解法と論理のヒエラルキー」
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<クリックすると拡大します>

1)論理解法がすべてか?
解法(探索と推論)の話題となると老化した一般の方ばかりではなく、頭の古い御用学者の皆さんは、論理解法がすべてと思い込んでかかってくる傾向があります。
あっ、会場の皆さんは違いますよ。5歳から60歳未満の若い方が多いですし、60歳を超えていても実年齢はともかく精神年齢の若い方ばかりなので、そのような方はいないと思います。
実際、論理解法は意識に上りやすいので、それにしか気づかない方がいるのですね。ヒトとしてのセンサーが弱い方なのでしょう。
2)外界依存型知識と内外界相補的知識
既存知識が全くない事実に遭遇して、それを捉えるのはヒトの五感(とその延長上のセンサー機器)だけが頼りです。
たとえば、明かりのない洞窟の中に閉じ込められて2か目、お腹がすいてきました。足元を流れる水を飲もうとその中に手を入れるとヌルリとした何かがあったしましょう。「生き物? しかし、動かないぞ、何だろう? 食べられるものだったらいいのに・・・」さらに手探りでこれを拾い上げると小石くらいの大きさで周囲をコケが覆っているらしいと分かります。「なんだ。石ころかな、石ころでは食べられないな」・・・。
ここにかかわる知識獲得はまずは外界依存型にならざるを得ませんが、何か手がかり(石かな?)がつかめれば既存の知識もフル動員するのがヒトというものです。せっぱつまっていればただちに内外界相補的知識に向かいます。
一方、ヒトはいつもせっぱつまっているわけではありませんから、漫然と外界を眺めて、聞いて、味わって、嗅いで、触っているだけで済ませているものがたくさんあるはずです。「毎日見ていたのに気が付かなかった」という体験は日常茶飯事ではないでしょうか。その結果「気が付いてみると、そうか、半年前からここにあったね」と記憶(知識)にも保存されていることにも気が付きます。気が付かなくとも知識として蓄えられている無意識の知識(外界依存型)の知識は膨大に存在するということです。
3)体感的解法と経験的解法
閉じ込められた洞窟の中でお腹がすいてきたら深刻です。生命の危機に直結していますから、せっぱつまってきますね。解法("お腹すいた。食べたい" の解を見つける)で言えば、そのとき持てる知識の中に解はありません。頼りになるのは体感的解法以外にありません。いささか自暴自棄になって近くの岩壁に手にした石くれらしいものを叩きつけてみると、案外簡単に割れて、中から水分とともに何やら柔らかいものが出てきたとしましょう。「貝だろうか?」と経験的知識が(側頭葉から)引き出されてきました。その柔らかいものを口に入れてみると魚介類に固有のにおいと味が口の中に広がります。「もしかすると自分は助かるしれない」と希望が膨らんできます。
4)論理的解法と経験的解法と体感的解法のボリューム比較
論理的解法の土台には経験的解法が広がっており、経験的解法の裾野には体感的解法が広大に広がっているのです。
正確に測ったヒトはいないでしょうが、私の体感的(?!)には「論理的解法」は全体の解法の中ではごく一部、体感的解法は膨大で、経験的解法はその中間のように思われます。
5)むさくるしい派とすっきり派
人工知能の父「マービン・ミンスキー」は、論理的解法にだけ頼ろうとする人々をさして「むさくるしい派の失敗」と言い、論理的解法だけではなく経験的解法などを取り入れようとしている自分やその仲間を「すっきり派」と呼びました。
論理的解法だけですべてを理解しようとすると、髪を振り乱して、無精ひげの手入れもできず、むさくるしい格好になっても答えが出ない、ひどい風体の集団になるという痛烈な揶揄でした。自分やその仲間は論理的解法だけではなく経験的解法などを取り入れて、知識のデータベース(知識ベース)を作って、これを対象に推論エンジンが推論と探索を行えば楽々と解を得ることができるという勝利宣言でもありました。
論理的解法にだけ頼ろうとするヒト(御用学者など)は、いわばこの「むさくるしい派」に属するわけで、経験的解法や体感的解法をも自由闊達に利用する「すっきり派」の実務家や職人にいつも負けているのです。論理的解法にだけ頼る悲しい人種たちは、たいてい意味もなく威張り腐っていますが、実務家や職人からはたいていは内心バカにされているものなのです。


14.解法と知識: (1)解法と知識の違い(スライド13)

スライド13「解法と知識: (1)解法と知識の違い」
13
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こちらのスライドには、「解法と知識の違い」をまとめてみたつもりです。見直してみると、まとめ方が上手ではなかったかもしれません。
言いたかったのは、次の区別です。
解法・・・既知の知識の中だけを探索し、推論する場合もあるが、ごくまれである。
     既存の知識がない場合や不足している場合にも解法(探索と推論)は実行される。
     解法は多くの場合、未知の外界を想定して行われる。
知識・・・知識には、外界が含まれない。今は既知の知識しかないが、時々刻々と未知の知
     識が次々に既知となり既知の知識に参加してくることをヒトは熟知している。
     未知の知識はないが、未知が時々刻々既知になることをヒトは知っている。
スライドには次のように書きました。
----------------------------------------
(A) 解法(探索や推論)は、次の三通りがある。
  ①既知の知識の中だけを探索し、推論する。
   (立ち止まって考える)
  ②未知の外界に遭遇し、手探りだけで解を探索して推論する。
   (走りながら考える-その1-)
  ③未知の外界に遭遇し、既知の知識と組み合わせて推論する。
   (走りながら考える-その2-)
  新規に獲得した単位知識が(既知の) 知識の構造に関連付けられれば納得し、矛盾し
  たり無関係だった場合は納得し難く感ずる。
(B) 知識には、外界が含まれない。外界に対する解釈が含まれる。
  a.知の断片や構造物を各自が再構造化して保持しているもの。
  b.それらは、探索と推論から得られたり、歴史的知の成果から得られたりする。
  c.知識は外界との照合によって絶えず較正される。
----------------------------------------


15.解法と知識: (2)解法⇔知識サイクル(スライド14)

スライド14「解法と知識: (2)解法⇔知識サイクル」
14
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1)解法と知識の相互影響関係
最適な解法への希求は、知識の再構築を促し、知識の整備は開放の選択肢の幅を広げます。
「解法」と「知識」は相互影響関係で強固に結び付けられています。特に最適な解法を素早く見つける能力はヒト(およびすべての生物)の生存にかかわる最優先事項です。したがって、解法が満足のゆくものでなかったら、前頭前野は運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)の再構築をぎりぎりまで要求します。
2)「創造力の父」前頭前野部の暴走
この再構築要求に運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)が耐えられなかったりすると、ヒトの精神に破綻をもたらすこともあります。それでも前頭前野部は暴走し続けることがあります。
長じてからいきなり大きな課題に取り組んでこのようないわば暴力的な「創造力の父」の横暴にさらされると多くの人は大抵滅入ってしまいます。むしろ、小さな時から前頭前野部の暴走に親しんで、その勢いに乗って創造活動に没頭したり、行き過ぎたら暴走を制御したりすることに慣れていれば、「生存活動サイクル」を円滑に走り続けることができるでしょう。
3)小さいころの自発的問題解決活動(探索と推論)の勧めと注意
小さいころから、自分で小さな目的を設定して探索と推論に熱中する経験をすることは大事です。もちろん、適切に相談に乗ってあげ、外傷や心の傷に至らないように周囲の大人は十分な見守りが必要です。
4)長じてからの問題解決活動(探索と推論)の場合の注意
もし、長じて初めて大きな目的を与えられたり、自分で設定することになったら、世慣れた先達(十分な経験者)の指導の下に取り組むことが大切だろうと思います。大きな目的を小さな目的にブレークダウンするのも経験者の手助けがあるかないかで、その心の負担は大きく異なります。
5)ヒトはいくつになっても不足を補うことができる
「小さいころだけが大事で5歳を過ぎてからでは手遅れだ」という人がたまにいますが、それは言い過ぎです。ヒトはいくつになっても足りなかった過去の経験を補うことができるのです(この信念なくして教師はやれませんよ、、、)。
次のスライドでは解法の例を取り上げます。
これまで、論理解法とか経験的解法とか、「むさくるしい派」と「すっきり派」のお話をしてきました。
これからの数枚のスライドでは、実際の解法の例を取り上げて、説明したいと思います

16.解法の例: (1)ランダム探索の例(スライド15)

スライド15「解法の例: (1)ランダム探索の例」
15
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1)スライドの図について
このスライドの図は、古い講義ノートに残されていた私のポンチ絵です。
マイクロマウスの迷路問題の解説に使っていました。
この図は、長方形の部屋があって、その中にはいくつかの障害物があり、その間が通路になっている迷路問題の図です。
左上隅の s 地点にマウスを置いてみました。ゴール(出口)は、右下の g 地点です。
皆さんもネズミになったつもりで、この迷路の s 地点から g 地点に向かってみてください。障害物の向こう側はネズミさんには見えないものとしますよ。
2)ランダム試行の例
ここには、ランダム試行の例を図に書いてみました。マウスが特定の考えを持たずに通れそうなところはどこにでも行ってみるというやり方で迷路の中を走った軌跡の例が描かれています。未知の迷路に迷い込んだら人間でもあわてますから、こんな動きをするかもしれませんね。同じ道を2度通ったりしていますから、効率は悪いですが、マウスが飢え死にしない限りいずれは出口の g 地点に到達できそうです。そもそも解のない迷路では出られませんが、解があればほぼ(100%という保証はできませんが)出口から外に出ることができそうです。


17.解法の例: (2)系統的探索の例(スライド16)

スライド16「解法の例: (2)系統的探索の例」
16
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こちらは左手優先を採用した場合の系統的探索の軌跡の例です。
1)洞窟冒険小説と左手優先探索
さて、皆さんは少年少女時代に冒険小説を読まれたことはないでしょうか。洞窟冒険小説の開祖と言われるのが百数十年前に書かれた「トムソーヤの冒険」で、トムは片思いの少女ベッキーをつれて観光用洞窟の中に入りますが、折り悪く迷子になり、暗闇と飢えと戦いながら決死の脱出を図る場面があります。ここでトムは左手で洞窟の岩肌を触って左へ左へと回り込むようにして出口を探す動作が描写されているそうです(私は読みましたが忘れています)。以来、洞窟探検小説と言えば、左手方向を優先して未知の迷路内を探索するのが定番になったと言われています。
まぁ、こんなことは知らなくとも、多くの人は車の来ない通路ならば左側を歩きたがります(少数の方は右側を選びます)。これは多くの人の心臓が左側にあることと関係があるとされる自然な行動(心臓をより安全な位置に置こうとする本能)のようです。日本の道路交通法はこの点で、車に優しくて、ヒトに優しくないですね。
閑話休題、このネズミの迷路ですが、ネズミになったつもりで、この左手優先という原則を採用してみましょう。
2)左手優先探索
左手優先探索の方法は、系統的探索法の一種ですが、迷路の中を進んでゆく際、分岐点にぶつかったら、左を最優先に選択して進むというものです。進んだ先で行きどまりになったら、分岐した元の場所に戻り、次に失敗した選択肢より右側に向かって時計回りにより近い選択肢を選びます。
全ての分岐先が行きどまりだった場合は、それよりもひとつ前の分岐にまで戻って同じ道は通らないように右回りに同じことを繰り返します。
スライドの迷路で言えば、s 点を出発したネズミちゃんは最初の分岐点1でまず左に進めないかどうかを確認して行けないことを確認して、次に前方を見て進めそうなので進んでゆきます。分岐点2でも分岐点1と同じに左には進めないので、前方に進んでゆきます。地点3は行きどまりで分岐点でもないので引き返します。分岐点2に戻ると左手に進めるので左に進んでゆきます。このようなこと補繰り返してゆくと、最終的には g 地点に到着し、外に出ることができます。ランダム試行よりは効率よく外に出られたかもしれませんね。
これが、左手優先探索です。
3)経験的解法、左手優先探索、バックトラック法、系統的探索法
失敗したらひとつ前の分岐に戻るというやり方はバックトラック法と呼ばれるもう少し広い系統的探索法の分類になっています。
系統的探索法とは何かよさそうな一つの原則を決めて、その原則に沿った探索をすることです。何かよさそうな一つの原則とは、論理的または数学的に証明できる原則とは限らず経験的に良さそうと知っている知識が活用されることは少なくありません。
この場合は、左手優先探索という原則がよさそうだという経験的知識が使われていますから経験的解法の一種ということができます。
ちなみに、概念を包含関係で整理すると次の通りです。
・左手優先探索 ⊂ バックトラック法 ⊂ 系統的探索法(※)
・左手優先探索 ⊂ 経験的探索法
  ※ A ⊂ B <--AはBに含まれる
4)左手優先探索は論理的に正しいか?
左手優先探索は経験的探索ですが、数学的(ここではトポロジー的)に考えてみると、実はあながち間違っていないことが証明できます。
スライドの次に示す迷路のトポロジー的解説図を参照してください。

補足スライド「迷路のトポロジー的解説図」
20181214
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入口と出口のある迷路は二次元上の開空間で、その中に障害物の閉空間がいくつか含まれる構造になります。袋小路も空間のゆがみにすぎませんから、へこませてまっすぐにして等価な空間に変形することが可能です。こうしてみれば、迷路内の内壁(外線の内側)を右回りであれ左回りであれ一定方向にたどってゆけば必ず開口部にたどり着けることは自明(※)です。
 ※厳密にいうと、ここが経験的知識。「自明」とは実は数学的な証明をしないことを
  意味しています。
こう考えると、左手優先探索の原則はトポロジー的にも間違っていなかったということになります。数学者や物理学者はこのように経験的知識を対象に論理解を探したり因果律を見つけようとしたりしている人たちということもできますが、この方たちは経験が足らなくて経験的知識という研究ネタにありつけていない人たちが多く、ネタ探しに苦労している方が多いのも事実です。
私のように経験的知識をあふれるほど持つヒト(職人)はネタに困ることなどありません。(笑)


18.解法の例: (3)解には迷路の知識が必要か(スライド17)

スライド17「解法の例: (3)解には迷路の知識が必要か」
17
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ここで、ふたたび、日本の一部の御用AI学者の方々を取り上げることにいたします。
一部の御用AI学者は「人は、問題に対する正確な知識があることを前提としない限り正しい解が見つからない」と主張します。
たとえば、この迷路はネズミは知らないが、出題者は知っているので、 「人は、知識があることを前提としない限り解法は見つからない」と勘違いしているようなのです。「出題者なら解答できるが受験者は間違って当然」というようなもので、出来の悪い大学入試問題と同じだと思っている節があります。現実の問題は、試験問題とは違って、誰かがこしらえるのではなく、予期せぬ形で私たちの前に立ちはだかるのです。
さて、迷路の形をあらかじめ教えていないネズミを s 地点に放っても、このくらいの迷路ならば少なくともランダム試行ですぐに脱出してしまうことでしょうね。ネズミにできて、ヒトにできないとはおかしくないでしょうか。「ネズミは迷路についての前提知識がなくても解があればその解をおおむね得てしまう」のです。
2)日本の「むさくるしい派」について
ここで、お気づきと思いますが、日本の一部の御用AI学者は、「論理解法」一本やりでミンスキーらに敗れた「むさくるしい派」に毒されたままという事態になっているという現実があるのです。「すっきり派」ミンスキーらが歴史的勝利を収めた背景にあるのは「求るべきは厳密解ではない、実用に耐えるだけの確からしさがあれば十分な解と認めるべきである」という考えです。そもそも現実の出来事で、ペーパーテストの出題官でもあるまいに困難な問題の全体があらかじめ詳細にわかっているなどということがあり得るでしょうか。たいていの場合は問題の全貌が全く分からないか、あってもわずかな手がかりしかないのが普通です。ヒトは五里霧中であれであれば手探りで状況の把握に努め、わずかな手掛かりがあれば、そこを起点に推論を巡せて解を得ようと努力し、その果てにたいていは成功を収めているのです。ヒトは失敗もしますが、失敗の過程でたくさんのことを学んで、次の課題では前回よりはましな解法を手にしていることができるのです。
日本の一部の御用AI学者(むさくるしい派)は厳密解にこだわっていつまでたっても実用的な解でさえ得ることができずに、東大AI受験でさえ敗退してしまったのです。
3)日本のロボット工学に期待する
一方、ロボット工学者は、あらかじめ問題についての知識がなくても、解を見つける方法を当然のように探します。そうしない限り、ロボットは刻々と立ちはだかる予期せぬ事態に対応できません。
机上の空論に終始する一部の御用AI学者さんたちと現実と悪戦苦闘するロボット工学者さんには違いがあるようです。両者の違いは面白いと思っています。


19.解法の例: (4)見知らぬ洞窟に迷い込んだら、、、。(スライド18)

スライド18「解法の例: (4)見知らぬ洞窟に迷い込んだら、、、。」
18
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こちらのスライドをご覧ください。
1)パラオの洞窟で
これはパラオの洞窟で、日本兵1,000人が命を落としたといわれるところです。今は、現地の観光名所の一つになっているようですが、複雑に分岐した迷路のような洞窟と伝えられます。
ここに「むさくるしい派(論理解法限定派)」の一部の御用AI学者さんたちを時空を超えて突然この洞窟の中のどこかに連れてきたら、「洞窟の詳細な形を教えてくれたら厳密解を出してやる」と言うのでしょうか。そんなことよりも、まずは、周囲を見回して、ランダムに歩き回るか、少しばかり気の利いた人なら 昔読んだ「トムソーヤの冒険」の記憶を頼りに左手を洞窟の岩肌に当てて用心深く歩き始めるのではないでしょうか。
その振る舞いは体感的解法か経験的解法に頼ろうとする人間本来の姿です。
2)ヒトの探索と推論は、体感的または経験的
事前の知識が全くなくとも、ヒトは動けば周囲について何らかの新しい知識を得て、新たに得られた知識を基に次の行動を決定して、何とかこの洞窟から脱出しようとするでしょう。犬の歩けば棒に当たるのです。問題の詳細が分からなくとも、本能が解を求めて探索行動をするような気がします。
ヒトは、決して厳密解だけを求めているのではなく、日常的にはたとえ厳密ではなくとも実用上困らない解を求めて探索し、ある程度確度で正しいと思えば人生のささやかな冒険の小さな一歩を進めるのだと思います。


20.三大推論法、再考(スライド19)

スライド19「三大推論法、再考」
19
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このスライドでは、よく取り上げられる推論方法を3つ取り上げました。私が述べてきたヒトの解法(探索法、推論法)と関係があるのかないのか、これらは飯箸の説明で納得がゆくものか矛盾しているのかいないのか、本日お聞きの皆さんにはご判断いただけるものと思います。

(1) 演繹推論
「万能」のように吹聴する人もいらっしゃいますが、適用範囲は極めて限定的なのです。
 ・主として概念の包含関係を利用して、閉じられたヒトの知識空間の中を探索する推論方法
  です。
 ・単位知識の集合論と近い関係にあり、適用できる空間であれば、正確で素早い結論が得
  られやすい特徴があります。
  概念の包含関係とは、たとえば「犬」の上位概念を「哺乳類」とします。この場合の包含関
  係とは "「犬」ならば「哺乳類」(に含まれる)" ということですね。しかし、この包含関係だ
  けで、迷路の探索ができるかと言えば飢え死にするまで頑張っても無理でしょう。探索推
  論にはこれ以外に多様なものがあるということです。
(2) 帰納推論
「演繹推論」の対偶という説明がよく行われますが、これは誤解です。
実は、多様な推論の総称で、一言で言えないため誤解が多いようです。含まれるものには次のようなものがあります。
 ①単位知識の集合を形成するための「具象⇒抽象」のプロセス
 ②エピソード記憶を積み上げて抽象化して、普遍的な因果律を仮説として推定するプロセ
  ス
 ③建造型概念を構築するために事物を思考実験によって分解するプロセス
 ④その他
(3) アブダクション
C. S. Peirce(1839年9月10日 - 1914年4月19日)が用いた言葉。かれは、この言葉は「演繹」と「帰納」に続く第三の推論方法と言っていたが、 本当は何を意味したのか判然とはしていません。
・近年急にこれを「創造性発現の手法」と持ち上げる人々が現れて大フィーバーになったこと
 があります。「アブダクションとは、既存概念をひょいと飛び越える魔法の創造活動のこと
 だ」などと吹聴されたものでした。
・その後、フィーバーが落ち着いて、「創造性発現の手法」とは言えないということが知れ渡る
 と、Peirceが言っていた「アブダクション」とは「仮説検証」だったのではないかという解釈が
 広がりました。
 「仮説検証」ならばヒトは有史以来使用してきた推論方法のひとつですからPeirceさんの専
 売特許でも発明でも何でもないことになり、Peirceが偉大な人物だったということの論拠で
 はなくなってしまいます。
・実際のところ、「アブダクション(abduction) 」はアリストテレスが用いた「アパゴーゲー
 (ἀπαγωγή)」の英訳です。
 「アパゴーゲー(ἀπαγωγή)」とは、「事物とその運動の中から大事な原理や概念を見
 抜いて切り取ってくること(またはその力)という意味を持っています。博覧強記のPeirceが
 これを知らなかったはずはありません。パースも同じ意味で「アブダクション」という言葉を
 使用していた可能性が高いと私は思います。
 博覧強記のパースは自らの既存の知識を照らして大事な原理や概念を見抜いて切り取っ
 てくることが得意でした。切り取ってくる原理や概念を立証するためには、その「アブダクシ
 ョン」に続く「仮説検証」も必要だったと思われます。
  「仮説検証」は、彼の言った「アブダクション」そのものではなく、「アブダクション」が終わっ
 た後の処理(後処理)のことを指しているように思います。
・ましてや、「アブダクションとは、既存概念をひょいと飛び越える創造活動のことだ」などと
 吹聴するのはとても的外れです。

ここに取り上げた推論の方法以外にも、創造性や創造力に関連の深い「(思弁的)弁証法」や「Triz」などがありますが、これらについては、別の機会に譲ります。


21.解法(探索/推論)と創造力(スライド20)
   解法⇔知識サイクルは創造の現場のはず

スライド20「解法(探索/推論)と創造力: 解法⇔知識サイクルは創造の現場のはず」
20
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前頭前野部が主導する解法の実施は運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)の知識ベースを利用して行われますが、前頭前野部のほうが優位に立っているので、解法に不満足であれば、運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)に命じて知識の不足を補って組み立てを変えることや知識構造の再構築を命じたりします。知識構造の作り直しとはとりもなおさず「(知性の)創造」ということを意味します。
前頭前野部は運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)の知識ベースを利用しますが、その一方で、前頭前野部の都合で運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)が命じられてそれそれぞれが持っている知識ベースを作り直すという知識サイクルが行われます。これこそが「創造の現場」なのです。
前にも言いましたが、運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)に前頭前野部が強い支配力を及ぼすという意味で、「前頭前野部は創造力の父」なのです。


22.情熱はどこから来るか(スライド21)
   (1)解法=知識サイクルだけでは情熱は来ない

スライド21「情熱はどこから来るか: 解法⇔知識サイクルだけでは情熱は来ない」
21
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「創造力の父」である「前頭前野部」が運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)に命令をくだして、運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)がこれに従うだけでは、目的を持たない単純機械のようなもので、だれも情熱をいだくことはないでしょう。
「前頭前野部」を突き動かしている情熱の源泉は何かについて触れておきたいと思います。

「創造力の作り方3」で詳しく述べましたが、ヒトの情熱の基は、ヒトそれぞれの究極の目的です。しかし、それぞれの目的の上位目的を探るとそれはつぎの3つに集約されると考えられます。
 ①「個体の生存」
 ②「組織と社会の維持」
 ③「種の保存」
上記3つのうちのどれか、または複数のためならば、ヒトは命を懸け人生を賭けるものです。この傾向は若者に特に顕著です。
解法は「創造力の父」である前頭前野部が指揮を執りますが、前頭前野を突き動かしているのは、間脳、脳幹、延髄、体内諸神経網、大脳辺縁系など生存と感情に直結する脳神経系です。
ヒトに「究極の目的」をささやくのは、「「創造力の母」である これらのいわば古い脳神経系と考えられるのです。


23.情熱はどこから来るか(スライド22)
   (2)生存活動サイクルがつなぐもの

スライド22「情熱はどこから来るか: (2)生存活動サイクルがつなぐもの」
22
<クリックすると拡大します>

まとめて申し上げたいと思います。
-------------------------------------
生存活動サイクルが、
情熱の基である「究極の目的意識」と
「解法=知識サイクル(デザインシンキング)」と
「知識の構造体の集まり」
を熱く結ぶのです。
-------------------------------------
生存活動サイクルなしには、これらが有機的に結びつくことはほぼ困難です。生き生きと生きている方が、どんな学者よりも最も創造的であるように私には思われます。


24.終わり(スライド23)

スライド23「終わり」
23
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今回の私のお話は、これで終わります。
次回はキャリアデザインと生存活動サイクルについてお話する予定です。
ご清聴、ありがとうございました。

<次の記事に続きます>


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琵琶

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概要-第80回SH情報文化研究会--感性的研究生活(134)

2018/12/15


概要-第80回SH情報文化研究会--感性的研究生活(134)

ミニシリーズ「第80回SH情報文化研究会」
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<1>概要-第80回SH情報文化研究会
<2>飯箸の発表「問題解決の方法(推論の方法)」-第80回SH情報文化研究会
<3>余話「螺鈿細工(らでんざいく)の山分け」-第80回SH情報文化研究会
<4>情報交換会-第80回SH情報文化研究会
-------------------------


12月9日(日)第80回SH情報文化研究会が開かれました。

演者と演題は次の通りでした。
----------------------------------------
飯箸泰宏 「創造力の作り方4、問題解決の方法(推論の方法)」
中村向葵里(5歳) 「初めてのカンボジア」
川口幸宏 「「第二の誕生」を訊ねて」
藤田伸輔 「2050年に向けて何をすべきか」
----------------------------------------
演者の所属は次の通りです。
飯箸泰宏 柳剛グループ代表、(一社)一般社団法人協創型情報空間研究所 事務局長
中村向葵里(5歳) なかよし学園 園長 中村雄一氏 3女
川口幸宏 学習院大学 名誉教授
藤田伸輔 千葉大学予防医学センター 教授

参加者は総勢15名、東北大学名誉教授、ナンプレの神様、ソードシステム・マイツールの開発者、カリソマ看護師、子供のプログラミング教室の経営者、NPO専務理事などなど、でした。
中でも驚いたのは、山口栄作 松戸市議会 "議長" のご来場でした。神妙な面持ちで一般来場者として静かに入場すると会場の最後列に座って、熱心に聴いて帰られました。ただでさえお忙しい議長職、しかも会期中という超多忙なときに、わざわざ来られたことに心底驚きました。「皆さんの前で、一言いかがですか」と水を向けましたが、謙虚にお断りになってお帰りになりました。実は、政治活動の傍ら大学(通信制)で勉学中とのこと、あくまでも勉強のためにご来場になったとのことのようです。ひたむきな姿勢にかなり感動してしまいました。

当日の案内です。
===================================================================================
第80回 SH情報文化研究会
-----------------------------------------------------------------------------------
1.主催と後援
 SH情報文化研究会
2.開催日時(予定)
 2018年12月9日(日) 13:00-16:30
3.場所
 松戸市民劇場1F 第一会議室
 https://www.morinohall21.com/gekijyou/
 〒271-0091松戸市本町11番地の6
 JRまたは地下鉄千代田線「松戸」駅 徒歩4分
 新御茶ノ水駅より28分
4.当日のプログラム
 13:00~ 開場
 13:10 開会挨拶
 13:15 飯箸泰宏 「創造力の作り方4、問題解決の方法(推論の方法)」
 14:00 中村向葵里(5歳) 「初めてのカンボジア」
 14:05 休憩
 14:10 川口幸宏 「「第二の誕生」を訊ねて」
 15:00 休憩
 15:05 藤田伸輔 「2050年に向けて何をすべきか」
 15:55 質疑応答
 16:15 後片付け
 16:30 退去
 16:40 情報交換会
-------------------------------------------------------
参加費
・発表会 無料
・情報交換会 社会人3,500円位 学生1,000円 発表者 無料
---------------------
※1 情報交換会会場は、近くの居酒屋を予定しています。
※2 当日、発表タイトルや順序に部分的な変更がある場合があります。
---------------------
次回以降の発表を希望される方は、ご連絡ください。
iihashi@sciencehouse.co.jp
k-iihashi@sciencehouse.co.jp
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当日の案内文と付属する文書を画像にしてありますので、ここに添付しておきます。

当日の案内文
2018120921
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発表者の紹介文
2018120922
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会場案内文
2018120923
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1.飯箸の発表

発表中の飯箸
Photo
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私の発表は、「創造力の作り方」シリーズ4の「問題解決の方法(推論の方法)」についてでした。
前回は「創造力の作り方」シリーズ3の「知識の構造」についてお話ししましたので、その知識群、すなわち宣言的知識(側頭葉と頭頂葉)および手続き型知識(運動野と頭頂葉)を活用して、ヒトは一瞬先より未来永劫初めて遭遇する未知の世界に直面し問題の解決を図ります。問題解決のための人の生存活動(推論と探索)を取り上げました。解法(推論と探索)の主役はおそらく前頭前野部だろうという前提からお話を進めました。
写真は、ご出席いただいた杉山桃花さんの投稿から借用しました。
発表内容の詳しい記事は、別の記事で公開させていただきます。

2.中村向葵里ちゃん(5歳)の発表

発表中の中村向葵里ちゃん(5歳)
Img_5852
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中村向葵里ちゃん(5歳)は、お母さんと一緒に前に出て「初めてのカンボジア」の作文を読み上げました。
発表姿勢も堂々として声も良く通る良い発表でした。
「私も銃を持ってみました。重かったです。こんな銃を持って小さい子も戦ったのです」というくだりでは、まったく胸をえぐられるような思いでした。5歳の子が発する言葉だからこそ、実感を持って伝わりました。
写真は、飯箸貴美子撮影です。

3.川口幸宏先生の発表

発表中の川口幸宏先生
Img_58541
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川口幸宏先生は、「「第二の誕生」を訊ねて」というタイトルでお話しされました。
後日、川口幸宏先生から当日の講演録をいただきましたので、許可を得て、Facebookに公開させていただいています。ご関心のある方は、川口幸宏先生の講演録onFacebook をご覧ください。
川口先生のお話を聞きながら、私がかろうじて知りえていたエデュアール・セガンについての断片的でわずかな知識が一塊に結びついてゆく感激を感じることができました。
写真は、飯箸貴美子撮影です。

4.藤田伸輔先生の発表

発表中の藤田伸輔先生
Img_5864
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藤田伸輔先生は、「2050年に向けて何をすべきか」と題して、日本の人口の推移予測を主たるよりどころに、2050年頃には、様々な社会制度が立ち行かなくなり破綻を迎えることを明快に解説いたしました。
中でも医療制度の要を担っている大学病院等のセンター病院が商圏人口の底割れをきたして財政的に立ち行かなくなることが示されました。
様々な制度改革や技術改革が提案されていて(藤田先生も提案していて)、今は、抵抗勢力によって阻まれているものの、その壁を越えれば未来に希望がないわけではないことが示されたように私には感じられました。
藤田伸輔先生など医療の世界の先生方は、言い回しがたいへん巧みで、私のような単純無骨を売り物にしているような輩には分かりにくい部分もあります。
藤田先生~っ。取り違えているところがありましたら、教えてください。
写真は、飯箸貴美子撮影です。

5.場外討議
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中村 雄一
娘が大変お世話になりました!!
帰ったら話を聞くのが楽しみです!(*´艸`)
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飯箸 泰宏
会場に到着した際に、私は向葵里ちゃんと熱く握手させていただきました。大感激でした。
発表も素晴らしくて、お聞きしながら思わず目がしらが熱くなってしまいました。[拍手!!!]
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中村 雄一
ありがとうこざいます😊小さいタネを皆さんで育ててもらって本当にありがとうこざいます!
ちょっと大きいタネも頑張ってました!

中村雄一先生の海外特別授業の風景
Photo_2
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飯箸 泰宏 「お父さんもがんばったよ~」と向葵里ちゃんに自慢できますね。いい写真です。

<次の記事に続きます>


△次の記事: 感性的研究生活(135)
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▽前の記事: 感性的研究生活(133)
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琵琶

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激しかりしや 君が生きざま--人生に詩歌あり(40)

2018/11/28
激しかりしや 君が生きざま--人生に詩歌あり(40)

偉大なる先輩のお一人である川口幸宏先生(学習院大学名誉教授)が、紅葉の写真をお撮りになりたいと本土寺(〒270-0002 千葉県松戸市平賀63)に行かれた。
お気に召す風景がなく、目に入る楓も美しいとは思えなかったそうです。

本土寺の楓
Photo
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川口幸宏先生の句

 病葉も 釣り下がりをる 楓かな (川口幸宏先生)

「楓もまるで病葉のような本土寺境内自然光景でした」というのが川口先生のコメントです。

私は、すぐさま反応して、以下の返歌を送りました。
 年老いた 我にも似たり 楓葉(かえでば)の 紅く黄色く ぶら下がりをり(琵琶)
 楓葉(かえでば)は 紅く黄色く 燃え落つる 激しかりしや 君が生きざま(琵琶)

私のコメントは次のようなものでした。

朽ちつ葉も見ようによっては、散り際を美しく飾ろうとする命の営みにも見えます。健気な奴といとおしくも思います。

琵琶


△次の記事: 人生に詩歌あり(41)
(準備中)
▽前の記事: 人生に詩歌あり(39)
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飯箸の発表「建造的(モノづくり的)思考の紹介」-sigedu 11月度月例会--感性的研究生活(133)

2018/11/25

飯箸の発表「建造的(モノづくり的)思考の紹介」-sigedu 11月度月例会--感性的研究生活(133)

ミニシリーズ「ソフトウェア技術者協会教育分科会(sigedu) 11月度月例会」
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<1>概要-ソフトウェア技術者協会教育分科会(sigedu) 11月度月例会
<2>飯箸の発表「建造的(モノづくり的)思考の紹介」-sigedu 11月度月例会
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2018.11.22のソフトウェア技術者協会教育分科会(sigedu)での私の発表をご紹介いたします。
ここでは、実況中継風に書かせていただきます。

私の講演は、富山県氷見市の公立小学校と山の分校に赴任した戸塚滝登先生の成果を事例を取り上げて、教育における建造的思考の有用性を解説・紹介するものでした。戸塚滝登先生の教育実践がなぜ大きな成果を挙げているのかを飯箸仮説に照らして解明を試みたものです。


扉: 教育で効果を上げる「建造的(モノづくり的)思考」の紹介
1
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戸塚滝登先生は、ご自身がされている教育実践をパパート(S. Papert)のコンストラクショナリズム(Constructionism)と同じものとされていますが、実は戸塚先生の実践は、「パパートのコンストラクショナリズム(観念内の再構築)」とも異なるもので、私が行ってきた「科学的教育法(新たな客観的事実を採り入れて既存知識と合わせて知識を再構築する)」と極めて似ているということを強調しました。この私を含む新しい教育の方法論を他の類似用語と区別するために、この講演では私はあえて「建造的思考」と新造語で名付けて説明をしたものです。
戸塚滝登先生は、パパートのコンストラクショナリズム(Constructionism)に「構 "成" 主義」という日本語を当てていますが、日本の教育界の通例ではパパートのコンストラクショナリズム(Constructionism)に「構 "築" 主義」という言葉を充てることになっています。
「構成主義」という言葉は、ピアジェ(J. Piaget)の「心理学構成主義(Psychological constructivism)」やビゴツキー(L. S. Vygotsky)の「社会的構成主義(Social constructivism)」などで用いられていて、英語の綴りも "Constructionism" ではなくて "constructivism" です。
そもそも、「観念論の系譜に属するカントに範を取るピアジェの "構成主義"」と「唯物論の影響を色濃く受けているビゴツキーの "構成主義"」は全く異なるものです。たまたま同じ"構成主義"という名前を使っている(二人は互いに知っている関係だった)ために、混同している少し鈍い日本の研究者も少なくありません。
講演の半ばで、これらの概念の整理も行いました。

<場外コメント>
S.F.さん
パパートさんって、あのMITメディアラボの?
飯箸 泰宏
はい。ロゴの開発者ですね。ミンスキーとともにパーセプトロンが線形分離できないパターンを識別できないことを証明した破壊的な頭脳の持ち主である点でも有名な方です。
https://bit.ly/2TBSdcR


自己紹介
2
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飯箸 泰宏 こちらは、同講演で用いた私の自己紹介のスライドです。講演時間が45分と限られていましたので、このスライドはスルーしました。

次のスライドは、講演の目次です。


目 次
3
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このうち、
「1.先駆的プログラミング教育の追跡調査から」
だけが戸塚先生のお仕事の紹介です。
2.知識の構造(by飯箸)」
3.PBL(Problem Based Learning or Project Based Learning)
4.戸塚先生の教え子はなぜ力をつけたのか」
は、我田引水のそしりを覚悟で、私の考えによる解釈を試みて、戸塚先生の成果の理由を明らかにいたしました。


1.先駆的プログラミング教育の追跡調査から
1-1 戸塚滝登先生*

戸塚滝登先生
4
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最近、私は、戸塚先生によって行われた「先駆的プログラミング教育」の追跡調査報告(非公開資料)を、内々拝見する機会がありました。
拝見したものは非公開資料ですから、ここでそのまま開示することはできませんので、そのエッセンスを差支えのない程度にご紹介いたしますとお断りしました。
併せて戸塚先生の簡単なプロフィールを紹介しています。
戸塚先生の教育実践は、1)「伝統的な教授法(ガラパゴスゾーン)」の時代、2)「ロゴを中心とする」改革第ゼロ世代、3)「ゲーム作り」と「ロボット教育」を採り入れた第一世代、4)「理科と算数の試行道具としてプログラムを作り利用する」第二世代の4つに区分されます。
2)「ロゴを中心とする」改革第ゼロ世代から、小さな研究室と構築主義(戸塚先生の言葉では構成主義、実は構成主義でも構築主義でもない建造主義)は第ゼロ世代、第一世代、第二世代を通じて一貫して取り入れています。


1-2 戸塚滝登先生の「実績」と「成果」

戸塚滝登先生の「実績」と「成果」
5_2
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まずはスライドの左半分について説明いたします。

(スライドの左半分)
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教育実績
1)ガラパゴスゾーンの壁(三つの車輪)
 大人数教室、一斉授業、学習指導要領
 農業高校への進学のみ
2)第0世代 成果有△
 ロゴ教育+小さな研究室+構築主義
 (大学1名+高校普通科1名)/7名
3)第一世代 成果有〇
 ゲーム作り教育+ロボット教育+小さな研究室+構築主義
 (大6+短1+専3+高校普通科3名)/38名
4)第二世代 成果有◎
 理科教育+計算論的思考+小さな研究室+構築主義
 (大17+専2+高校普通科1名)/28名
--------------------

1) 戸塚先生が分校に着任したころの子どもたちは中学を出るとそのまま農家を継ぐだけで高校に進む子はほとんどいませんでした。まれに進学する子供がいても農業高校に限られる実態がありました。この時代がガラパゴスゾーンの世代です。
ガラパゴスゾーンの特徴は、よく知られている通り、大人数教室、一斉授業、学習指導要領準拠の3点セットです。
2) 戸塚先生が教育の改革を志した第ゼロ世代は、ロゴを導入世代になります。ロゴを導入するだけでは教育成果としては限界がありました。この世代の子は7名の児童がいましたが、それでも大学まで進学卒業した子供が1名、高校普通科に進学し卒業した子どもが1名という成果を上げることができました。
3) ロゴでできることの偏狭さに気づいた戸塚先生が行ったのは、プログラミングで新たにゲームを作ってみる、ロボットを動かすプログラムを書いてみるというものでした。この時代の子どもたちを戸塚先生は第一世代と呼んでいます。
戸塚先生から見るとそこそこの手ごたえはあった。事実、この世代の子供たちは38名いるが、その後、この子供たちの中から大卒6名、短大卒1名、専門学校卒3名、高校普通科卒3名が誕生している。
一方、子供たちから投げかけられた疑問「ゲームが造れたら何になるの?」「ロボットが動かせたら何になるの?」に応えることはできなかった。ロゴほどの偏屈(偏狭さ)とはいえなくとも、ゲームやロボット操作のためのプログラミングもヒトの人生に比べてその世界は極端に狭くて、その究極の目的に照らしてどんな意義があるのかがまるで分らないことに戸塚先生は気づかれたのでした。子どもたちに地位さんゲームプログラマになってもらっても小さなロボット操作プログラマになってもらっても、その先に何もないからです。
4) そもそもプログラムはヒトの思考のための道具でしかないことに思い至った戸塚先生は、理科や算数の計算手段としてプログラミングを教えることにしたのでした。理科や算数は、ひとが生きてゆく自然環境や社会生活に密接な関係のある科目です。
私が見るところ、子どもたちは社会に入って生きて活躍するために学ぶのです。戸塚先生は、理科や算数という現実を目の当たりにできる教科の手段としてプログラミングを教えたのでした。
ちなみに、「小さな研究室」というのは、教室の片隅などで自然発生的に子供たちが教師の周りに集まって、「これどうやったらいいの」「もっといい方法があるよ」「こんなことをやったよ」と教師と子供たちが一体になってワイワイガヤガヤとやることを意味しています。私が思うにこのようなことができるのは教師に人間的な魅力が備わっていなければなりません。これができた戸塚先生は魅力あふれる先生だったのだろうと思います。

次にはスライドの右半分について説明いたします。

(スライドの右半分)
42
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これらの教育の成果は、このスライドの右側にまとめたようなものであったと戸塚先生はとらえていらっしゃると私は理解しました。
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数十年後の教育成果
a)ガラパゴスゾーンの壁 最悪
b)プログラミングの成果
 ・「お祈り現象」が消滅
 ・身体能力の高い子ほどプログラム能力が高い
 ・バグを見つける能力
 ・算数知識を発見・創出
c)第一世代&第二世代
 ①創造性
 ②リジリエンス(逆境力)
 ③不思議感受性
 ④バグに気づく力
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a)ガラパゴスゾーンの時代の成果
この時代の成果は最悪で、何も言うべきものはないというのが戸塚先生の自己評価です。
b)プログラミングの成果
第ゼロ世代、第一世代、第二世代を通して、共通することがまとめられています。
・「お祈り現象」が消滅
プログラムを実行する際に、初期にはみられる「お祈り」動作がプログラミングを何度か体験するうちになくなり、意図通りに動かないのは自分の創ったプログラムに原因があることを悟るようになります。結果を神頼みにするのではなく、自分の創るプログラムの完成度をあげることに懸けるようになるのです。
・身体能力の高い子ほどプログラム能力が高い
これは私(飯箸)が1981年に教壇に立った時から指摘していることと全く重なる内容です。私はシステムハウスの経営者でもありましたので、たくさんのシステム技術者と向かい合ってきました。体験的に運動部出身など運藤能力の高い者ほどプログラミングの能力が高いのは歴然でした。その後、私が奉職することになる明治大学でもプログラム制作の科目の成績とその学生の過去の様々な成績の相関を調査したところ、体育の成績が一番強い相関関係を示すことが分かりました。
プログラミング(手順を組み立てる知的行為)の能力は前頭葉の後ろ半分にある運動野の働きであるというのが私の仮説です。私の仮説を戸塚先生はご存知ではないでしょうが、戸塚先生も運動能力とプログラミング能力にある、ある種の相互関係を見出していました。子供たちに対する戸塚先生の観察能力の高さを感じます。
・バグを見つける能力
プログラミングを繰り返していれば、プログラムのミスを見つける力はどんどん向上します。戸塚先生は明言されていませんが、バグには、文法上のミス(シンタックス・エラー)と論理上のミス(ロジカル・エラー)の両方があります。プログラミングを繰り返しているとこの両方を発見して正してゆく能力が増加していきます。一般的に、ヒトは、自分のミスは自分で認めたくないものですが、この過程で、「自分もまたよくミスを犯す」ことを納得して、「ミスは速く発見して訂正すればよいことが起こる」という自己報償を繰り返します。ミスを恐れず、ミスを素早く認めてこれをすぐに改める習慣がついてゆきます。
戸塚先生は明言していませんが、この能力は、コーディング(プログラムを特定計算機言語で表現したモノ)に対するものにとどまりません。プログラミングを体験した子供たちは、その他の仕事や日常生活の中にも当たり前に存在する思考上のミス(ロジカル/クリティカル・ミス、およびヒトの道(倫理)に照らしてのロジカル・ミス)に気づく心の障壁を低くして、大胆に訂正する能力を獲得します。大胆に自らの論理を訂正する能力は創造力そのものです。
世間の頭カチカチの頑固おやじにはプログラミングを教えると世の中が少し明るくなるなもしれませんね。
・算数知識を発見・創出
プログラミングは計算機思考をすることですから、おのずと物事を数理法則に沿って試行する能力が身に付きます。計算機思考は、ロジカル and/or クリティカル・シンキングそのものですから、算数知識を発見・創出するようになって当然です。
c)第一世代&第二世代
第一世代&第二世代にの子どもたちには、第ゼロ世代(ロゴだけだった世代)には見られなかった次のような能力の開花が見られたそうです。
①創造性
培われたのは、大胆に自らの論理(知識の構造)を訂正する能力です。これなくして創造はありません。必要不可欠な能力です。この上に、ヒトとしての究極の目的に目覚め、自ら目的設定ができる力が加われば、おのずとその子供は独自の世界を切り開く創造力を獲得することになります。
②リジリエンス(逆境力)
リジリエンス(逆境力)とは、失敗してもあきらめない、逆境にあってもなんとかそれをかいくぐる力のことですね。
これを私(飯箸)説に照らすと、「生存活動サイクル(後出)」を何度でも回す能力のことです。
中でも、このサイクルを支える「当面の目的」を自在に再設定できる能力がカギを握ります。目的再設定能力がないと、当面の目的が挑戦しても達成できないことがわかるとたちまち挫折して無気力になってしまうのが人の常ですが、「まて、その当面の目標にしたものがそれでよかったのか」と考えることができるとたちまち元気になってモリモリとやる気が湧いてきます。
ヒトの知識構造の中では、目標設定も実は多段階(無限多段階)の階層構造をなしています。当面の目的はその上位の目的のために実行するもので、当面の目的が達成できない場合は上位の目的を達成する別の下位の目的を選択するのが自然な心の動き(自然な心理)です。
当面の目的が属する上位目標のための下位目的がすべて実現不能であれば、その中途半端な上位目的のさらに上位の目的を思い起こしてみることにしましょう。2段階上位の目的のためには失敗した中途半端な中間目的ではない別の目的の設定が可能なはずです。その下にある当面の目的のどれかを選んで戦略戦術を練り「生存活動サイクル(後出)」を挑戦的に何度も回してみるのです。
それらでも全く可能性がなければ、またその上の目的に向かってさかのぼって、その下にある下位目標を組み立ててゆくことになります。これができれば諦めることを知らないレジリエンス能力の高い子供たちになるはずです。
では、上位へ上位へと辿っていくと、無限の階段を昇りつめた彼方のたどり着くところには何があるかについては、のちに述べる予定です。
③不思議感受性
ミスを恐れず、ミスを素早く認めてこれをすぐに改める習慣が育った子供たちは、自分が知らなかったこと、思い違いをしていたことに気づけば、「しまった。×だ。どうしよう」ではなくて、「やった、見つけた。こうなのかな、あぁなのかな」となりますから、それは喜びでしかありません。不思議感受性の高まりは創造力の高まりの一側面です。
④バグに気づく力
戸塚先生は明言していませんが、この力は、コーディングの上でのバグ(原義は"虫"、コード上のミスのこと)発見能力にとどまりません。日常生活やサイエンスを学ぶ上での思考のバクを発見する能力に横展開してゆくに違いありません。その後の子どもたちの成長に大きな貢献をしているはずです。


1-3. 教育実践に関する戸塚先生の自己評価(まとめ)

教育実践に関する戸塚先生の自己評価(まとめ)
6
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このスライドも左と右に分かれていますので、左半分の説明を先にして、続いて、右半分を説明します。

まずはスライドの左半分について説明いたします。

(スライドの左半分)
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<クリックすると拡大します>

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プログラミング教育の効果
1)大人数教室、一斉授業、学習指導要領
 最悪 ×
2)ロゴ教育
 ロゴだけでは限界 △
3)ゲーム創り、ロボット
 成果は限定的 〇
 ゲームとロボットではその先がない
4)理科学習・算数学習で道具として使う
 効果が大きい。 ◎
-------------------
1)大人数教室、一斉授業、学習指導要領
「大人数教室、一斉授業、学習指導要領」では、まったくダメだったとおっしゃっています。
 最悪で、×(ばつ)だったそうです。さもありなんと思います。しかし、いまでも大半の学校現場がこの方式ですから、日本の国力低下の源流がここにあるように思います。
2)ロゴ教育
 ロゴだけでは限界 △
 なぜロゴだけでは限界だったのかについて、戸塚先生は詳しく述べていません。
一般論として、ロゴはプログラミングとは何かという概念を教えるための一つのサンプルとしては大変役立つものと思います。
しかし、ロゴでできることはあまりにも狭く、子供たちの豊かな感受性を抑圧し創造力を阻害する弊害を併せ持っていると思います。私が思うに、ロゴでの学習はせいぜい1回か2回、そのあとは別の用具を使った教育に発展展開しなければ意味がないと思います。「ロゴでは限界だった」という戸塚先生の自己評価には私も強く同意します。
3)ゲーム創り、ロボット
 成果は限定的 〇
 ゲームとロボットではその先がない
 学校はゲームプログラマの養成所でしょうか。ロボットオペレータの養成所でしょうか。専門学校ならいざ知らず、これから無数の可能性を試していく子供たちに強い制約を課するゲームプログラミング教育やロボットオペレーション教育を強制し続けることが果たして良いことでしょうか。
もし本当にゲームプログラマやロボットオペレータを要請したいならばそれに向いた専門性の高い教育が必要です。希望する親と子はセカンド・スクールという選択肢もあるはずです。
富山の山奥の子どもたち全員に等しく行わなければならない教育とは思えません。何よりも子供たちが自らの将来を思い描くとき、ゲームプログラミングやロボットオペレーションをあくまでも追及することの意味が見いだせないという壁が見えてきたということだと思います。
「ゲームプログラミングやロボットオペレーションの後には何があるの?」「プログラミングができたら、私たち何ができるようになるの?」という子供の声に戸塚先生も返答に窮してしまいます。プログラミング教育を自己目的化したための限界だったと思います。
4)理科学習・算数学習で道具として使う
 効果が大きい。 ◎
 プログラミングを自己目的的に与えることはすでに限界があることが明らかでした。戸塚先生は理系のキャリアを持つ先生です。子供たちにサイエンスを教えることが仕事です。
サイエンスは、現実の物質界を教えて、これと協調又は格闘して生きてゆくことを教えます。ヒトが人らしく生きることと直結しています。観念の中にとどまることを超えて、現実の世界を直視して、その現実世界に立ち向かい人が生きてゆく力を与えようとします。
ここで戸塚先生はついにパパートを踏み越えているように私は感じます。パパートはモノづくり、組織づくり、提案づくりなどを通して自己の観念の再構築が起こるという理論を展開しましたが、観念の内部の再構築にとどまっていました。
戸塚先生はサイエンティストらしく、観念の外の客観的事実の理解と知識取得と既存の知識とを組み合わせて知識構造を作り直す科学的学習を説明もなく実行していることになります。これはパパートを超える行為で、私が長年続けてきた科学的教育実践と事実上一致しているものと思います。熱意ある教師が行き着くところは行きつくところが似ているということなのだろうと思います。
サイエンスの教育は、ウソのない世界を教えること、ひととして生きてゆく方法を教えることになりますから、子供たちに人としての生存の目的を教えることに直結しています。息の長い、生涯を貫いて生きる力を子供たちに与えます。その手段にプログラムが位置付けられて、初めて子供たちは納得の上で学ぶ心構えができたのです。
この教育を受けた子供たちは大卒後クリエーティブな仕事に就くようになるという成果を生み出しています。

次にはスライドの右半分について説明いたします。

(スライドの右半分)
61
<クリックすると拡大します>

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効果のあった教育
1)小さな研究室
 教室の隅などで、子供たちと教師が一緒に学ぶ
2)プログラミンクは道具
 プログラミングを自己目的にしない。
 サイエンスを教える。
3)パパートのconstructionism
 構成主義(構築主義、建造的思考)が効を奏した。
-------------------
1)小さな研究室
 教室の隅などで、子供たちと教師が一緒に学ぶ
グルーブ学習などと同じで、子供たち同士と教師が混然一体となって影響関係を行使して、「知識」と「思考の方法」の両方を改造してゆく活動になっています。
ヴィゴツキー風に言えば、コミュニケーションが自己の知識を豊富化させるということになります。
しかし、実際には言語コミュニケーションにとどまらない相互の影響関係という方が正確です。宣言型の知識だけではなく、考え方(考える方法論、手続き的知識)も高度化します。この高度化は単に知識の量が豊富化するだけではなく、既存の知識構造が再構築されていることもヴィゴツキーを超える概念であることを指摘させていただきます。
理論はともあれ、戸塚先生は最も効果のある方法を実践されていたことになりますね。
2)プログラミンクは道具
 プログラミングを自己目的にしない。
 サイエンスを教える。
プログラムはいつでも道具であって目的ではありません。私は長くシステムハウスの経営者でもありましたが、プログラミングの前にはまずは要求分析の仕事があることを指摘しておきます。顧客の要望(要件)は何かの目的のために主張されているので、その目的を探り出して、要求仕様書を書き上げるのがシステム技術者の最初の仕事です。目的を知っていれば、結果が目的に沿わないという事態がかなりの確率で保証できますが、目的を知らずに処理の方法だけを聞いて書き上げたプログラムは失敗プログラムになる危険性が高いのです。似たように処理は無限に考えられますが、目的に合っているかどうかは神のみぞ知るという具合になるからです。 
3)パパートのconstructionism
 パパートのconstructionism 構成主義(構築主義、建造的思考)が効を奏した。
戸塚先生はconstructionismを「構成主義」と日本語にしていますが、「構成主義」の原語はconstructivismですから、実は少し違うのです。
パパートのconstructionismは、多くの場合、「構築主義」と訳されています。
ここには、優れた職人は自分の仕事をうまく他人には説明できないことがあるという事例を見ることができます。例えば長嶋茂雄氏は国民的英雄といわれたホームラン王の一人でした。たとえば「どうしたら打てるのですか」という問いに対しての、彼の言葉は「ひゅ~ときたら、うぁって打つんです」などという回答でしたから、常人には理解不能でした。
優れた教育職人である戸塚先生もその優れた方法論を自ら説明することにたけているとは言えないようです。
さて、戸塚先生はパパートのconstructionismを採用したと述べていますが、パパートのconstructionismはモノづくり、合意づくりなどのconstructionの結果、自己が有している知識が再構築されることを意味しています。ヒトを取り巻く外界から得られた知識や方法が忘れられています。
サイエンスにとって大事なのは、現実と真摯に向き合って新しい事実を発見し、わが知識に取り込むことです。さらに付言すると新たに知識を巡って他者と互いに言語交流やノンバーバル交流行うことで得られる新しい知識を採り入れることも大事です。多くの場合、新しい知識は、既存知識の構造のまま受け入れることはできませんから、新しい知識を受け入れることができるように関連する既存の知識構造がガラガラと崩れて素材化して、新しい知識を加えてあらためて構造化(再構築)されることになります。
モノづくり、合意づくりなどのconsructionは、生存サイクルの重要な要素です。とりわけモノづくりに関連する知識構造は他と区別される特定の形態を持っていて、極めて現実的に出来上がっていますから、幻想や空想が入り込む余地が少ないものです。
戸塚先生はパパートから入って、パパートを超えてしまっていると思います。パパートかどうかなどというのは戸塚先生の優れた業績からすれば問題ではありません。戸塚先生は科学的で現実に向き合うことに優れた学習法を実践されていたということができます。その方法論は、私と同じ科学的な学習法であるように思います。


1-4 二つの構成主義と構築主義の違い

構成主義、構築主義、建造型知識などに多様な言葉がたくさん出てきましたので、これらを一度整理したいと思います。
次のスライドをご覧いただければ幸いです。

二つの構成主義と構築主義の違い
7
<クリックすると拡大します>

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ピアジェ(1896年8月9日 - 1980年9月16日)*1
 ・・・心理的構成主義[我思うゆえに我あり]
 個人が自己内にある知識に新しい何かを付け加えて学ぶ。
 教師は、個人が学ぶのを助けるだけ。
ヴィゴツキー(1896年11月17日(ユリウス暦11月5日)- 1934年6月11日)*2 
 ・・・社会的構成主義(社会的学習理論) [我コミュニケーションある ゆえに我あり]
 人間の発達や学習は、社会的文化的な背景や、他人との相互作用な どが重要で、社会
 的な相互交渉の過程で行われる。
パパート( 1928年3月1日 - 2016年7月31日)*3
 ・・・構築主義[新しい概念や合意やモノを作るがゆえに我あり]
 学習は、知識の伝達 ではなく、再構築である。有意義な成果物の構築を学習者が経験す
 る活動こそ、もっとも効果的な学習である。
 ・・・ Papert‘s Principle: Some of the most crucial steps in mental
     growth are based not simply on acquiring new skills, but on
     acquiring new administrative ways to use what one already
     knows.(The Society of Mind by Marvin Minsky (Touchstone,
     1988), p.102.)
飯箸( 1946年7月10日 -   ) 参考 *4
 ・・・建造型知識もある[物質界、生物界、人間界ありてこそ我あり]
   挑戦して、外界から新しい部材を調達して既存知識と組み合わせて知識を再構築す
   る。
*1 中村恵子、教育における構成主義、現代社会文化研究、No.21、p.283-297(2001)
*2 “教育と社会的構成主義” 小坂 武、 http://kosaka.la.coocan.jp/construct.htm (2018.10.09)
*3 Sylvia Libow Martinez, Gary Stager共著, 阿部 和広監修, 酒匂 寛訳, 作ることで学ぶ ―Makerを育てる新しい教育のメソッド, 東京, オライリージャパン, 2015, 400p.
*4 飯箸泰宏、2018.12.09、第80回SH情報文化研究会にて発表予定。
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まず、「構成主義」と呼ばれるものには、大きく分けて2つあります。ピアジェの「心理的構成主義」とヴィゴツキーの「社会的構成主義」です。前者は観念論の系譜に属するカントの思想をピアジェが引き写したもので、唯物論の影響を色濃く受けているヴィゴツキーの思想と根本的に相容れるものではありません。ピアジェとヴィゴツキーは同じ年に生まれていて同じ分野での成果もあげています。ピアジェは84歳まで生きましたが、ヴィゴツキーは37歳の若さで亡くなっています。
ピアジェは「われ思うゆえに我あり」の人で、子どもも一つの人格として自ら知識を獲得して行くものと考えていました。他人が子どもに知識を押し込むようなことはできないと考えていました。結晶が一つの核の周囲に次第に美しい層をなすように知識もまた生得の知識を核として積み重なって大きく成長すると考えていました。知識の構造がその過程でガラガラと変わるなどということは想定していません。
ヴィゴツキーはヒトは社会的な生き物なのだから、人々は他者とのかかわりの中で人格を獲得し、コミュニケーションを通じて知識を獲得してゆくとしています。つまり「我コミュニケーションあるゆえに我あり」の人でした。学習には他者からの関与の余地があることを主張しています。ここがピアジェとは全く異なる点です。知識の構造が知の獲得過程でガラガラと変わってゆくという想定はヴィゴツキーもしていません。
ピアジェとヴィゴツキーの二つの「構成主義」を同じものまたは極めて近いものと勘違いしているやや鈍い教育研究者も結構存在しています。常識的にはピアジェの「構成主義」は「"心理的" 構成主義」と呼び、ヴィゴツキーの「構成主義」は「"社会的" 構成主義」と呼んで区別しています。
パパートは、新しい概念や合意やモノを作ることを通じて知識の構造が再構築されるという考えを持っていました。知識に構造があることを早くから認めていたことが特徴です。そのうえで、新しい概念や合意やモノを作ることが現実に即した知識の再構築には最も効果的であるという真実を見抜いていました。その点では、極めて新しい考え方ということができます。
人工知能の中で知識ベースを中核に据えて活動したミンスキーと共同論文もあるパパートはヒトの脳のリアルな仕組みに深い洞察を加えていたことが分かります。
しかし、パパートもミンスキーと同じで、ヒトの観念の外にある現実の捉え方が極めて弱く、客観的事実を懐疑的にとらえる傾向(懐疑主義)の系譜に入る限界があります。したがって、知識の構造の変化が観念の中だけで起こると考えており外界から得られる新しい知識の行き場所がなくなってしまっています。
科学的認識論の立場からは、外界から得られる新しい知識は不断に自己の知識の中に取り込まれるが、自己の観念の中にある知識の既存の構造のままでは新たな知識が取り入れられないことが頻繁に発生し、その都度、新たな知識と既存の知識構造がバラバラに解体され併せて再構築されると考えます。
この考えは、ピアジェの心理的構成主義でもありませんし、ヴィゴツキーの社会的構成主義にもとどまっていませんし、パパートの構築主義も踏み越えてしまった地平にいます。これらとの混同を避けるため今回の講演ではこの科学的認識論の一種を「建造的思考」と呼ぶことにしました。
ところで、「建造的思考」は、ひとが持つ思考形式の重要な一つではありますが、全部でないこともここで指摘しておきます。ウソや神頼み、単なる空想や病的な幻想を排除しやすい思考形態ですから実践的で科学的な思考になじみます。


2.知識の構造(by飯箸)
2-1 知識の構造の分類
さて、ここで、戸塚先生の成果と実績から離れて「知識の構造」といわれるものを簡単に説明しておくことにいたします。
次のスライドを見てください。

知識の構造の分類
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ヒトの知識は大別すると「宣言的知識(表内右列)」と「手続き的知識(表内中央列)」の二つに分類されます。
「手続き的知識(表内中央列)」が造られて実行される際には、対応する「宣言的知識(表内右列)」が参照されています。
「宣言的知識(表内右列)」は言語コミュニケーションによって進化が加速してきた部分ですから、他人とのコミュニケーションによって強化されやすい部分です。ヴィゴツキーはここだけを表面的に見ていたのかもしれません。
「手続き的知識(表内中央列)」は戦略戦術を立案したり、モノづくり手順を考えたりするためのアルゴリズムに相当します。「宣言的知識(表内右列)」が正しいとという前提のもとに構築されますが、実際に実行したりシミュレーションしてみたりするとなかなか思った通りにはゆきません。思った通りに行かないことの原因を追究して解決しようとする(バグ取り)と「宣言的知識(表内右列)」を補正したり、解体して再構築しなければならなくなります。
建造的思考はこの表で言うと「予期駆動フレーム(予期駆動型知識)」という「メタフレーム(メタフレーム型知識)」の一部に相当します。「メタフレーム(メタフレーム型知識)」にもいくつかのタイブがありますが、建造的思考に相当するのは「メタフレーム(メタフレーム型知識)」の中の「建造型知識」に対応していることがわかっています。
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参考:
1>概要-第79回SH情報文化研究会
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/-79sh--128-f4a4.html
2>飯箸の発表「創造力の作り方3--知識の構造」-第79回SH情報文化研究会
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/3---79sh--129-4.html
3>質疑応答 on 飯箸の発表-第79回SH情報文化研究会
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/on--79sh--130-2.html
4>情報交換会(懇親会)-第79回SH情報文化研究会
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/-79sh--131-c39b.html


2-2 メタ構造型知識のバリエーション

次のスライドは、「メタフレーム(メタフレーム型知識)」にはどんな種類のものがあるのかを図解して例示したものです。

メタ構造型知識のバリエーション
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「メタフレーム(メタフレーム型知識)」は、多数存在する知識構造の「宣言型知識構造」(側頭葉と頭頂葉の協調動作によるもの)に分類されるもののうちの最上位に属するものです(直前のスライドの右上の赤丸部分)。この中にも様々な形態の知識構造がありますが、この新しいスライドには、そのうちの3つを例として図示しています。
このスライドも左と右に分かれていますので、左半分の説明を先にして、続いて、右半分を説明します。

(スライドの左半分)

抽象化-具象化、上位概念-下位概念
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左側の図の下のほうに無数の星が描かれていますが、それぞれが単位知識(おおむね①事物と②その属性というセットで構成されて③何らかの名前が付けられいることが多いが、いずれか一つまたは二つしかない場合もある)を意味しています。
この星で示された単位知識を基礎にして、知識は結合され組織化されます。結合の方法にはメタ型の結合(リンク)とネットワーク型の結合(リンク)があります。メタ型は帰属関係を構成して上位と下位という階層を作ります。社会における上下関係に相似的な関係となっています。ネットワーク関係は過去の知識構造(知識構造はしばしば再構築される)の名残りであったり、単純に類似性があったり、発生源が同じまたは近い場合であったり、時間的に近い関係にあったり、比喩的に似ていたりというだけの緩やかなつながりで、帰属を超えてどこにでもつながってしまう現象を意味しています。こちらは、社会における友人知人関係や信念(思想・信条・信仰など)や共通利益による緩やかな結合(社会的ネットワーク)とよく似ています。
このような構造(メタ構造とネットワーク構造の二重化構造)がヒトの脳内に出来上がって定着したのは、約60万年前、ヒトが社会を構成するようになった時期に一致していると考えられていて、その結果出来上がった脳の様子を「社会的脳」と呼んでいます。「社会的脳」が小さく芽生えた者たちがムレからムラ(複数の群れを統合統括する村)を作るようになり、生存優位に立つとムラの維持強化に役立つ「社会的脳」の持主が選択配偶されるようになったり、ムラの秩序を乱す「社会的脳弱者」はムラから追放されてハイエナなどの人の天敵に食われる淘汰が進んで、「社会的脳」が現生人類(ホモサピエンス・ホモサピエンス)の生存力の中核になってゆく過程が推定されます(飯箸仮説)。
さて、単位知識を基に組み立てられるメタ型知識構造には、主に上位に行くほど抽象度が高い(外延が広く内包が小さい)概念が存在してその下には相対的には具体的(外延が狭くて内包が豊富)な概念が帰属していることになります。上位ほど抽象的で、下位ほど具体的です。最も具体的な単位知識を出発点に抽象化を重ねて上位概念よりもさらに上位概念へと辿る運動を抽象化と言い、上位概念から一段下の下位概念に具体化し、さらにその下の具体的概念に具体化してゆく運動を具象化と言います。抽象化を進めるということは、一段下の概念群から共通属性を選ぶことになり、上位概念では共通属性以外の属性に関する知識は捨てられています。余った属性に関する知識を捨てることを「捨象する」と言います。具象化する際には、その逆が必要で、上位概念に移行する際にいったん捨てた(捨象された)属性に関する知識をその上位概念に追加しなければその直下の下位概念を再現することができません。捨象された属性を改めて追加する運動を「具象」と言います。ヒトはこの知識構造の中で、抽象化と具象化を繰り返しています。抽象化しかできない方(具象化が苦手な方)は、しばしば間違った抽象化(架空の属性を下位概念に忍び込ませてこれを抽象化して新たな概念にしてしまうことが多い=カルトやオカルトやこれに近い思想など)を自己矯正することができません。抽象化の能力とともに具象化の能力もなければ現代人失格というわけです。抽象化の過程で紛れ込んで奇妙な概念をそのままに、具象化を続けるとその先にある単位知識(観測された事実を写し取ったもの)と合致しなくなります。そこで、多くの場合、初めて思考の誤りに気づくことになります。カルトやオカルトやこれに近い思想の持主は、できるだけ具象化のプロセスを踏まないようにしたり、具象化の際には、事実を否認する暴挙に出たりしているように思います
さて、抽象化の方法の代表的なものには二つあります。左の図の中の右寄りにはピンクの角丸四角で囲われた知識のツリー構造が得かがれています。この図を見ながら説明を聞いてください。時系列属性を超越した(捨象した)抽象化です。たとえば、「プードルは犬という概念に入る。犬は哺乳類である。哺乳類は動物である。動物は生物である」というように次第に抽象度の高い概念へと辿る方法です。いったんこの知識構造ができると壊れにくく同一知識構造内探索もスピーディなので、ヒトが一番意識しやすい知識構造になっています。学問で言うと博物学がこれに近いですね。しかし、創造的な活動では、この知識構造が堅牢であることがしばしば邪魔になります。時代遅れになっていて変更しなければならないのに昔の知識構造のままというようなことがしばしば起こるのです。頑迷さを緩和して新しい知識との関係を自在に作る役割は知識のネットワークというつながり方(どの知識とも自在に結びつく)が担います。取り入れなければならない新たな知識に気づいたり、役に立たなくなっている知識のがん化部位を発見したりできるのは、このネットワーク型のリンクがあるおかげです。
他方、時系列に生起した事象を時系列を残して抽象化してゆく知識構造もあります。単位知識にある時間に関する属性を紡ぎとめてエピソードとして記憶する方法です。この記憶はヒトにとって大変役立つ「因果律」を導く基礎となる能力ですから大事な記憶構造です。これは左の図の左寄りに片矢印型の箱型の知識のツリーが書かれています。エピソード記憶もいくつものエピソードをつなぎとめて上位で統合してより広い時系列や面的な広がりのあるエピソードを作り上げてゆくことができます。その結果出来上がるエピソードの集大成は「歴史」(個人に限定される場合は「個人史」)と呼ばれます。ここでも、エピソード記憶の知識構造や歴史観が固定化固着化すること防ぎ、新しい知見に基づいて更新を続けるためにはネットワーク型の知識構造も必須となります。

(スライドの右半分)

建造型知識構造
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スライドの右半分には、今回の「建造型(モノづくり型)思考=予期駆動型知識構造=」に関係の深い宣言型知識「建造型知識構造(コンストラクショナル・シンキング)」が描かれています。
これは、頂点に様々な事物があり、それぞれが部品展開されていく様子になっています。部品には、共通部品でまかなえるものとそうではなく事物に固有の部品もあります。部品はさらに分解され、共通部品はその下に統合されてゆきます。
この図は、上下をひっくり返すと時系列のないメタ構造型知識と極めてよく似ています。時系列のないメタ構造型知識と人類史上同時代に作られたか、どちらかが先行して他方がその派生になっているのではないかと推測されます。「建造型知識構造(コンストラクショナル・シンキング)」は、「科学的脳(中東のアダム)」の機能にごく近いので、もともと人類300万年の歴史の中にある道具を作る動物としての能力を基にして、「科学的脳(中東のアダム)」の発生(17万年前ころ)に急速に発達定着したのではないかという推測もできます。
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※「知識の構造」についてのより詳しい解説は、第79回SH情報文化研究会の講演で少し詳しく述べているので参照していただければ幸いです。
飯箸の発表「創造力の作り方3--知識の構造」-第79回SH情報文化研究会--感性的研究生活(129)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/3---79sh--129-4.html
および
質疑応答 on 飯箸の発表-第79回SH情報文化研究会--感性的研究生活(130)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/09/on--79sh--130-2.html


2-3 予期駆動型フレーム

さて、続いて、目を「手続き型」の知識構造(前頭葉の後ろ半分に相当する運動野と頭頂葉の協調動作によるもの)に移します。
次のスライドを見てください。

予期駆動型フレーム
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これには「予期駆動型フレーム(予期駆動型知識構造)」の図が書かれています。手続き型の知識構造の最上位にある知識構造の一つです。この「予期駆動型フレーム(予期駆動型知識構造)」の図は、第二次AIブームの初期に私のチームが開発したもの(当時は「論理フレーム」と呼んでいました)ですが、のちの時代にアメリカでも別途開発されていたものとほぼ同じであることが判明しました(私のチームのほうが先だろうとは思いますが特許登録したものでもないので、"同時発生" としておきます)。アメリカでの呼び名「予期駆動型フレーム」で呼ばれるようになっています。
作り上げるべき最終形を示すフレームが最上位に書かれています。このフレームには固有の名前が付けられていて、自分でやるべき事柄が自分のフレーム内のメソドに書かれていますが、自分のフレーム内でできないことはおおむね複数の下請けのフレームに実行させる旨のリンクが張られて(スレッド記述)います。下請けのフレームをどのような順番(および条件分岐や繰り返し)に実行させるかの制御方法もこのメソドに書かれます。自分のメソドが参照すべきパラメータや下請けが参照すべきデータのテーブルも持っています。
下請けのフレームにも名前があり、メソドと複数のリンク先(下請け先)とデータテーブルがあります。下請けが不要になったら下方展開は終わりになります。
このフレーム構造はヒトが持つ予期駆動型の知識を書き起こしたものと仮定してもそれほど遠くはないでしょう。この予期駆動型のフレームが世に知られるようになるとこの構造をそっくりまねたプログラミング言語が登場します。オブジェクト指向型プログラミング言語です。JAVAやC++がこれに該当します。
さて、手続き型の知識構造はいずれも宣言型の知識構造を参照して構成されますが、この予期駆動型の知識は、宣言型の建造型知識構造(コンストラクショナル・シンキング)を参照して出来上がっています。メソドを除く、名称、リンク、データセットは宣言型の建造型知識構造(コンストラクショナル・シンキング)からの条件付き引き写しまたはリンクです※。
予期駆動型の知識は、目標(新しい概念の構成、合意形成、モノづくり)を実現するためには必須の運動プラン(戦略戦術)になっています。
しかし、プラン(戦略戦術)の通りにやってみてもうまく行かないのが世の常です。予期駆動型フレームの通りに実行しようとしてうまく行かないことは当然のごとく発生します。不足する情報を収集し、考え方や手順を先人先輩に学んだり、自分で考案したりすることが必然的に行われます。実に「思考のバグが、本人を厳しく教育してくれる」のです。

※会場で、手続き型知識構造と宣言型知識構造の基本的な違いを尋ねられた方がいました。脳科学的な解明はされていない分野なので、説明が難しいですが、次のように言ってよいかもしれません。
①手続き型知識構造にはメソドがあり、宣言型知識構造にはメソドがない
そして、
②手続き型知識構造が持っている名称、リンク、データセットは宣言型知識構造からの条件付きコピーか、もしかすると実体は宣言型知識構造にのみ存在してそのリンクだけが手続き型知識構造に存在しているだけかもしれません。

3.PBL(Problem Based Learning or Project Based Learning)
3-1 生存活動サイクル

生存活動サイクル
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ここで、「生存活動サイクル」(※)について、振り返ってみます。そもそも人間的活動において、建造型知識構造が必要になるのはどんな場面なのか、何度も取り上げている「生存活動サイクル」を見ながら確認してみたいと思います。
次のスライドを見てください。
このサイクルの図を見ると、格別なことではなく、社会生活を送る普通の方が普通にしている活動のサイクルです。
目的を設定して、そのために情報収集を行い、戦略戦術を練り、自助努力で実行に移して、成果の有無を子細に点検します。その結果、完了が確認されれば、上位目標に沿って、次の当面の目標穂設定して、このサイクルの最初からまた活動が始まります。
成果の有無を点検して、目的を達していないことが分かれば、直前の行為をやり直すか、戦略戦術を練り直してやり直すか、情報収集からやり直すか、否、最初の目的の設定自体に無理や問題がなかったかと考えて、当面の目的の上位の目的に照らして、別の当面の目的を設定しなおすこともあります。
日常的な活動においては、最後まで進まなければ戻らないというような硬直したやり方は採られないでしょう。進行の途ちゅうのどこでも問題を発見したらそこからどこまで戻るべきかを考えて軌道を修正するのが普通でしょう。情報収集に取り掛かったら、たちどころに当面の目的が全く無意味であることに気が付くこともあるでしょうし、実行に取り掛かったら情報が足りていないことに気が付いて情報収集に取り組みなおすこともあるでしょう。どの場面にいてもどこにでも戻ることが許されるのが生存活動サイクルというものです。
このサイクルを回しながら、うまく行かないことばかりに口惜しく思い、何とかしてやると力を入れてますます燃えるのが生存活動サイクルというものだろうと思います。
この中で、戦略戦術を策定する場面には、予期駆動型の知識構造が活躍します。
-------------------------
誰しもが燃える「生存活動サイクル」。
・ヒトや企業や各種団体は、自然にまたは意識的にこれを日々押し進めている。
・問題ベース学習やプロジェクトベース学習は、「生存活動サイクル」を真似たも
 の。
・戸塚先生がいう「構成型学習(実は建造型学習)」は、このサイクルをたどる学
 習方式である。
-------------------------
ただし、第ゼロ世代、第一世代までは目的設定が明らかでないという限界がありました。第二世代で、理科教育と算数教育の手段としてプログラミングを位置付けることで、プログラミング教育は目的を見出すことになったとされています。実は、理科と算数はヒトとしての究極の目的に貢献することがほぼ自明であり、プログラミングはそのための手段であるとされることによって、目的のないまたは自己目的的なプログラミング教育の弱点が克服されたのだと思われます。

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※「生存活動サイクル」については、第77回SH情報文化研究会で初めて詳しく説明しましたので、こちらを参照してください。
お仕着せアクティブラーニングは"人形芝居"~操られ上手を育てて何になる--感性的研究生活(88)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/04/--88-03c6.html


3-2 目的設定の重要性

目的設定の重要性
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目的設定の重要性については、次のスライドにまとめました。
戸塚先生も「プログラミンクは道具。プログラミングを自己目的にしない。サイエンスを教える」としています。この観点は大変重要で、これに照らしてみると昨今盛んになっている小中学生対象のプログラミング教育の多くには限界が存在していることを感じます。
プログラミング教育が危うい一面を持つことは、実は「戦略戦術」が自己目的化してしまう恐れがあることです。
「目的」が正しくてこその「戦略戦術」です。たとえば、ファイティングゲームのように「人をできるだけたくさん殺すこと」が目的の「戦略戦略」にいくらたけていてもプロフェッショナルな軍人でもなければ褒められません。人類の究極の目的に照らして、確たる理由もなく人殺しを称賛し続けるゲームに価値があるかどうかは歴然です。意味なく殺すことに快楽を覚えた異常者が事件を起こしかねないことはだれにでも透けて見えてきますね。
さて、どの学習現場に行っても教員からは、「うちの子たちは、やる気がなくてね~。好きなことはないかと聞いてもわからないという返事かほとんどなんですよ」というぼやきに近い言葉が聞こえてきます。子供たちに生まれつきやりたいことと言えば、おっぱいを飲むこと、排せつすること、親の愛を求めること、友達と遊びたいこと、個性を主張したいこと、など成長に伴って生ずるいくつかのことしかありません。野球をやりたいのかサッカー選手になりたいのか、エンジニアになりたいのか、保母さんになりたいのかは、生得的な欲望の外にあり後天的なものです。知る機会、体験する機会がなければ、好きも嫌いもいえる対象の外にあることを理解すべきです。
子どもたちがそれらの「目的」を見つけることをお手伝いするのが教師というものだと思います。このときに忘れてはならないのがつぎの3つです。
目的設定学習のポイント
 ①目的が見つけられるように体験機会を豊富に与えること
 ②究極の目的を教えること
 ③当面の目的と上位目的を常に意識させること
(1)目的が見つけられるように体験機会を豊富に与えること
 やってみて、感じて見なければ、好きも嫌いも判断ができません。
 体験機会をできるだけ幅広く与えることが大事です。
(2)究極の目的を教えること
 子供たちがヒトとしての究極の目的を突然思いつくことはほとんどあり得ません。先達たる大人
 たち特に教師はこれを教えなければならないと思います。*
 ヒトとしての究極の目的については、後で述べます。
(3)当面の目的と上位目的を常に意識させること
 目先の目的だけにまい進するひとも少なくありませんが、目先の目的に失敗すると挫折して、
 次に立ち上がれるかどうかがわからなくなります。
 当面の目的を創案設定する際は必ず、その上位の目的とセットにして、上位目的と矛盾のない
 目的設定にすることを教えます。これは当面の目的がぶれないためにも重要なことと思います。
 実はもう一つ大事な側面があります。当面の目的がどうしても達成しない場合に、そこであきら
 めずに、上位の目的に戻って、その目的を達するための下位の目的は他にもあることを思い出
 させる(またはその時に創案させる)ことができます。「これがだめでも、あちらがあるぞ」となりま
 すから、閉鎖した古い当面の目的A以外で、同じ上位の目的のための当面の目的Bを選択する
 ことができます。AもBもCも、、、すべての採り得る当面の目的が無理と分かったら、その上位
 目的のさらに上の目的(上の上の目的)にさかのぼってそのもとにある目的(上の目的群)の中
 から実現可能性の高い目標を洗濯するということができます。これが理解できていれば、レジリ
 エンス(逆境力)が身についているということになります。
 これも子供たちが突然思いつくことはほとんどありませんから、先達たる大人たちが教えなけれ
 ばならないと思います。この部分での教師の役割は特に大きいです。

* 私は4-5歳の時、病弱だった自分は、一人布団の中で涙していることが少なくありませんでした。生きてゆく価値が自分にはあるのだろうか、このまま死んでもいいのかな、、、。というわけです。母親は私が生存して成長することについての希望を持っていませんでしたので、私に未来への「期待」というものを一切見せませんでした。そのことが自分で自分の生存をあきらめる私の思いを掻き立てていました。
一つだけの可能性は、自分が他の人に役に立つようになれば生きていけるのではないかというものでした。被虐待児が役割少女、役割少年になるのと同根の心理状態だったのだろうと思います。
5歳の時、母方の祖父(光明院住職)が亡くなりますが、亡くなる前の日の晩、危篤を聞きつけた子ども家族が集結する中で、十数人以上いた孫たちを一人ずつ、寝間に呼んで、横たわったまま、一人一人の顔を見て遺言を伝えました。私が呼ばれると枕元に座らされて、祖父は「やっちゅん(私の幼名)か。いいか。しっかり勉強しろよ。他人の役に立つ人になれ。そうすれば、きっと生きて行ける。分かったか」とかすれた声で一言ずつ大きく息をしながらしっかりと言われました。私の心中を見透かされていたようです。
そのとき、はじめて、すぐに役立つことをしようとしてもできないのだから、勉強してから人に役立つようになっていいんだと目からうろこでした。
遺言通り生きてこれたかどうかは、はなはだ答えに窮しますが、生きてゆく指針をこの祖父から私はいただいたことになります。


3-3 体験機会

体験機会
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このスライドには、前のスライドに書かれている「体験機会」の例を列挙しました。
「体験機会」を増やそうというと、何をしたらよいかわからないという教員の方がいますので、大学教員だった私が実際に学生たちに体験させたものから選んでみました。小中高のそれぞれの学齢にあった体験学習が必要と思いますので、関係者の皆さんはここから類推してあるいは発展・発案して適切な体験機械を子供たちに提供していただきたいと思います。
詳しく述べる時間がありませんので、例示にとどめて次に進みます。


3-4 ヒトの究極の目的

ヒトの究極の目的
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ヒトの究極の目的については。次のスライドにまとめました。
詳しくは、引用ブログ※を参照してください。

世界宗教と呼ばれるゾロアスター、ユダヤ教、仏教、キリスト教、イスラム教などの経典に書かれている、ヒトとしての究極の目的は、いささか乱暴にまとめると、つぎの3つです。
また、世界史に登場する賢人・哲人が共通して言うのもこの3つです。
民族を超える世界宗教と言われるものは拝火教に始まりますが、その後継宗教であるゾロアスターの経典には拝火教の真髄がほぼ踏襲されています。その他のユダヤ教、仏教、キリスト教、イスラム教など世界宗教も拝火教またはゾロアスターからの分派成立したものですから、基本的な理念は共通していて不思議はないのです。

  (1)人は現世で生を十分に楽しむために生きる
  (2)ヒトは他者の喜びのために生きる
  (3)子孫の繁栄と幸福のために生きる

これを現代的に言いかえれば、以下のとおりになります。
そもそも、生物の生存目的は
 ①「個体の生存」と③「種の保存」
にあると、現代の生物学は教えています。
(ここで、②を飛ばしてあるのは、次の項目を②に加えるためです)
さて、ここで、ヒトは他の生物と違って「社会を作る動物」ですから、
 ②「組織と社会の維持」
も目的に加えてよいでしょう。

  ①「個体の生存」
  ②「組織と社会の維持」
  ③「種の保存」

①②③は、それぞれ、前述の(1)(2)(3)に対応していますね。言葉こそ違いますが、言っていることは基本的に同じだと思います。
注意しなければならないのは、これらは互いに矛盾することがあります。むしろ、しばしば矛盾するといってよいでしょう。ヒトはその都度、迷い、悩み、妥協して、何かを優先して選択しているに違いありません。
また、人の世の禁止事項は、次のようにまとめることができます。
「個別の目的設定は、これらの究極の目的に反してはならない」
したがって、目的設定においては、本人の好き嫌いとは別に、これらの究極の目標に反しないよう、またむしろこれらの目的に貢献するように本人の目的設定を行うことを教えなければなりません。
これらは、1940年頃までは世界のどの国でも家庭で親が子に教えていたものです。今はこのことを理解している親がそもそも少なくなりましたので、教師は意識して子供たちにこれを教えてあげるべきだと思います。
海外に渡ったり、日本に来た欧米人から「あなたの宗教は?」と聞かれて「無宗教」と答えたらいけない理由は、自分はこれらの3条件を認めていない、つまり無頼の徒であるという意味になってしまうからです。
私は、いささか違和感を感じながらとりあえず「I'm buddhist」と答えておくことにしています。

※飯箸泰宏 「創造力の作り方2 情熱エンジンと創造力」、第78回SH情報文化研究会(6/7)--感性的研究生活(101)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2018/06/post-5227-4.html

3-5 当面の目的と上位目的
やっとここまで来ました。
次のスライドには、当面の目的と上位目的の関係を図示しました。

当面の目的と上位目的
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(1)当面の目的と上位目的の関係
繰り返しになりますが、 当面の目的を創案設定する際は必ず、その上位の目的とセットにして、上位目的と矛盾のない目的設定にすることを教えます。これは当面の目的がぶれないためにも重要なことと思います。
実はもう一つ大事な側面があります。当面の目的がどうしても達成しない場合に、そこであきらめずに、上位の目的に戻って、その目的を達するための下位の目的は他にもあることを思い出させる(またはその時に創案させる)ことができます。「これがだめでも、あちらがあるぞ」となりますから、閉鎖した古い当面の目的A以外で、同じ上位の目的のための当面の目的Bを選択することができます。AもBもCも、、、すべての採り得る当面の目的が無理と分かったら、その上位目的のさらに上の目的(上の上の目的)にさかのぼってそのもとにある目的(上の目的群)の中から実現可能性の高い目標を選択するということができます。これが理解できていれば、リジリエンス(逆境力)が身についているということになります。
このことに、子供たちが突然思いつくことはほとんどありませんから、先達たる大人たちが教えなければならないと思います。この部分での教師の役割は特に大きいと思います。
(2)「挫折」しないためのコツ
当面の目標のために戦略戦術を駆使して突進してもダメという場合は少なくありません。現実は甘くないのです。
情報収集や戦略戦術の誤りや実行するに際の技能不足などをおぎなってもなおダメなこともままあります。そのときは、次のようにします。
 ・下位目的が間違いだったのか?と考え直します。
  その結果、上位目的に適う妥当な別の下位目的を設定する。
 ・下位目的がどれも不発なら、上位目的を変更する。
  上位目的の変更のコツは、上位目的のさらに上の目的を推定してその下位目的を探す。
  上位目的のさらに上の上位目的は、近接の場合もあるがかなり飛躍することもある。


4.戸塚先生の教え子はなぜ力をつけたのか
4-1 創造力の源泉

創造力の源泉
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さて、これまでは戸塚先生の教育実践に近い私の考えを取り上げてきましたが、ここからは、その知識を使って、なぜ戸塚先生がその教育実践で成功したかについて、解釈を試みたいと思います。

戸塚先生の教え子はなぜ力をつけたのでしょうか。教え子の子どもたちは、創造性を身に着けてクリエイティブな仕事にまで就いています。
その創造力が湧き出た源泉は、PBL(Problem Base Learning or Project Based Learning)を取り組んだことにあります。
PBL(Problem Base Learning or Project Based Learning)で疑似的に生存活動サイクルを回し続けると次のようなことが起こります。
----------------------------------
生存活動サイクルを回ると、創造力が身についてくる。
①目的設定ができる/情熱が沸く
②情報収集ができる
③戦略戦術(予期駆動フレーム)が立てられる(建造型知識構造を構築できる) [独創
 性]
④予期駆動フレームを修正できる(建造型知識構造を修正できる) [独創性]
⑤実行力が身に付く
⑥当面の目的とその上位の目的に照らして、結果を評価できる
⑦続く当面の目的を設定できる
⑧思考のバグにいたるところで気づくことができる[創造性]
⑨より上位の目的から当面の目的を選択できるようになるので、今まで気づかれな
 かった新しい課題に気づいて取り組むようになる[新奇性]
----------------------------------
この箇条書きを見れば明らかですが、すこし補足します。
「①目的設定ができる/情熱が沸く」
失敗して口惜しくて夢中になる・・・バクつぶしに熱中するという熱情も必要ですが、ふと、やっていることにむなしくなる瞬間があります。「ボクは、ワタシは、何のためにこんなことをやっているんだろう・・・」そうです。目的に意義を感じない限り、どんなに熱中してもいつかは飽きてしまうのが人間というものです。意義のある目的を設定してこそ深い情熱を持続できるのです。
戸塚先生は試行錯誤の末に、理科と算数の科目学習に目的を求めました。これは、子供たちに「現実や事実をよく見なさい」と指導することにもなり、視野が自己の観念や欲望の内側にとどまらずに広く現実を見る方向に向いたことにもつながりました。ヒトにとって意義のある目的設定ができるようになれば、おそらくはその情熱が生涯消えることはないはずです。
「②情報収集ができる」
思い込みだけでは痛い目に合うことはBPL(Problem Base Learning or Project Based Learning)でいやというほど学習するでしょう。事前に情報収集し、方向を定めて戦略戦術を立て、いざ取り掛かるとまた情報収集が必要になります。いやいや学習するのではなく、目的あっての情報収集ですから、力が入らないわけがありません。「やってみる」ことは、勉学の意欲を百万倍にするのです。
あなたにも経験がありませんか。学生時代あれほど嫌だった勉強なのに会社勤めを始めていざ仕事に取り掛かってみると、「しまった、もっと勉強しておくんだった」と思ったり、狂ったように自宅で勉強を開始し始めたりした経験はありませんか。
BPL(Problem Base Learning or Project Based Learning)ではその経験を実社会に入る前に体験しますから断然強い子供になってゆくのです。
「③戦略戦術(予期駆動フレーム)が立てられる(建造型知識構造を構築できる) [独創性]」
および
「④予期駆動フレームを修正できる(建造型知識構造を修正できる) [独創性]」
目的の完成形を思い描いて、その構成要素を洗い出す力がつきますから、ここから予期駆動型の知識を構築して戦略戦術の実行に移ってゆくことになります。あらかじめ考えた戦略戦術は残念なことにたいていはまず失敗します。子どもたちは、失敗して新しい手を考えるのです。失敗するたびに戦略戦術は洗練されたり、他人が思いつかなかったようなアイディアが盛り込まれるようになります。振り返れば、他にはない方法で難しい関門を突破していることになります。「頑張っても汗と徒労感ばかり」ではなく、「頑張れば独創的方法による難問解決」という充実感が待っています。またそうなるように教師は誘導しなければなりません。戸塚先生はそのあたりについて卓越した能力をお持ちのだろうと思います。
「⑤実行力が身に付く」
戦略戦術に従って取り掛かってみても、現実はそんなに甘くはありません。対峙した現実に合わせて様々な工夫と痴と涙が必要です。目的のために、苦労を押して実行した経験の力は、社会に入って(※)から体験する類似の場面で大いに発揮されるはずです。
「⑥当面の目的とその上位の目的に照らして、結果を評価できる」
自己評価の力が身に付くという点もBPL(Problem Base Learning or Project Based Learning)の良い点です。やってみてできなければ自分を直すことで事態の改善を図ることになります。評価は当面の目的とその上位の目的と現実を照らして行いますが、自己評価が甘ければ現実の改善はおぼつきません。もっとひどいことになったりもします。どのあたりが悲観論にならない程度の厳しい自己評価なのかを実際経験の中で理解してゆくことになります。
「⑦続く当面の目的を設定できる」
当面の目的をその上位目的とともに保持している子供たちは、当面の目的をクリアしたら、上位目標に沿った次の課題がおのずと見えてきます。当面の目的の達成は不可能と悟ったら上位目標に照らして別の当面の目的を設定できますから、目的をクリアしてもしなくても、やることがなくなったり、喪失感でうつ状態に陥ったりすることはありません。緊張感は一定に保たれて、途切れることなく生存活動サイクルを続けることができます。
「⑧思考のバグにいたるところで気づくことができる[創造性]」
思考のバクには、形式論理上のミス(プログラムのシンタックスエラーのようなもの)と考え方のミス(ヒトとしての究極の目的に反する思考、プログラミングの論理エラーのようなもの)も発生します。
生存サイクルを回るということは なんどでもやり直せるということで、エラーを発見しても極端な自己否定に陥ることなく、立ち直りが素早いということになります。立ち直れることが経験上分かるようになれば、バクの存在に密かに気がついてもバクを認めなかったり、修正の方法がわからないのでバクをなかったことに隠したりすることがなくなります。むしろバクを見つけたことを喜んで修正のために勇んで作業することになります。
「⑨より上位の目的から当面の目的を選択できるようになるので、今まで気づかれなかった新しい課題に気づいて取り組むようになる[新奇性]」
普通には気づかなかったような課題が潜んでいることに気づく新奇性の能力は、上位の目的のそのまた上位の目的、、、のように上に上にたどっているところから生まれます。今まで他人が指摘しなかったような当面の目的が導き出せれて、喜んで取り組むことになります。
こんな風に、生存活動サイクルとそのシミュレーションであるPBL(Problem Base Learning or Project Based Learning)には、いたるところに創造性を育てる場面が存在していることがお判りいただけたでしょうか。

※学校関係者はよく「社会に出ていく」と言います。しかし、これは、学校を出たらよるべなき荒野に出ていく印象を子供たちに与えます。社会というものへの悪い印象を増悪させます。
事実は、学校を出たら子どもたちは社会の様々な組織構造のどこかに参加していくのです。「社会に入ってゆく」のです。ぜひとも、子どもたちには「社会に出ていく」ではなく、「社会に入っていく」と言葉をかけてあげていただきたいと思います。


4-2 リジリエンス(逆境力)の源泉

リジリエンス(逆境力)の源泉
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飯箸 泰宏 リジリエンス(逆境力)の強化についても、生存活動サイクルは大いに貢献します。
もう既に何度も触れましたので簡潔にまとめます。
---------------------
生存活動サイクルを回ると、リジリエンス(逆境力)が身についてくる。
①思考のバグに対処し得る方法を身に着ける。
 バグは当たり前、バグは訂正するものという心構えができる。
②当面の目的を見限って、上位目的の範囲内で別の当面の目的を設定できる。
 これがダメなら、あちらがあるさ
 ・・・したがって、プレッシャにつぶされない。
②同一の上位目的の範囲内で別の当面の目的を探せない場合は、当該上位目的を捨てて、
 そのさらに上位の目的の範囲の下位目標を探すことができる。
 あちらがだめでも、もっと上位から見つけてやる。どこまで行ってもあきらめない。
---------------------
戸塚先生もこれを実践してきたので、子供たちは逆境に耐えて社会で開花しているのです。


4-3 不思議感受性の源泉

不思議感受性の源泉
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飯箸 泰宏 不思議感受性はどこから来るのでしょうか。

生存活動サイクルを回ると、不思議感受性が身についてくるのです。そのわけは次の通りです。

①思考のバグを発見することに慣れると、不足や矛盾が放置できなくなる。
 ・知識構造内部の矛盾に気づいて「なぜ」と言う。
 ・新しく得られた知識が既存の知識と整合しないと「なぜ」と言う。
 ・知識の不足や間違い、戦略戦術や練習が間違っていたり不足していたら、これができないの
  は「なぜ」と言う。
②当面の目的に対していつでも懐疑的になれることに慣れると、このままでよいのかと常に反省
 するチャンスに身を置くことができる。
 ・目的の変更、戦略戦術の変更、やり方の習熟度を上げようとすると、点検方法の改善に、自在
  に取り組むことになる。
疑問が単なる懐疑主義に堕してゆかないのは、情熱を燃やす目的があるからです。疑問があれば何か工夫してその疑問をクリアしてゆく情熱エンジンが後押ししてくれます。

4-4 バグに気づく力の源泉

バグに気づく力の源泉
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バクに気づく力はどこから来るのでしょうか。

生存活動サイクルを回ると、バグに気づく力が身についてくるのです。

①プログラムを道具に使っているので、日常的にバグつぶしをしている。「思考にバグは当たり前」になる。
 あたりまえでないと他人のせいにしたりして、自助努力しないものですが、当たり前なら自分がバクを作
 っても当たり前なので感情的にならずに普通に自助努力してバクの修正に当たれるようになる。
②バグはプログラムばかりか、ヒトの思考そのものにも起こることを年中学ぶので、バグに驚かないし、修
 正することに躊躇しなくなる。

つまり、バグが自己否定につながらないことを学ぶので、バグを素直に受け入れて自己内でとらえることができ、他者にも(修正可能という)自信をもって表明できるのです。
戸塚先生は子供たちに体験を通してこのことを教えていましたね。子供たちは強くなります。とても良い教育実践です。

終わり

終わりのページ
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飯箸 泰宏 今日のお話は、これでおしまいです。
このお話は、12/9(日)の「創造力の作り方4」に続きます。
お楽しみにお願いいたします。


△次の記事: 感性的研究生活(134)
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琵琶

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概況-ソフトウェア技術者協会教育分科会(sigedu) 11月度月例会--感性的研究生活(132)

2018/11/25

概況-ソフトウェア技術者協会教育分科会(sigedu) 11月度月例会--感性的研究生活(132)

ミニシリーズ「ソフトウェア技術者協会教育分科会(sigedu) 11月度月例会」
-------------------------
<1>概要-ソフトウェア技術者協会教育分科会(sigedu) 11月度月例会
<2>飯箸の発表「建造的(モノづくり的)思考の紹介」-sigedu 11月度月例会
-------------------------


2018.11.22のソフトウェア技術者協会教育分科会(sigedu)は、私が開催当番でした。発表者は私と君島さん、二人は同い年(72歳)です。
君島さんの講演は、体育団体におけるパワハラ問題を教育者の目で鋭く解説するもので、大変素晴らしいものでした。

会のプログラムは以下の通りでした。

==============================================================
SEA SIGEDU(教育分科会)月例会のお知らせ

1.日時
  2018年11月22日(木) 18:30~20:00

2.場所
  東京工業大学キャンパス・イノベーションセンター
  (仮)5階 508リエゾンコーナー(入り口に案内が出ます)
  〒105-0023 東京都港区芝浦3丁目3ー6
   URL: http://www.cictokyo.jp/access.html
  JR田町駅から南(芝浦)側 徒歩約2分

3.テーマ
 1)教育で効果を上げる「構造的思考」の紹介(仮題) 飯箸泰宏
 2)日本体操協会の暴力・パワハラ問題は選手寿命・キャリアの問題(仮題) 君島 浩

4.会費
  会員・非会員とも ¥1,000./人
  本会費は会の運営用で、下記懇親会は別途会計となります。

5.懇親会
  未定 田町界隈の居酒屋
  懇親会費は別途、割り勘で徴収予定。約3,000円前後?

6.参加申し込み
  懇親会のみの参加でも構いません。
  SIGEDUメーリングリストに参加表明を入れてください。

8.担当
  飯箸です。
==============================================================

<次の記事に続きます>


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我もまた 風に舞い散る 錦葉(にしきば)の--人生に詩歌あり(39)

2018/11/23
我もまた 風に舞い散る 錦葉(にしきば)の--人生に詩歌あり(39)

平均余命5年!? いつ? どうして? FB友の一人から問い詰められて、しぶしぶ、歌とともに次のようにお答えました。

我もまた 風に舞い散る 錦葉(にしきば)の 一つにならむ 眠り就くまで(琵琶)

「5年」は、「突発型拡張性心筋症」が原因です。
主治医は、当時ベッドの上で52歳の誕生日を迎えた私に、「心臓移植は52歳の人にチャンスが巡ってくる確率はほぼ皆無です。バチスタ手術をしてみますか」と勧めてくれましたが、術後生存年数を尋ねたところ、「現時点では、術後生還率50%、生還者の平均余命1.5年」というものでした。おそらく、私がバチスタ手術の論文を取り寄せて読んでいたのを主治医は知っていたからだろうと思います。私から「バチスタ手術をしない場合の私の余命は?」と尋ねると、「このくらいの症状の方の場合、平均で5年。5年より後はないと思ってください」とのことでした。私の返事は「ありがとうございます。バチスタなしで5年生かしてください。5年の間にできることを考えて実行させていただきます」というものでした。
その1週間後に、効果があるとされる薬の論文がアメリカで2報出て、これを試してみることにしました。その薬のせいかどうかはわかりませんが、心筋の拡張が止まって、ゆっくりと吐出率に回復が起こり、入院時には9%であったもの(入院時の初診に当たった循環器の専門医がなぜあなたが今生きているのか、私には説明できないと青ざめながら言っていました)が、20年かかって今は52%にまで回復しています。吐出率回復と並行して逆に成人病のあれこれの数値が悪化を続けて、今では、主治医が、「飯箸さんは心臓じゃなくて糖尿かがんで死ぬなぁ、きっと」と冗談を言うまでになっています。しかし、一方では、心臓用のお薬を飲み忘れるとひどく怒られます。「薬があってやっと持っているんだから、しっかり飲んでください」とおっしゃいます。
何が効いているのかはよくわからないのですが、とりあえずは生きていることに日々感謝している次第です。
吐出率17-8%から35%くらいまで急速に(3か月程度で)回復した時期があります。主治医が、「何があったんだ。突発型拡張性心筋症は誤診だったのか」としきりと私に訊いていましたが、言えませんでした。非科学といわれれば非科学ですが、実は、アガリカス・ブラゼイの菌糸体の乾燥粉末を服用していた時期に重なります。
アガリカス・ブラゼイの菌糸体の乾燥粉末を服用すると異物侵入と勘違い(否、正しく反応)して、人体の中では、マクロファージが大量は発生することがわかっています。大量のマクロファージが全身を駆け巡りますので、心臓の筋肉塊の中に取り残されている死んだ心筋細胞がマクロファージによって除去される可能性が高まります。死んだ心筋細胞が除去されれば、筋肉の収縮力が戻ってきますから、吐出率も回復に向かったのではないかと、私は推測しています。これを私は「マイクロ(微視的)バチスタ」などと呼んでいます。
素人判断はいけませんが、実は、女子医の循環器の教授と相談して、実験的に私が服用して見たということです。千葉大系の歴代主治医の先生方には決して言えない「人体実験」でした。こんなをことした背景には長い物語がありますが、お話しすると長くなりますので省きます。
結果良ければすべてよし、理由はわかりませんが、突発型拡張性心筋症による余命5年の壁を超えることができたというわけです。
いま人生の残りが多くないと感ずるのは、この病気のせいというよりは、成人病といわれる生命力が失われていく過程を露呈しており、身体のあちこちが年とともにきしみ痛み悲鳴を上げるようになったからです。傷んだリンゴが次第に崩れてゆくように人体も死滅してゆくことを実感できる歳になっているということです。
未来あるお若い皆さんに終末のお話は失礼と思いますが、これもまた現実とも思います。

別歌を含む3首
我もまた 風に舞い散る 錦葉(にしきば)の 一つとなりて 眠るにやあらむ(琵琶、字余り)
我もまた 風に舞い散る 錦葉(にしきば)の 一つやならむ 眠り就くまで(琵琶)
我もまた 風に舞い散る 錦葉(にしきば)の 一つにならむ 眠り就くまで(琵琶)

最後の歌が一番希望にあふれているように感じて、冒頭に採用しました。

琵琶


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鶏肉入り菜飯--オヤジと家族のお料理ライフ(26)

2018/11/12
鶏肉入り菜飯--オヤジと家族のお料理ライフ(26)

最近数年間は、料理はる回数が以前より増えました。以前は、週1回はからず妻と息子がそれぞれ作ることになっていたので、7日のうちの5回が私の炊事当番でした。
最近は、大学の教員も定年退職となって、やることが激減してしまいました。稼ぎもなくなりましたから、稼ぐ奥さんと息子に奉仕するために料理はほぼ毎日作ることになっています。

昨日は、生きのよい葉っぱのついた立派な大根が手に入ったので、鶏肉入りの菜飯を作りました。

Img_20801
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お米は佐渡の友人から送られてきた新潟県産のコシヒカリの新米。一粒一粒がつやつや光っていますね。T.S.さん、ありがとうございました。

Img_20802
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今日の昼にいただきます。
(ちょっとだけ味見してみました。・・・、手前味噌ですが、うまかったです)

ご飯は8カップ(1カップ720CC?)を電気釜で炊いておきます。
トリ肉は短めの千切りにして、鍋で軽い塩味をつけて油の替わりにみりんで炒めるように火を通しておきます①。
針ショウガを大量に刻んで、よく洗って水切りした大根の葉を短く刻んでよく混ぜます。そのまま、どんぶりに入れて電子レンジで3分ほど火を通します②。こうしておくと大根の葉がごわごわせずに食べやすいです。
①と②をボールに入れて、塩小さじ3杯半、みりんと酢をたっぷり入れて、カツオと昆布の出汁を加えてよく混ぜます③。
③をご飯が炊けた電気釜に投入して、ご飯を切るようにしゃもじを縦横に入れると出来上がりです。この瞬間がなっパが鮮やかな緑をしていて一番美しい仕上がりで、すぐに食卓に上げたいところですが、たまたま午前10時半で、お昼には少し早すぎました。

写真はそれから1時間ほど経過したのちのもので、既に色落ちが進んでいましたね。
お昼には、わかめスープと一緒に、妻と二人で、もちろんこれをいただきました。われながら満足でした。

さて、テレビ局のFNNは次のような記事を配信していました。
-----------------------------------------------------
男性の4人に1人「週3日以上料理」若い人ほど高い傾向
FNN 11/13(火) 0:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20181113-00405351-fnn-soci

20181112
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進む「料理男子化」、週3回以上、料理を作る男性は、4人に1人だった。

「男子」と銘打った料理本や料理雑誌が相次いで創刊される中、婚活支援サービス会社が、20歳から59歳の男女2,090人に対して行った、料理をする男性についての調査。
普段、料理をするかどうか聞いたところ、「週3日以上料理をする」と答えた男性は23.6%。
女性の72.1%に比べると少ないものの、男性のおよそ4人に1人が週3日以上料理をしていると回答した。
また、「お弁当を作ることはありますか?」という質問に、「週1日以上お弁当を作る」と答えた男性は15.7%で、男性のおよそ6人に1人が「お弁当男子」という結果に。
年齢別では、20歳から29歳の男性が23.8%と最も多く、若い人ほど、仕事の合間を縫ってお弁当を作っていることが浮かび上がった。
自分で料理をする理由については、「自分好みの料理が食べたいから」、「節約のために」、「健康のために」という回答が多くなった。
こうした料理男子に、女性はどんな印象を持っているのか。
調査では、「好ましい」が81.8%、「かっこいい」が72.9%と、料理男子に好印象を抱いているという結果になった。
では実際に、働く男性の料理事情について街で聞いた。
週1~3回・IT関連(20代)「たまに早く帰ったときは、焼きそばとか。節約というか、自炊もしなきゃなと。あとは健康とかを考えて」
2週間に1回ぐらい・プラント会社勤務(20代)「そんなに、ばちっとしたものじゃなくて、パスタを作るとか。嫁が疲れているときとかですね」
嫁「うれしいですね。負担がすごく軽減する気がして。モテるんじゃないかなと思います。料理ができる男性はすてきだよねと」
料理しない・不動産業(20代)「全然やらないです。日常的には。時間かかっちゃうとか、実家に住んでいるのも大きい(理由)。(料理ができる男性はどう?)女性でできるのも、すごいと思うが、男性でできる方がかっこいいみたいな。憧れに近い」
毎日・メーカー勤務(30代)「毎日、弁当作って会社行ってるんですよ。(外見だけでも見せて? 男性にしては小食?)そうですかね。結構、おなかいっぱいになります。(きょうは)豚ヒレのしょうが焼き風みたいなやつとか、あとはエリンギのトウバンジャンからめたような。自分の好きなものを詰められるので、さらに節約にもなるし、いいですね」
-----------------------------------------------------

私は、先にも書きましたように、ほぼ毎日料理する72歳男子です。やっと、時代が追い付いてきたかなぁ、と感慨深いですね。妻と息子もたまには料理しますが。
我が家に自然にできている分担ルールは、後片付けは各自の役目、洗い物は妻がやっています。洗濯は妻が私と自分のもの、息子は自分のものだけは自分でやります。

△次の記事: オヤジと家族のお料理ライフ(27)
(準備中)
▽前の記事: オヤジと家族のお料理ライフ(25)
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インドネシア、「世界最古」の動物壁画が示したもの--その他、シリーズ外の記事

2018/11/10
インドネシア、「世界最古」の動物壁画が示したもの--その他、シリーズ外の記事

インドネシアで見つかっていた洞窟内の動物壁画が、4万年以上前のもので「世界最古」の壁画の一つに当たるという研究報告がされました。
未開の人々が世界で散発的に同様の文化を生み出していた証拠とこの発表を行った研究チームは考えているらしいのですが、私にはそう思えないのです。人々が別個に進んで同じ文化にたどり着く確率は極めて小さく、ほぼ絶無と言ってよいと私は思います。類似の文化は、派生または交流の結果であると考えるのが自然ではないでしょうか。

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インドネシア
4万年以上前の「世界最古」の動物壁画
毎日新聞2018年11月8日 15時41分(最終更新 11月8日 16時49分)
https://bit.ly/2zGNQ75

20181110_2
<クリックすると拡大します>
---
インドネシアのカリマンタン島東部の洞窟に残る野生の牛とみられる動物などを描いた壁画は4万年以上前のものとする調査結果を、同国やオーストラリア・グリフィス大の研究チームが7日付英科学誌ネイチャー電子版で発表した。チームは「動物などを描いた具象画としては世界最古」としている。
チームは今回の壁画を、現生人類が欧州で残した最も古い洞窟の壁画とほぼ同時期とみている。単純な絵ではなく具体的な描き方をしていると強調している。
洞窟の絵などは欧州が中心となって発展したと考えられてきたが、チームは「遠く離れた欧州とインドネシアで、ほぼ同時期に生まれた」とみている。(共同)
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かつて文字情報論の教師でもあった私は、ホモサピエンス・ホモサピエンスの言語や文字の発生分化伝搬の系統図を作成しようと悪戦苦闘した経験から、私は、この記事を見て、記事に書かれているほど事態は小さなことではなく、大きな事象が針先ほどの小さな穴からほんの少し垣間見えたものだろうと推測しました。
スンダランド(現在のタイ~フィリピン~インドネシア~スマトラが地続きの大陸だった)の文明は、9万~7万年前くらいから始まっています。先行する中東の文明(南セム)が野蛮な北セムに追われて(*)、逃げだした者の半数近くが海岸回りとヒマラヤ北方揚子江流域回りの2大経路をたどってユーラシア大陸の東の葉てにたどり着いて生れたのがスンダランドの文明(古モンゴロイドの文明)と考えられます。
スンダランドはタロイモ(里芋の原種に近い食用になる芋)の茂る豊かな土地で、たくさんの人々が生存することができました。後代の人が思い描くほどの輝かしい文明だったかどうかは定かではありませんが、たくさんの人が一定の地域に密集して生活すれば、摩擦やもめ事をさばいたり、トラブルを避けるための共通の観念(宗教のようなもの)が必要だったに違いありません。地域の指導者が生まれ、祈祷師や預言者のような聖職者もいたかもしれません。先行する中東60~70万年の文化の記憶もスンダランドには持ち込まれたでしょうから、一定の知的水準の高みからここの文明は進化したに違いありません。
たとえば、私が見るところ文字の発明はこの地で行われて世界に伝搬したと推測されるのです。象形文字が中東やヨーロッパで見つかるのは高々数千年前からです。スンダランドから中東やヨーロッパに至る中継地点である長江文明では、すでに1万年前前後に象形文字が見られます。長江文明の担い手は現在の中国人=漢民族ではなく、先住民族=猫族で、猫族はスンダランドに発する古モンゴロイドの一分派です。象形文字は、スンダランドに生まれて、その後、スンダランドが水没に直面したのち、これを逆向きにたどる文明の逆伝搬の奔流が起こって揚子江文明(=長江文明)を興しながら中東・エジプト・ヨーロッパおよびインダス文明に象形文字もたらすことになったというのが私の仮説です。
このようなことが起こるためには、中東・エジプト・インダスなどとスンダランドの間の道には、もともと双方向の行き来、つまり下りも上りもあったと考えるべきで、各文明は9万~7万年前の昔から交流があったと考えるべきであると私は思います。スンダランドの人々は中東からの来し方の道を忘れていたわけではなく、南回りも北回りも交易と姻戚関係を通じて脈々とインダスや中東につながっていたに違いありません。スンダランドの水没と言う一大危機に瀕して、このルートは民族の大移動の経路として大いに活用されたに違いありません。
今回のインドネシアの研究発表はスンダランド古代史の針の先の一点にすぎません。水没したスンダランドの人々の生活と文化、社会の構造などの全容が現れてくるきっかけの一つになってほしいところです。全体解明はまだはるかに先のことでしょうが、この先何が出てくるか、楽しみです。
単なるトピックで終わらせてほしくない知見だと私は思います。

(*)逃げ出した南セムの人々は、いったん南に逃げて、東進して東のスンダランドに向かった人たち(後の古モンゴロイド)、アラビア半島の北半分のあたりですぐに反時計回りに展開してコーカサス地方に向かった人たち(後のコーカソイド)、シナイ半島を通ってアフリカに入った現アフリカーナ、シナイ半島のあたりで時計回りに展開してギリシアと地中海沿岸に海洋民族としてしばらく滞留したのち、クロマニヨン(現ヨーロッパ人)に追い立てられてジブラルタル海峡の近くの海岸線とカナリア諸島に追い詰められた人々(現バスク人の源流)からなっています。南セムの地にそのまま残った人々も多く、北セムの人々との長い抗争を続けます。
北セムのとりわけ戦闘的な民族がアーリア民族でその後継者であるバイキングを含めれば長い歴史を超えて広域を征服してゆきました。アーリア人は地上の肥沃な温暖地帯をほぼすべて征服し、南セム系の人種と民族は地球の酷寒の地か病原菌の多い亜熱帯~熱帯の地域に押しやられて生きてきました。温暖の地で比較的平穏に生きてきた南セムの子孫はユーラシア大陸の東のはずれの小さな島々で暮らす日本人と西のはずれの島々に暮らすカナリア諸島の人々くらいです。その他の南セム系の人々はおおむね戦乱に踏みにじられながら、転々と生き延びている方たちです。
とはいえ、多くの地域では、多様な民族と人種がまだらに混在し、混血し、多様化と均質化の両極の間を揺れ動きながら協調して生活しており、人間はこれからもこれらのバランスを取り続ける必要があると思います。

琵琶


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