2018/12/15
飯箸の発表「問題解決の方法(推論の方法)」-第80回SH情報文化研究会--感性的研究生活(135)
ミニシリーズ「第80回SH情報文化研究会」
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<1>概要-第80回SH情報文化研究会
<2>飯箸の発表「問題解決の方法(推論の方法)」-第80回SH情報文化研究会
<3>余話「螺鈿細工(らでんざいく)の山分け」-第80回SH情報文化研究会
<4>情報交換会-第80回SH情報文化研究会
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12月9日(日)第80回SH情報文化研究会が開かれました。
12月9日(2018年)に開催された第80回SH情報文化研究会で行った私の発表を幾分補足を加えながら、実況放送風に解説してまいります。
まず、小雨降る中お集まりいただいた皆様に感謝いたします。この中には遠くは仙台からいらした方もいらっしゃいます。同じ関東圏とは言え、大船から松戸の会場までいらした方もいらっしゃいます。
私の次には、メインゲストの中村向葵里ちゃん(5歳)の発表も控えていますから、向葵里ちゃんの発表時間を圧迫しないよう、短めにお話をさせていただきます。
1.発表タイトル(スライド1)
スライド1「創造力の作り方4: 問題解決の方法(推論の方法)」
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さて、1枚目のスライドは、私の発表のタイトルが表示されています。今回は「問題解決の方法(推論の方法)」としております。これは昨年末から開始した「創造力の作り方」講演シリーズの第4回目に相当いたします。
ご承知の通り、私は脳科学者でも心理学者でもなく人工知能(AI)の分野の技術者です。人工知能の立場から、ヒトの脳の働きを仮説検証風に説明させていただきます。
ここで、まず次の画面をご覧ください。
補足スライド①「人工知能システムの基本形」
(飯箸泰宏, 2018.08.02 第50回日本医学教育学会大会プレコングレス「AIへの基本的理解」, p.6)
<クリックすると拡大します>
この画面は私が「第50回医学教育学会プレコングレス」で使用したスライドの一枚(当時の資料のスライド番号6)です。
人工知能の世界では、現段階の人工知能システムをおおむね「推論エンジン」と「知識ベース」の二つから構成されていて、その前後に「U/I(ユーザインターフェイス)」と「知識獲得部」があると考えています。
2016年に「知識獲得部」の研究が開花して人工知能の認知度が大幅に向上しました。これが第三次ブームと言われるものの実体ですが、「知識獲得部」さえあれば「推論エンジン」や「知識ベース」、「U/I(ユーザインターフェイス)」が必要がなくなったのかと言えばさにあらず。私は、これらが相変わらず重要であることを主張してきました。
「創造力の作り方3--知識の構造」で詳しく述べた「知識の構造」では、人工知能の「知識ベース」がヒトの脳のどこに該当するのかを比定しながら解説させていただきました。
今回の「創造力の作り方4--問題解決の方法(推論の方法)」では、人工知能でいう「推論エンジン」がヒトの「問題解決の方法(推論の方法)」のモデルであるとみなして説明をさせていだきます。(*)
次のスライドでは、「推論エンジン」はヒトの脳のどの部位で主に稼働しているのかを説明いたします。
(*)ここで大事な言い訳をさせていただきます。「創造力の作り方」講演シリーズでお話しさせていただいている内容は、これまでも断片的にあちこちでお話ししてきたことが基になっていますが、通観して整合性のある統一観念にし切れてこなかった弱みを内包しています。そのため、シリーズを進めるにつれてあれもこれも考えが足りていないと口惜しく情けない思いをすることがしばしばです。前回までにお話しした内容や図表が新しい講演では改訂を余儀なくされている箇所が複数個所出現してしまうのが実情です。「以前の話と違うじゃないか」とご不満を感じられる方も少なくないと思いますが、少なくとも今が考えられかぎり最高に詰めた状態です。過去のお話しした内容や図表は断りなく改訂されているという点にご理解とご容赦をお願い申し上げます。万一、この連続講演が一段落した暁にその記録を1つの文書またはファイルにまとめる機会がありましたら、各回相互にある齟齬・矛盾を統一して整合性のあるものにしたいと思います。もとより私は不完全を絵にかいたような人間です。私の不完全性をなにとぞお許しいただければ幸いです。(言い訳、終わり)
2.ヒトの脳とヒトの知性
補足スライド②「ヒトの脳とヒトの知性」
(当日は時間の都合上割愛した図)
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人工知能の基本構成の各要素が脳のどこにあるのかがこの図でお分かりいただけるものと思います。
1)前頭葉前頭前野部
本日、主にお話ししたい「探索や推論」を用いた「解法(=問題解決法)」が主として行われる場所も書き込んであります。それは前頭前野部です。前頭前野部は前頭葉の前半分にあります。
ここは、ヒトとしてどうあるべきかを考えたり家族や所属組織における人間関係をおもんばかる(斟酌、忖度、、、)ことができる能力も持っていますが、それらの配慮の上で、目的に合う戦略を戦術を組み立てることになります。
2)手続き型解法(探索と推論)
戦略と戦術についての既存知識は、主として手続き型知識構造の形で運動野(+頭頂葉)にありますから、当面する現実と照らし合わせながらまずは運動野(+頭頂葉)の中を探索し目的に役立ちそうな知識を探し出します。目の当たりにしている現実を想定に取り入れてシミュレーション(仮想実験)をすることが推論という作業になります。次項で取り上げる「(2)主な手続き型解法(探索と推論)」がこれに該当します。
3)宣言型解法(探索と推論)
運動野(+頭頂葉)にある「手続き型知識構造の知識」が物足りない場合は、側頭葉(+頭頂葉)宣言型の知識構造の知識にさかのぼって、探索し同様にシミュレーション(推論)します。次項で取り上げる「(1)主な宣言型解法(探索と推論)」がこれに該当します。
4)知識構造の革新(創造)が起きる
このときにはいろいろなことが同時に発生いたします。
目の当たりにしている現実に照らすと多くの場合は既存の手続き型知識が不満足で直面している現実から新しい知識を採り入れたりここにつながる新らしい情報の収集を進めて新たに作り直すか少なくとも修正が必要になります。
知識の再構築はとりもなおさず創造活動ですから、目的に沿って行動を起こそうとする際の探索推論活動は大いに創造活動を誘発いたします。
考えの浅い人は、手続き型知識だけを手直したり新たに作ったりしてことを済ませようとしますが、たいていは失敗したり、成功したとしても1度かぎりの成功で、二度目は以降は失敗します。
手続き型知識は宣言型知識と結びついて構成されていますから、既存の宣言型知識に戻って宣言型知識の中で(おおむね)矛盾のないように作り直したり修正したりする必要があります。場合によっては手続き型知識を手直ししたいと願ったのにそこにつながる宣言型知識の中では明白な矛盾が生じてしまうことが発見されたりもします。その現象は願った手続き型知識がそもそも無理すじとであることを示しているかもしれません。深くものを考えるということは手続き型の知識だけではなくこれにつながる宣言型の知識も十分に点検するということなのです。
前頭前野部は大脳皮質の他の部位に対する司令塔です。司令塔の命令が下ると運動野(+頭頂葉)では新しい手続き型の知識が誕生したり、既存の手続き型の知識が大きく変更されたりしますが、これに伴って側頭葉(+頭頂葉)でも宣言型の知識が新しく誕生したり、既存知識が大きく変更されたりします。
5)「創造力の母」と「創造力の父」
ヒトの活動における目的設定は前頭前野と深くかかわりながら生命維持に最も深くかかわる脳幹や大脳辺縁系や旧皮質などが総動員されていると想像いたします。脳幹や大脳辺縁系や旧皮質(+前頭前野部)などを「創造活動の母(母体)」とすると、前頭前野部が創造活動を掻き立てる厳しい「創造力の父」ということができるのではないでしょうか。前頭前野部は、運動野(+頭頂葉)と側頭葉(+頭頂葉)に対する主導権を握って、知恵を出せと要求し、現実に合わないふがいない知識しか出せなかったら、やり直せと命ずる役目を持っています。
・創造力の母
脳幹や大脳辺縁系や旧皮質などから前頭前野部に働きかける熱い思いこそ、創造力の母となります。
・創造力の父
前頭前野部が、主導権を握って、運動野(+頭頂葉)と側頭葉(+頭頂葉)に改革を要求して叱咤激励することは創造力の父と言ってよいと思います。
何事も、父と母または父や母に変わる養父母がいて、心の発展は強化されます。
3.自己紹介(スライド2)
スライド2「飯箸の自己紹介」
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遅ればせながら、こちらは私の自己紹介です。
ここに来られている方は、ほとんど私のことはご存知でしょうし、時間の不足がちですので、口頭での説明は省かせていただきます。必要に応じて画像をクリックして拡大してご覧いただければ幸いです。
4.目次(スライド3)
スライド3「目次」
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こちらは「目次」です。必要方は画像をクリックして拡大してご覧ください。このような内容をこの順にお話しする予定です。
5.何かが足りない?--日本だけ賃金が下がっている(スライド4)
スライド4「何かが足りない?: (1)日本だけ賃金が下がっている」
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突然異なる話題で恐縮ですが、上記のグラフをご覧ください。
本筋とは無関係ですが、OECDの統計データから作成されたOECD主要国の賃金の推移です。
ここに表示されている賃金は物価等の推移を考慮したいわば「実質賃金」です。2000年の各国の賃金をそれぞれ100とみなして、その後の賃金を100に対して??倍になったかを示しています。
OECD主要各国の賃金は軒並み上昇していますが、日本はほぼ100のまま、その前後で上下しています。というよりもほぼ下回った位置を徘徊しているという風情です。結果として昨年(2017年)の実績で、99.7%と100を下回っています。現政権下では賃金上昇が著しいと声高に解説する人もいますが、実態は少なくとも実質賃金の上昇はなかったということになります。
そこで、大木したいと思います。日本の皆さん、日本を変えてゆく必要をお感じではありませんか?
賃金上昇がある社会にするためには社会も変えなければならないでしょうし、経済も変えなければなりません。技術の革新も必要です。
日本の皆さん、日本に創造力はいりませんか?
創造力なしに社会や経済や技術を確信してゆくことができるでしょうか。
日本の皆さん、「創造力の作り方」を総力を挙げて普及いたしましょう。
6.「情報収集」と「戦略戦術」を別角度から見る(スライド5)
スライド5「何かが足りない?: (2)「情報収集」と「戦略戦術」を別角度から見る」
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1)生存活動サイクル
これは、この講演シリーズの第1回目以来たびたび取り上げている「生存活動サイクル」の図です。
2)「目的意識」と「情報収集」と「戦略戦術の構築」
目的意識をもって行動を開始しようとすれば、「情報収集」と「戦略戦術の構築」がすぐに必要になります。問題の解法(推論と探索)を得るということは「情報収集」と「戦略戦術の構築」を別角度からみていることにもなります。
「問題の解法(推論と探索)」は、「情報収集」と「戦略戦術の構築」の中だけに閉じ込められているわけではなく、「問題設定をして」「実行して」「結果を観察して」「次の行うべきところを仮設する」などの一連のサイクリックな行動実戦(全部を大きく回るばかりではなく、どんな途中でも小さく回ることができる)際にも「情報収集」と「戦略戦術の構築」は不断に行われているということは忘れるべきではないと思います。
3)足りない情報はどこから採るか
ところで、情報収集はすでに自分の頭にある知識の中から必要な知識を取り出すだけで足りるでしょうか。足りませんね~。他の優れた先達・先輩・書籍・ネット情報・論文・雑誌・新聞・マスコミなどから得られるものだけで足りるでしょうか。御用学者さんの多くはこれで足りると強弁するでしょう。そうしておけば、学者以外から知識を得る必要がないことになって、学者の地位は不動だからです。
しかし、それはとんでもないのです。どんな学者であろうが現場の知識は現場の職人に適わないのです。現場の職人は現場の実際から日々・刻々新しい情報を手に入れ、知識に加えています。職人ばかりではなく、一般に、ヒトは、イキイキと生きている限り、生身の現実から無限の知識を日々・刻々手に入れています。学者も生身の現実から(実験や調査などで)知識を獲得しますが、学者だけの専売特許ではないのです。市井の人の数に比べて学者の数は限られています。学者が束になってもやれることは限られています。市井の人々が日夜手に入れている知識を総合すれば、学者の知識の総和よりもはるかに大きくなるはずです。
4)探索と推論(問題の解法)の能力は創造力を強化する
そのように私たちの周囲の外界から私たちが豊富な知識を手に入れるためには、「問題の解法(推論と探索)」が必要であり、わたくしたちに備わっているその能力は、創造力発揮のための大きな力になってゆきます。
7.知識(論理)の構造例--復習: (1)宣言型の例(スライド6)
スライド6「知識(論理)の構造例: 復習 (1)宣言型の例」
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前回の「創造力の作り方3」の復習です。ここには宣言型知識構造のパターンを3つ描いてあります。これらの知識は側頭葉と頭頂葉の協調動作で構成保守維持されるものです。あくまでもサンプルとご理解ください。
ここに取り上げた知識構造はつぎの3つです。
①カテゴリー化知識構造: 単位知識(事物と属性と名前の3つまたは2つまたは1つをもつもの)をベースに抽象化の階段を上って具象化の階段を降りるメタ知識構造。
②逐次型知識構造: 単位知識(事物と属性と名前の3つまたは2つまたは1つをもつもの)をベースに生起または認知した順に逐次的に記憶される知識で、それらのインデックスを高次水準で統合貸してゆくメタ知識構造。
③建造型知識構造: 事物を実際または仮想的に分解し、共通部品でくくる物づくり型の知識構造。
ここに取り上げた宣言型の知識構造はたった3つだけですが、宣言型の知識構造にはまだまだたくさんあることは忘れてはいけません。
8.知識(論理)の構造例--復習: (2)手続き型の例(スライド7)
スライド7「知識(論理)の構造例: 復習 (2)手続き型の例」
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こちらも復習です。手続き型の知識のサンプルです。ここには、予期駆動型知識構造、プロダクション型知識構造。ディープラーニング型知識構造を取り上げました。これらも手続き型知識構造のすべてを尽くすものではなくたくさんある手続き型知識構造の内のサンプルにすぎないとお考えください。これらの知識構造体は、主として、運動野と頭頂葉の協調活動で生成保守維持されているものと思われます。
①予期駆動型知識構造 宣言型知識の中の建造型知識構造と対応するもので、物づくりの手順や戦略戦術が格納されるものです。
②プロダクション型知識構造 宣言型知識の中のカテゴリー化知識構造および逐次型知識構造に対応するものでです。
③ディープラーニング型知識構造 こちらは小脳などから知識を反映するものです。
ここに取り上げた手続き型の知識構造はたった3つだけですが、手続き型の知識構造にはまだまだたくさんあることは忘れてはいけません。
9.解法(探索と推論)について(スライド8)
スライド8「解法(探索と推論)の解説」
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本日のメインテーマは「解法(探索と推論)」です。
この図に示したように、解法(探索と推論)には大別して、宣言型と手続き型に分かれます。主に宣言型の知識を活用するものと主として手続き型の知識を活用するものという意味になります。
それぞれの中にも多様な解法(探索と推論)があります。それぞれの多様な知識構造に対応する解法(探索と推論)です。個別の解法(探索と推論)はたくさんありますが、大別すると宣言型と手続き型それぞれが3つに分かれます。
①論理解法 ヒトの知識の中だけで解が得られる場合(*)
②経験的解法 未知の現実と既存知識を組み合わせて行われる解法
③体感的解法 未知の現実を五感で感じつつ既存知識に頼らずに行う解法
(*)かつては「ヒトの閉じた精選された特定知識の中だけを探索し推論すれば解が得られる」と考えられていましたが、「(ヒトの閉じた精選された特定知識の中だけで解が得られるように思うのは、そんな気がするというだけで実はそうでもない)解法」という意味になっています。
「気がするだけで実はそうでもない」とは、たとえば、数学の定理の証明のような問題であっも、実際にコンピュータにやらせてみると「ヒトの数学的知識の中だけで解が得られる」のは幻影で、実際は、「よって、××」または「△△は自明である」などとされる推定部分の随所に、ヒトが持っている膨大な常識的な知識を活用しなければならないという現実に遭遇してしまうことではっきりしてしまいました。
膨大な常識的な知識は、実際のところ現実生活の中でヒトが体得するものであり、閉じた精選された特定知識からいつもははみ出しており、また厳密に断定できるような知識というよりは、不完全だが真実に近いかもしれないという「経験的知識(ヒューリスティック)」がほとんどを占めています。
その点では①論理解法とはいうもののそれは②経験的解法に良く似通っているのです。それでも「論理解法」が特別視されるのは、この解法に分類される方法は不確実性が少なくてが適用される場合は「精選された特定知識の中だけで解が得られる」と勘違いできるくらいに、間違いが少なくて、スピーディに解が得られるものに限定されているからです。
10.解法と論理、その相似(スライド9)
スライド9「解法と論理、その相似」
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こちらのスライドをご覧ください。
左側は、解法(探索と推論)の種類をまとめてやや詳しく書いたもの、右側が論理(知識)の種類をまとめてやや詳しく書いたものです。
ヒトは、ものごとを「存在とその運動」あるいは「事物とその属性」「論理とその応用」などのように分けて考えると考えやすいものです。このスライドの左側の「解法」と右側の「論理」を人工知能の世界では、「推論エンジン」と「知識ベース」と呼んで区別します。
別の見方をすると、左側の「解法」は「(A) Nutzung(活用)」と「(B)Sein(実体)」と言い換えてもよいかもしれません。
11.Sein=論理=知識ベース(スライド10)
スライド10「Sein=論理=知識ベース」
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1)概要
このスライドは、直前のスライドの右半部を拡大したものです。
ここには、「Sein=論理=知識ベース」の部分が大きく示されています。
一番下には「感覚的記憶/ワーキングメモリ etc.」と書かれていて、一番上には「予期駆動フレーム」と「建造型知識構造」が書かれています。「予期駆動フレーム」の列には手続き型の知識構造の数々が書かれていて、「建造型知識構造」の列には宣言型の知識構造の数々が書かれています。
手続き型の知識構造は運動野(+頭頂葉)に、宣言型の知識構造は側頭葉(+頭頂葉)に構成されます。
2)相互影響関係
ここに挙げられているような知識構造を持つ知識構造体は、それぞれがその中だけで閉じている孤立系ではなく、他の知識構造体の内容を絶えず参照して整合性と正しさを維持しようとしています。ここでは循環する破線でその様子を示しましたが、大きく循環するだけではなく、多対多の相互影響関係を作り上げていると考えるべきです。しかも、その相互影響関係は、手続き型知識構造グループ内、宣言型知識構造グループ内にドジ込められているのではなく、手続き型知識構造体と宣言型知識構造体の相互でも起こっていると考えるべきです。
3)「思いを巡らす」とは
どこか一つの知識構造体で知識の破綻が発覚して再構築が始まったり、まったく新しい知識が取り込まれて追加されたりするとそれに関連する全ての知識が再点検されて破棄されたり修正されたり追加されたりしてゆきます。ヒトが思いを巡らすという現象がこれに該当します。
4)若者と年寄りの違い
一般に若いヒトはこの思いをめぐらすスピードが早く、たちまち一巡してしまいますが、残念なことに私くらいの年寄りになるとその速度が目に見えて衰えます。私よりも10年ほど年長のご先輩は、「な~に。若い奴らはもっている知識が少ないから点検修正に時間はいらないのさ。我々年寄りは元々持っている知識の量が多いので、一巡するまでに時間がかかって当然じゃないか」とおっしゃっていましたが、そんな要素もあるかもしれませんが、悔しいことに、そればかりとは言えないように私には思えます。
12.Nutung=解法=探索と推論(スライド11)
スライド11「Nutung=解法=探索と推論」
<クリックすると拡大します>
1)概要
こちらのスライドは知識の応用(Nutung=解法=探索と推論)部分を拡大した図です。
2)解法の相互影響関係
「Nutung=解法=探索と推論」は前頭前野部で行われます。この働きは既存の知識を参照しながらおこなわれますから、既存の知識構造と一対一に分類が可能です。しかし、こちらもそれぞれの分類の中だけに閉じ込められているのではなく、前頭前野部は様々な解法の長所欠点を比較して最適な解法を選択したり、改変を加えて新しい解法を編み出そうとします。「Sein=論理=知識ベース」の相互影響関係とは少し異なりますが、互いに比べては改善する相互影響関係が存在しています。
3)解法と論理(知識ベース)の相互影響関係
手続き型解法のグルーブ内と宣言型解法のグルーブ内だけの相互影響関係だけではなくグルーブの区分を超えての影響関係も生じます。
4)創造力の「父」の剛腕
さらにドラスティックな変化が起きるのは、手続き型知識である運動野(+頭頂葉)の既存の知識(戦略戦術書のようなもの)や宣言型知識である側頭葉(+頭頂葉)の既存の知識(百科事典のようなもの)では前頭前野部が不満であった場合です。一般的に、前頭前野部は他の新皮質に対する司令塔の役割を果たします。この場合は、創造力の「父」として、新たな知識を取り入れることを命じたり、既存知識を破壊して作りなおさせようとしたり、まったく新しい知識の集大成を求めたりするのです。結果として、とりもなおさず創造性を前頭前野が運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)に命じて、それを実行することになるのです。このとき、その命令に耐えて前頭前野が満足するように知識の構造を作り直すことができれば、その人は創造力を首尾よく発揮できたということになります。
5)創造力を鍛える
お若い方たちに、ぜひとも脳の活性が高いうちにたくさんのことに挑戦してその都度発見されるだろう持てる知識の脆弱性を発見して再構成するチャンスを極限にまで高めていただきたいと思います。こうして再構成のチャンスに恵まれれば、思いめぐらせることも多くなり、画期的な新たな発想に到達する可能性が高まります。それはあなたが創造力を獲得ことにほかなりません。
13.解法と論理のヒエラルキー(スライド12)
スライド12「解法と論理のヒエラルキー」
<クリックすると拡大します>
1)論理解法がすべてか?
解法(探索と推論)の話題となると老化した一般の方ばかりではなく、頭の古い御用学者の皆さんは、論理解法がすべてと思い込んでかかってくる傾向があります。
あっ、会場の皆さんは違いますよ。5歳から60歳未満の若い方が多いですし、60歳を超えていても実年齢はともかく精神年齢の若い方ばかりなので、そのような方はいないと思います。
実際、論理解法は意識に上りやすいので、それにしか気づかない方がいるのですね。ヒトとしてのセンサーが弱い方なのでしょう。
2)外界依存型知識と内外界相補的知識
既存知識が全くない事実に遭遇して、それを捉えるのはヒトの五感(とその延長上のセンサー機器)だけが頼りです。
たとえば、明かりのない洞窟の中に閉じ込められて2か目、お腹がすいてきました。足元を流れる水を飲もうとその中に手を入れるとヌルリとした何かがあったしましょう。「生き物? しかし、動かないぞ、何だろう? 食べられるものだったらいいのに・・・」さらに手探りでこれを拾い上げると小石くらいの大きさで周囲をコケが覆っているらしいと分かります。「なんだ。石ころかな、石ころでは食べられないな」・・・。
ここにかかわる知識獲得はまずは外界依存型にならざるを得ませんが、何か手がかり(石かな?)がつかめれば既存の知識もフル動員するのがヒトというものです。せっぱつまっていればただちに内外界相補的知識に向かいます。
一方、ヒトはいつもせっぱつまっているわけではありませんから、漫然と外界を眺めて、聞いて、味わって、嗅いで、触っているだけで済ませているものがたくさんあるはずです。「毎日見ていたのに気が付かなかった」という体験は日常茶飯事ではないでしょうか。その結果「気が付いてみると、そうか、半年前からここにあったね」と記憶(知識)にも保存されていることにも気が付きます。気が付かなくとも知識として蓄えられている無意識の知識(外界依存型)の知識は膨大に存在するということです。
3)体感的解法と経験的解法
閉じ込められた洞窟の中でお腹がすいてきたら深刻です。生命の危機に直結していますから、せっぱつまってきますね。解法("お腹すいた。食べたい" の解を見つける)で言えば、そのとき持てる知識の中に解はありません。頼りになるのは体感的解法以外にありません。いささか自暴自棄になって近くの岩壁に手にした石くれらしいものを叩きつけてみると、案外簡単に割れて、中から水分とともに何やら柔らかいものが出てきたとしましょう。「貝だろうか?」と経験的知識が(側頭葉から)引き出されてきました。その柔らかいものを口に入れてみると魚介類に固有のにおいと味が口の中に広がります。「もしかすると自分は助かるしれない」と希望が膨らんできます。
4)論理的解法と経験的解法と体感的解法のボリューム比較
論理的解法の土台には経験的解法が広がっており、経験的解法の裾野には体感的解法が広大に広がっているのです。
正確に測ったヒトはいないでしょうが、私の体感的(?!)には「論理的解法」は全体の解法の中ではごく一部、体感的解法は膨大で、経験的解法はその中間のように思われます。
5)むさくるしい派とすっきり派
人工知能の父「マービン・ミンスキー」は、論理的解法にだけ頼ろうとする人々をさして「むさくるしい派の失敗」と言い、論理的解法だけではなく経験的解法などを取り入れようとしている自分やその仲間を「すっきり派」と呼びました。
論理的解法だけですべてを理解しようとすると、髪を振り乱して、無精ひげの手入れもできず、むさくるしい格好になっても答えが出ない、ひどい風体の集団になるという痛烈な揶揄でした。自分やその仲間は論理的解法だけではなく経験的解法などを取り入れて、知識のデータベース(知識ベース)を作って、これを対象に推論エンジンが推論と探索を行えば楽々と解を得ることができるという勝利宣言でもありました。
論理的解法にだけ頼ろうとするヒト(御用学者など)は、いわばこの「むさくるしい派」に属するわけで、経験的解法や体感的解法をも自由闊達に利用する「すっきり派」の実務家や職人にいつも負けているのです。論理的解法にだけ頼る悲しい人種たちは、たいてい意味もなく威張り腐っていますが、実務家や職人からはたいていは内心バカにされているものなのです。
14.解法と知識: (1)解法と知識の違い(スライド13)
スライド13「解法と知識: (1)解法と知識の違い」
<クリックすると拡大します>
こちらのスライドには、「解法と知識の違い」をまとめてみたつもりです。見直してみると、まとめ方が上手ではなかったかもしれません。
言いたかったのは、次の区別です。
解法・・・既知の知識の中だけを探索し、推論する場合もあるが、ごくまれである。
既存の知識がない場合や不足している場合にも解法(探索と推論)は実行される。
解法は多くの場合、未知の外界を想定して行われる。
知識・・・知識には、外界が含まれない。今は既知の知識しかないが、時々刻々と未知の知
識が次々に既知となり既知の知識に参加してくることをヒトは熟知している。
未知の知識はないが、未知が時々刻々既知になることをヒトは知っている。
スライドには次のように書きました。
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(A) 解法(探索や推論)は、次の三通りがある。
①既知の知識の中だけを探索し、推論する。
(立ち止まって考える)
②未知の外界に遭遇し、手探りだけで解を探索して推論する。
(走りながら考える-その1-)
③未知の外界に遭遇し、既知の知識と組み合わせて推論する。
(走りながら考える-その2-)
新規に獲得した単位知識が(既知の) 知識の構造に関連付けられれば納得し、矛盾し
たり無関係だった場合は納得し難く感ずる。
(B) 知識には、外界が含まれない。外界に対する解釈が含まれる。
a.知の断片や構造物を各自が再構造化して保持しているもの。
b.それらは、探索と推論から得られたり、歴史的知の成果から得られたりする。
c.知識は外界との照合によって絶えず較正される。
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15.解法と知識: (2)解法⇔知識サイクル(スライド14)
スライド14「解法と知識: (2)解法⇔知識サイクル」
<クリックするとが拡大します>
1)解法と知識の相互影響関係
最適な解法への希求は、知識の再構築を促し、知識の整備は開放の選択肢の幅を広げます。
「解法」と「知識」は相互影響関係で強固に結び付けられています。特に最適な解法を素早く見つける能力はヒト(およびすべての生物)の生存にかかわる最優先事項です。したがって、解法が満足のゆくものでなかったら、前頭前野は運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)の再構築をぎりぎりまで要求します。
2)「創造力の父」前頭前野部の暴走
この再構築要求に運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)が耐えられなかったりすると、ヒトの精神に破綻をもたらすこともあります。それでも前頭前野部は暴走し続けることがあります。
長じてからいきなり大きな課題に取り組んでこのようないわば暴力的な「創造力の父」の横暴にさらされると多くの人は大抵滅入ってしまいます。むしろ、小さな時から前頭前野部の暴走に親しんで、その勢いに乗って創造活動に没頭したり、行き過ぎたら暴走を制御したりすることに慣れていれば、「生存活動サイクル」を円滑に走り続けることができるでしょう。
3)小さいころの自発的問題解決活動(探索と推論)の勧めと注意
小さいころから、自分で小さな目的を設定して探索と推論に熱中する経験をすることは大事です。もちろん、適切に相談に乗ってあげ、外傷や心の傷に至らないように周囲の大人は十分な見守りが必要です。
4)長じてからの問題解決活動(探索と推論)の場合の注意
もし、長じて初めて大きな目的を与えられたり、自分で設定することになったら、世慣れた先達(十分な経験者)の指導の下に取り組むことが大切だろうと思います。大きな目的を小さな目的にブレークダウンするのも経験者の手助けがあるかないかで、その心の負担は大きく異なります。
5)ヒトはいくつになっても不足を補うことができる
「小さいころだけが大事で5歳を過ぎてからでは手遅れだ」という人がたまにいますが、それは言い過ぎです。ヒトはいくつになっても足りなかった過去の経験を補うことができるのです(この信念なくして教師はやれませんよ、、、)。
次のスライドでは解法の例を取り上げます。
これまで、論理解法とか経験的解法とか、「むさくるしい派」と「すっきり派」のお話をしてきました。
これからの数枚のスライドでは、実際の解法の例を取り上げて、説明したいと思います
16.解法の例: (1)ランダム探索の例(スライド15)
スライド15「解法の例: (1)ランダム探索の例」
<クリックすると拡大します>
1)スライドの図について
このスライドの図は、古い講義ノートに残されていた私のポンチ絵です。
マイクロマウスの迷路問題の解説に使っていました。
この図は、長方形の部屋があって、その中にはいくつかの障害物があり、その間が通路になっている迷路問題の図です。
左上隅の s 地点にマウスを置いてみました。ゴール(出口)は、右下の g 地点です。
皆さんもネズミになったつもりで、この迷路の s 地点から g 地点に向かってみてください。障害物の向こう側はネズミさんには見えないものとしますよ。
2)ランダム試行の例
ここには、ランダム試行の例を図に書いてみました。マウスが特定の考えを持たずに通れそうなところはどこにでも行ってみるというやり方で迷路の中を走った軌跡の例が描かれています。未知の迷路に迷い込んだら人間でもあわてますから、こんな動きをするかもしれませんね。同じ道を2度通ったりしていますから、効率は悪いですが、マウスが飢え死にしない限りいずれは出口の g 地点に到達できそうです。そもそも解のない迷路では出られませんが、解があればほぼ(100%という保証はできませんが)出口から外に出ることができそうです。
17.解法の例: (2)系統的探索の例(スライド16)
スライド16「解法の例: (2)系統的探索の例」
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こちらは左手優先を採用した場合の系統的探索の軌跡の例です。
1)洞窟冒険小説と左手優先探索
さて、皆さんは少年少女時代に冒険小説を読まれたことはないでしょうか。洞窟冒険小説の開祖と言われるのが百数十年前に書かれた「トムソーヤの冒険」で、トムは片思いの少女ベッキーをつれて観光用洞窟の中に入りますが、折り悪く迷子になり、暗闇と飢えと戦いながら決死の脱出を図る場面があります。ここでトムは左手で洞窟の岩肌を触って左へ左へと回り込むようにして出口を探す動作が描写されているそうです(私は読みましたが忘れています)。以来、洞窟探検小説と言えば、左手方向を優先して未知の迷路内を探索するのが定番になったと言われています。
まぁ、こんなことは知らなくとも、多くの人は車の来ない通路ならば左側を歩きたがります(少数の方は右側を選びます)。これは多くの人の心臓が左側にあることと関係があるとされる自然な行動(心臓をより安全な位置に置こうとする本能)のようです。日本の道路交通法はこの点で、車に優しくて、ヒトに優しくないですね。
閑話休題、このネズミの迷路ですが、ネズミになったつもりで、この左手優先という原則を採用してみましょう。
2)左手優先探索
左手優先探索の方法は、系統的探索法の一種ですが、迷路の中を進んでゆく際、分岐点にぶつかったら、左を最優先に選択して進むというものです。進んだ先で行きどまりになったら、分岐した元の場所に戻り、次に失敗した選択肢より右側に向かって時計回りにより近い選択肢を選びます。
全ての分岐先が行きどまりだった場合は、それよりもひとつ前の分岐にまで戻って同じ道は通らないように右回りに同じことを繰り返します。
スライドの迷路で言えば、s 点を出発したネズミちゃんは最初の分岐点1でまず左に進めないかどうかを確認して行けないことを確認して、次に前方を見て進めそうなので進んでゆきます。分岐点2でも分岐点1と同じに左には進めないので、前方に進んでゆきます。地点3は行きどまりで分岐点でもないので引き返します。分岐点2に戻ると左手に進めるので左に進んでゆきます。このようなこと補繰り返してゆくと、最終的には g 地点に到着し、外に出ることができます。ランダム試行よりは効率よく外に出られたかもしれませんね。
これが、左手優先探索です。
3)経験的解法、左手優先探索、バックトラック法、系統的探索法
失敗したらひとつ前の分岐に戻るというやり方はバックトラック法と呼ばれるもう少し広い系統的探索法の分類になっています。
系統的探索法とは何かよさそうな一つの原則を決めて、その原則に沿った探索をすることです。何かよさそうな一つの原則とは、論理的または数学的に証明できる原則とは限らず経験的に良さそうと知っている知識が活用されることは少なくありません。
この場合は、左手優先探索という原則がよさそうだという経験的知識が使われていますから経験的解法の一種ということができます。
ちなみに、概念を包含関係で整理すると次の通りです。
・左手優先探索 ⊂ バックトラック法 ⊂ 系統的探索法(※)
・左手優先探索 ⊂ 経験的探索法
※ A ⊂ B <--AはBに含まれる
4)左手優先探索は論理的に正しいか?
左手優先探索は経験的探索ですが、数学的(ここではトポロジー的)に考えてみると、実はあながち間違っていないことが証明できます。
スライドの次に示す迷路のトポロジー的解説図を参照してください。
補足スライド「迷路のトポロジー的解説図」
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入口と出口のある迷路は二次元上の開空間で、その中に障害物の閉空間がいくつか含まれる構造になります。袋小路も空間のゆがみにすぎませんから、へこませてまっすぐにして等価な空間に変形することが可能です。こうしてみれば、迷路内の内壁(外線の内側)を右回りであれ左回りであれ一定方向にたどってゆけば必ず開口部にたどり着けることは自明(※)です。
※厳密にいうと、ここが経験的知識。「自明」とは実は数学的な証明をしないことを
意味しています。
こう考えると、左手優先探索の原則はトポロジー的にも間違っていなかったということになります。数学者や物理学者はこのように経験的知識を対象に論理解を探したり因果律を見つけようとしたりしている人たちということもできますが、この方たちは経験が足らなくて経験的知識という研究ネタにありつけていない人たちが多く、ネタ探しに苦労している方が多いのも事実です。
私のように経験的知識をあふれるほど持つヒト(職人)はネタに困ることなどありません。(笑)
18.解法の例: (3)解には迷路の知識が必要か(スライド17)
スライド17「解法の例: (3)解には迷路の知識が必要か」
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ここで、ふたたび、日本の一部の御用AI学者の方々を取り上げることにいたします。
一部の御用AI学者は「人は、問題に対する正確な知識があることを前提としない限り正しい解が見つからない」と主張します。
たとえば、この迷路はネズミは知らないが、出題者は知っているので、 「人は、知識があることを前提としない限り解法は見つからない」と勘違いしているようなのです。「出題者なら解答できるが受験者は間違って当然」というようなもので、出来の悪い大学入試問題と同じだと思っている節があります。現実の問題は、試験問題とは違って、誰かがこしらえるのではなく、予期せぬ形で私たちの前に立ちはだかるのです。
さて、迷路の形をあらかじめ教えていないネズミを s 地点に放っても、このくらいの迷路ならば少なくともランダム試行ですぐに脱出してしまうことでしょうね。ネズミにできて、ヒトにできないとはおかしくないでしょうか。「ネズミは迷路についての前提知識がなくても解があればその解をおおむね得てしまう」のです。
2)日本の「むさくるしい派」について
ここで、お気づきと思いますが、日本の一部の御用AI学者は、「論理解法」一本やりでミンスキーらに敗れた「むさくるしい派」に毒されたままという事態になっているという現実があるのです。「すっきり派」ミンスキーらが歴史的勝利を収めた背景にあるのは「求るべきは厳密解ではない、実用に耐えるだけの確からしさがあれば十分な解と認めるべきである」という考えです。そもそも現実の出来事で、ペーパーテストの出題官でもあるまいに困難な問題の全体があらかじめ詳細にわかっているなどということがあり得るでしょうか。たいていの場合は問題の全貌が全く分からないか、あってもわずかな手がかりしかないのが普通です。ヒトは五里霧中であれであれば手探りで状況の把握に努め、わずかな手掛かりがあれば、そこを起点に推論を巡せて解を得ようと努力し、その果てにたいていは成功を収めているのです。ヒトは失敗もしますが、失敗の過程でたくさんのことを学んで、次の課題では前回よりはましな解法を手にしていることができるのです。
日本の一部の御用AI学者(むさくるしい派)は厳密解にこだわっていつまでたっても実用的な解でさえ得ることができずに、東大AI受験でさえ敗退してしまったのです。
3)日本のロボット工学に期待する
一方、ロボット工学者は、あらかじめ問題についての知識がなくても、解を見つける方法を当然のように探します。そうしない限り、ロボットは刻々と立ちはだかる予期せぬ事態に対応できません。
机上の空論に終始する一部の御用AI学者さんたちと現実と悪戦苦闘するロボット工学者さんには違いがあるようです。両者の違いは面白いと思っています。
19.解法の例: (4)見知らぬ洞窟に迷い込んだら、、、。(スライド18)
スライド18「解法の例: (4)見知らぬ洞窟に迷い込んだら、、、。」
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こちらのスライドをご覧ください。
1)パラオの洞窟で
これはパラオの洞窟で、日本兵1,000人が命を落としたといわれるところです。今は、現地の観光名所の一つになっているようですが、複雑に分岐した迷路のような洞窟と伝えられます。
ここに「むさくるしい派(論理解法限定派)」の一部の御用AI学者さんたちを時空を超えて突然この洞窟の中のどこかに連れてきたら、「洞窟の詳細な形を教えてくれたら厳密解を出してやる」と言うのでしょうか。そんなことよりも、まずは、周囲を見回して、ランダムに歩き回るか、少しばかり気の利いた人なら 昔読んだ「トムソーヤの冒険」の記憶を頼りに左手を洞窟の岩肌に当てて用心深く歩き始めるのではないでしょうか。
その振る舞いは体感的解法か経験的解法に頼ろうとする人間本来の姿です。
2)ヒトの探索と推論は、体感的または経験的
事前の知識が全くなくとも、ヒトは動けば周囲について何らかの新しい知識を得て、新たに得られた知識を基に次の行動を決定して、何とかこの洞窟から脱出しようとするでしょう。犬の歩けば棒に当たるのです。問題の詳細が分からなくとも、本能が解を求めて探索行動をするような気がします。
ヒトは、決して厳密解だけを求めているのではなく、日常的にはたとえ厳密ではなくとも実用上困らない解を求めて探索し、ある程度確度で正しいと思えば人生のささやかな冒険の小さな一歩を進めるのだと思います。
20.三大推論法、再考(スライド19)
スライド19「三大推論法、再考」
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このスライドでは、よく取り上げられる推論方法を3つ取り上げました。私が述べてきたヒトの解法(探索法、推論法)と関係があるのかないのか、これらは飯箸の説明で納得がゆくものか矛盾しているのかいないのか、本日お聞きの皆さんにはご判断いただけるものと思います。
(1) 演繹推論
「万能」のように吹聴する人もいらっしゃいますが、適用範囲は極めて限定的なのです。
・主として概念の包含関係を利用して、閉じられたヒトの知識空間の中を探索する推論方法
です。
・単位知識の集合論と近い関係にあり、適用できる空間であれば、正確で素早い結論が得
られやすい特徴があります。
概念の包含関係とは、たとえば「犬」の上位概念を「哺乳類」とします。この場合の包含関
係とは "「犬」ならば「哺乳類」(に含まれる)" ということですね。しかし、この包含関係だ
けで、迷路の探索ができるかと言えば飢え死にするまで頑張っても無理でしょう。探索推
論にはこれ以外に多様なものがあるということです。
(2) 帰納推論
「演繹推論」の対偶という説明がよく行われますが、これは誤解です。
実は、多様な推論の総称で、一言で言えないため誤解が多いようです。含まれるものには次のようなものがあります。
①単位知識の集合を形成するための「具象⇒抽象」のプロセス
②エピソード記憶を積み上げて抽象化して、普遍的な因果律を仮説として推定するプロセ
ス
③建造型概念を構築するために事物を思考実験によって分解するプロセス
④その他
(3) アブダクション
C. S. Peirce(1839年9月10日 - 1914年4月19日)が用いた言葉。かれは、この言葉は「演繹」と「帰納」に続く第三の推論方法と言っていたが、 本当は何を意味したのか判然とはしていません。
・近年急にこれを「創造性発現の手法」と持ち上げる人々が現れて大フィーバーになったこと
があります。「アブダクションとは、既存概念をひょいと飛び越える魔法の創造活動のこと
だ」などと吹聴されたものでした。
・その後、フィーバーが落ち着いて、「創造性発現の手法」とは言えないということが知れ渡る
と、Peirceが言っていた「アブダクション」とは「仮説検証」だったのではないかという解釈が
広がりました。
「仮説検証」ならばヒトは有史以来使用してきた推論方法のひとつですからPeirceさんの専
売特許でも発明でも何でもないことになり、Peirceが偉大な人物だったということの論拠で
はなくなってしまいます。
・実際のところ、「アブダクション(abduction) 」はアリストテレスが用いた「アパゴーゲー
(ἀπαγωγή)」の英訳です。
「アパゴーゲー(ἀπαγωγή)」とは、「事物とその運動の中から大事な原理や概念を見
抜いて切り取ってくること(またはその力)という意味を持っています。博覧強記のPeirceが
これを知らなかったはずはありません。パースも同じ意味で「アブダクション」という言葉を
使用していた可能性が高いと私は思います。
博覧強記のパースは自らの既存の知識を照らして大事な原理や概念を見抜いて切り取っ
てくることが得意でした。切り取ってくる原理や概念を立証するためには、その「アブダクシ
ョン」に続く「仮説検証」も必要だったと思われます。
「仮説検証」は、彼の言った「アブダクション」そのものではなく、「アブダクション」が終わっ
た後の処理(後処理)のことを指しているように思います。
・ましてや、「アブダクションとは、既存概念をひょいと飛び越える創造活動のことだ」などと
吹聴するのはとても的外れです。
ここに取り上げた推論の方法以外にも、創造性や創造力に関連の深い「(思弁的)弁証法」や「Triz」などがありますが、これらについては、別の機会に譲ります。
21.解法(探索/推論)と創造力(スライド20)
解法⇔知識サイクルは創造の現場のはず
スライド20「解法(探索/推論)と創造力: 解法⇔知識サイクルは創造の現場のはず」
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前頭前野部が主導する解法の実施は運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)の知識ベースを利用して行われますが、前頭前野部のほうが優位に立っているので、解法に不満足であれば、運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)に命じて知識の不足を補って組み立てを変えることや知識構造の再構築を命じたりします。知識構造の作り直しとはとりもなおさず「(知性の)創造」ということを意味します。
前頭前野部は運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)の知識ベースを利用しますが、その一方で、前頭前野部の都合で運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)が命じられてそれそれぞれが持っている知識ベースを作り直すという知識サイクルが行われます。これこそが「創造の現場」なのです。
前にも言いましたが、運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)に前頭前野部が強い支配力を及ぼすという意味で、「前頭前野部は創造力の父」なのです。
22.情熱はどこから来るか(スライド21)
(1)解法=知識サイクルだけでは情熱は来ない
スライド21「情熱はどこから来るか: 解法⇔知識サイクルだけでは情熱は来ない」
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「創造力の父」である「前頭前野部」が運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)に命令をくだして、運動野(+頭頂葉)や側頭葉(+頭頂葉)がこれに従うだけでは、目的を持たない単純機械のようなもので、だれも情熱をいだくことはないでしょう。
「前頭前野部」を突き動かしている情熱の源泉は何かについて触れておきたいと思います。
「創造力の作り方3」で詳しく述べましたが、ヒトの情熱の基は、ヒトそれぞれの究極の目的です。しかし、それぞれの目的の上位目的を探るとそれはつぎの3つに集約されると考えられます。
①「個体の生存」
②「組織と社会の維持」
③「種の保存」
上記3つのうちのどれか、または複数のためならば、ヒトは命を懸け人生を賭けるものです。この傾向は若者に特に顕著です。
解法は「創造力の父」である前頭前野部が指揮を執りますが、前頭前野を突き動かしているのは、間脳、脳幹、延髄、体内諸神経網、大脳辺縁系など生存と感情に直結する脳神経系です。
ヒトに「究極の目的」をささやくのは、「「創造力の母」である これらのいわば古い脳神経系と考えられるのです。
23.情熱はどこから来るか(スライド22)
(2)生存活動サイクルがつなぐもの
スライド22「情熱はどこから来るか: (2)生存活動サイクルがつなぐもの」
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まとめて申し上げたいと思います。
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生存活動サイクルが、
情熱の基である「究極の目的意識」と
「解法=知識サイクル(デザインシンキング)」と
「知識の構造体の集まり」
を熱く結ぶのです。
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生存活動サイクルなしには、これらが有機的に結びつくことはほぼ困難です。生き生きと生きている方が、どんな学者よりも最も創造的であるように私には思われます。
24.終わり(スライド23)
スライド23「終わり」
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今回の私のお話は、これで終わります。
次回はキャリアデザインと生存活動サイクルについてお話する予定です。
ご清聴、ありがとうございました。
<次の記事に続きます>
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琵琶
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